No.32 府中編     日本を走る ←No31志賀編No33桐生編→
旅行期間 1982年10月30日〜1982年11月3日 旅行日数:5日間
総走行距離 250km
走破市町村 12
同行者 無し(5日目のみY永) 使用自転車:OP
総費用 17,451円 当時の年齢:18歳(大学1年)
初日 1982年10月30日
走行区間 前橋市赤城荘〜府中市吉田荘
走行距離 140km
走破市町村 12(佐波東,新田,太田,大泉,妻沼,大里,上福岡,大井,三芳,新座,志木,富士見)
累計数 1,001
 午前中のドイツ語の講義を受けた後、11:30にK野の下宿に向け出発。伊勢崎から太田、熊谷をぬけ、2年ぶりの吉見百穴を見て、川越から三芳、所沢を通り17:30に到着。こうやって群馬県から埼玉県に広がる小規模自治体を少しずつ走破していくのであった。なお埼玉県志木市で記念すべき1000自治体達成である。
2日目 1982年10月31日
走行区間 府中市吉田荘〜府中市吉田荘
走行距離 17km
走破市町村 0
累計数 1,001
 学園祭に行くK野のスクーターの後ろを走り中央大学に。午前中学園祭を楽しんだ後、晴海で開催されているエレクトロニクス・オーディオフェアを電車で見に行く。夜K野の家に帰り、秋休みを利用して函館から木更津に帰ってきているY永に電話したところ、彼も白門祭が見たいので11月2日に来るから待て、との話になった。明日には前橋に帰ろうと考えていたものが、5日間に渡る府中滞在になってしまうのであった。
3日目 1982年11月1日
走行区間 府中市吉田荘〜府中市吉田荘
走行距離 89km
走破市町村 0
累計数 1,001
 K野が1日学園祭の準備で忙しいと言うことなので、紅葉を楽しみに奥多摩へ出かけた。特に目的もないので五日市町役場に寄って観光パンフレットを貰い、秋川渓谷から養沢川を遡り、日の出山と養沢鍾乳洞川に行く事にした。日の出山は頂での展望は得られなかったが、ここで仲良くなった女の子達と鍾乳洞に行くことになり山頂に行ったかいも有った。なお、この鍾乳洞は向かいにある山小屋でローソクを借り(200円)、照明設備も無い所に入るという、ワイルドな物だったので女の子も一緒だと結構楽しめる代物だ。残念ながら2000年に閉鎖と言うことである。登山口で車で来ている彼女たちと別れ、後はのんびり吉田荘に帰る。このあたりの市町村は多摩編で走破済みなので新規は無し。夜はY永と合流し、3人で盛り上がるのであった。
4日目 1982年11月2日
走行区間 無走行(府中市吉田荘)
 この日は佐久編と同じように走行は休憩。自転車を1日吉田荘に置き去りにして、電車で多摩動物公園駅まで行き中央大学白門祭で楽しむ。ちなみにK野は鉄道研究会で活躍している。夜に行われたコンサートは、かまやつひろしだった。
5日目 1982年11月3日
走行区間 府中市吉田荘〜前橋市赤城荘
輪行区間 国鉄府中本町駅→前橋駅
走行距離 4km
走破市町村 0
累計数 1,001
 Y永が前橋に遊びに来る、と言うことになり帰りは府中本町駅から前橋駅まで国鉄で帰ることにする。実は今まで輪行を考えたことがなかったので袋を持っていなかった。府中市内の自転車屋を回り、輪行袋を7,500円で購入する。これが来年以降の輪行長距離の布石になっていくのであった。
 前橋駅(左写真:今は建て替えられた)から赤城荘までもバスに乗り、赤城荘にY永を泊めて宴会。ちなみに彼が帰ったのは11月4日である。(次は桐生編