スポーツの普及について
2008/01/03記
 第2次世界大戦で幻となった1940年の東京オリンピックは論外として、実際にアジアでオリンピックが開催されたのは1964年の東京であった。この年に私は生まれている。
 その後、1988年のソウルを経て、いよいよ今年は中国北京のオリンピックイヤーを迎えることになった。
 
 8年後のオリンピック開催について東京が手を挙げているが、個人的には2006年8月31日の「思うこと」に書いたように賛成の立場ではない。しかしオリンピック開催によって国内スポーツが盛り上がることについては意味があると思う。
 少年サッカーや早朝野球を通じての鍛錬や人間関係の育成は良いことであり、体を動かす習慣が出来ている人は、一般に病気に掛かりにくい事で社会貢献になっている。
 また、スポーツの普及を通じて裾野が拡大することでトップ選手の質が高くなり、国際試合で活躍する日本人選手が増えることは国威発揚とまで行かなくとも、わくわくする現象であることに間違えはない。
 
 個人的に趣味としているスポーツは自転車やスキーのようなフィールド型で、グランドを利用するものではないが、木更津には利用可能なグランドが少ないので増やしてもらいたいという要望は耳にする。
 現在の木更津市の財政が逼迫しており、新たな整備が困難な状況にあるなかで、市の総合運動公園として位置付けられている江川運動公園は昭和54年に野球場、昭和55年に庭球場、昭和57年に多目的広場とちびっ子広場が完成して以来、20年以上に渡り新しい施設の追加がされていない状況にある。
 
 実は江川総合運動公園は、全て国の所有する基地周辺地を貸与して利用しているものである。
 何故国がこの周辺に土地を持っているかというと、自衛隊木更津基地の滑走路延長線上に、航空法による高度制限が掛かる場所が広がり、その敷地内では建築物に制限が掛かるため、国が土地を購入して移転を促したという経緯によるものである。江川や久津間地区にはその様に移転したものが多くいるのである。
 国としても購入した土地に木を植えて緑地利用しているが、枯れ草火災の防止の草刈等のため、毎年膨大な維持管理費を支出している。
 そのため、国は公園等の施設として地元に解放するかわり、維持管理を地元自治体で行ってもらうという考えを行っており、近年では地元移管を進めるためにも施設整備まで国が負担するという方向になっているのだ。
 
 昨年より基地対策特別委員会で、木更津基地周辺の遊休地利用を進めていくよう執行部に働きかけており、本年は方向が見えてくる年になるものと思う。目出度い結果が出ることを年当初に願うのであった。