No.33 桐生編     日本を走る ←No32府中編No34水上編→
旅行期間 1982年11月28日
走行区間 赤城荘日帰り
総走行距離 82km
走破市町村 10(大胡,宮城,粕川,新里,大間々,黒保根,桐生,笠懸,藪塚本,赤堀)
累計数 1,011
同行者 無し 使用自転車:OP
総費用 479円 当時の年齢:18歳(大学1年)
 群馬大学は教養学部及び教育学部が前橋市荒牧町、医学部が前橋市昭和町、工学部が桐生市にあるという蛸足大学である。工学部生は1年間の教養学部を経て無事進級できれば2年から桐生での生活になる。前橋と桐生のキャンパス間距離は30kmも有るため引っ越すのが普通である。
 そんなわけで10月頃になると来年の春から生活する場所を探し始めたりするのである。殆どが大学に近いアパートを求める中で、駅に近い街中に住みたいという希望の物件がなかなか見つからずにいた頃、工学部から送られてくる情報の一つに目が止まった。駅に近く、8畳と4畳間が有って13,000円/月である。これは安いし、見に行かねば。

 と前振りが長いが下宿探しの旅をしたのである。
 赤城山の南側には細かな自治体が並んでいるので、行きは赤城の中腹を通る南面道路、帰りは50号線に沿ったコースで一気に10市町村を走破。下宿は大学までは約1.5kmで桐生駅から700mの場所。建物は日露戦争前の建築という年期物だが自転車を置く土間もあり、情緒も深く気に入る。実際に引っ越しを行うのは翌年3月28日で、自転車を赤城荘から持ってくるのは4月7日の事である。翌8日に目覚めると街中が埃っぽい。桐生はこんな街なのかと思ったら浅間山噴火による降灰だった。(次は水上編