おまけNo.3 父島編      日本を走る

父島大村港


鳥島全景


天然記念物アホウドリ


高さ99mの孀婦岩


長崎展望台から兄島


乳房山山頂


母島の海岸


母島港のモニュメント


三日月山の夕日


中山峠からブタ海岸


名物の見送り船

島寿司とパッションハイ


気象庁鳥島観測所跡


船上の観察スタイル


孀婦岩と供に


母島の高射砲残骸


乳房山登山道の密林


海亀


鯨の潮吹き


4月5日の日没


中山峠から小浜海岸


4月6日の日没
旅行期間 2005年4月2日〜2005年4月7日
 小笠原島の走破が洋上編のようにレンタサイクルでの走行だけで済ませて、夜も小笠原の地面に寝ていなくても良いのか、という自問が日本全国走破後もずっと続いていた。特に小笠原の地は長いこと完結すべき場所として考えていただけに思い入れが大きすぎていた。だから本当の旅をやり直さなければいけない、という気持ちが強く、いつか暇が出来たら母島も含めて行き直そうと考えていた。
 そんな思いで居る頃に年度末が終わるとまとまった休みが取れそうな状況が見えてきた。小笠原行きを思い立ち小笠原海運のHPを見るとまさにその頃、小笠原往復+鳥島周遊の特別クルーズの企画が有る。迷わず申込みをしてしまった。

 そんな訳で自転車と双眼鏡とシュノーケリング3点セットと大量のカップ麺と「海辺のカフカ」を持って土曜朝のアクアラインバスに乗り浜松町まで行き、重い荷物を抱えて竹芝桟橋に着く。輪行袋の持ち込みに片道1,150円を支払い船に乗り、10時出航で長い航海を開始する。
 鳥島ツアーの客は大きく分けて本格バードウオッチャーの人と通常の観光客がおり、観光客同士は船室が同じ場所に集まっているので直ぐに仲良くなる。YH泊の人も私以外に2人ほど居る事も解った。なお、バードウオッチャーの人は巨大な望遠レンズと三脚の着いたカメラを持っているので一目で区別が出来るのだった。
 出航の際には大勢の見送り客が居る。横断幕を見ると役所の人や教職員の赴任のようだ。新年度が始まったばかりだから、この船で人事移動を担っているのだ。
 皆と話をしたり甲板で伊豆諸島を眺めたり1人本を読んだりして25.5時間の船旅が終われば昼前に父島港へ入港する。港には出迎えの人が大勢居る。
 下船すると小笠原YHの出迎えも来ていたのでザックを運んで貰い自分は自転車を組み立ててYHまで走る。これで洋上編の懸念が物色されていくのを感じれる。
 YHで鳥島行きの荷物を区分していると雨が降り始める。歩いてビジターセンターに行き時間を潰す。夕方の鳥島行き乗船前に前回も来た寿司屋に寄って島寿司と酒を飲み、19時出航の24時間の船旅に出る。

 鳥島は東京と小笠原の中間当たりに有る火山島である。この島を周遊するために片道400kmも戻るのだ。明け方に大きな島影が見えたときには感動した物である。 船には自然ガイドの人が乗り込み、鳥島で活動する長谷川さんの話や聟島へのアホウドリ繁殖地移動計画などの説明を受けながら島を2周する。帰路には孀婦岩の近くを通過し、聟島列島にも近付いて鳥や鯨を探しながら父島に向かい、19時に帰港した。そしてやっと父島最初の夜を迎える事になる。酒屋で麦酒や焼酎を購入してYHで食事の後、何時尽きるか知らない飲み会が行われるのであった。ちなみに私は4時で床に帰り2時間だけの睡眠を取った。

 5日は終日自由なので母島日帰りを行った。6時にYHを出発し長崎展望台まで登ってから港に戻り朝7時半の船で母島に渡る。向こうでは乳房山登山をしてくるので自転車は父島港に置き去りである。
 母島に着き、商店でパンと麦酒を買って乳房山登山を開始する。道の整備は良く。本土とはまるで違う植生に気分も高まってくる。道の途中には第2次世界大戦の遺跡も残り、剣先山から南崎方面の展望も開けるなど変化に富んでいる。山頂に着き麦酒を飲みながら展望を楽しむ。今日登っているのは私1人のようだ。
 下山は船見台側に下り、帰りの船までの時間を鮫ヶ崎に行き、生け簀の中の海亀を見たり、ホットサンドを食べ生ビールを飲んで過ごす。
 父島に帰る船のデッキの上で本を読みながら横を見ると鯨の潮吹きが間近に上がる。私の「鯨だ!」の声で周辺も騒がしくなる。テールも見れたが写真に収められなかった。父島に帰り三日月山に夕日を見に行く。凄く快適な場所で大勢の人がのんびり夕焼けを見ていた。その後宿に戻れば今夜も酒盛りである。
 
 6日は最終日である。朝から洋上編で泳いだ小浜海岸まで自転車で走り、中山峠に登る。見下ろすブタ海岸や小浜海岸が綺麗であるし、何より水の透明度が凄すぎる。これはジョンビーチまで歩くと楽しそうだと思うが時間が無くて断念してYHに戻る。
 前夜のうちに仕入れた知識ではシュノーケリングするなら小浜海岸よりYHに近い宮之浜が珊瑚も魚も多くて楽しいと聞いており、鳥島も一緒だった娘もシュノーケリングをするというので迷わず宮之浜に行く。島では「写るんです水中」を売っていなかったので水中世界の写真を増やすことは出来なかったが、兄島瀬戸から入り込んでくる様々な魚でいっぱいだった。30分程度1人で泳いでいるとYHの車で娘さんが送られてきて、それから2人で1時間ぐらい泳ぐ。
 自転車を押し、2人で歩きながら彼女の婚約者の話などを聞き、彼氏が居るのかと落胆しながらYHに戻る。農協の売店で土産物を購入し、昼食を取ってYHに戻り港に向かう。乗船手続きを終えたら見送る人も見送られる人も一同になって記念写真を撮る。別の所では役場の人の見送りも多く見られる。私が遊んでいる間に仕事の引継を終えて、またこの船が島を離れる公務員の人事異動を担うのだろう。
 14時に父島港を出航する。多くの船が見送りのために併走しながらデッキからの飛び込みを見せる。三日月山からは鏡を使った光信号が何時までも続いていた。5日に1度の船は思いでも多く残るのであろう。
 なお、この頃は航行時間を短縮する超高速船テクノスーパーライナー(TSL)の就航が予定されており、小笠原が近くなる反面、航続距離の問題で鳥島や硫黄島のツアーは無くなると聞いて寂しい思いをしていた。秋にコストの問題で就航を断念したときは正直言ってほっとしたものである。
 持ってきた「海辺のカフカ」も読み終えてしまったので船内の売店でラム酒の「パッション」を何本も購入して夜遅くまで飲んでいた。連日の飲み会である。

 朝目が覚めると伊豆諸島に来ている。三宅島の噴煙や他の島々を眺めているうちに房総半島が近付いてくる。見慣れた地元の風景を素通りして15時半に竹芝桟橋に着岸し長い航海を終える。今回は全行程125.5時間のうち79.0時間(62.9%)船に乗っていたのだった。
 鳥島ツアーの参加者は次回の硫黄島ツアーで待つよ、と口々に言い合いながら下船し解散していく。YHに泊まった者のうち私を含めた6人が名残惜しく浜松町の居酒屋で砂払いを行う。島の魅力は本当に深い。明日からの社会復帰が大変である。