TDL25周年に思う
2008/04/15記
 今日はTDL(東京ディズニーリゾート)25周年という事で新聞には全面広告は載るし、地元放送のBAYFMはすっかり占拠されてしまっている様子だった。
 
 日本全国を走った自分にとって1980年8月21日に通過した浦安は記録上では『町』のままである。1981年3月末まで東葛飾郡浦安町だったものが埋立で急速に生長し、市制2年目で東京ディズニーランドを開園させた時は『秋までは良いだろうが冬の北風が吹き付ける頃には隙間風も吹いているだろう』などと揶揄されていたことが嘘のように賑わいを見せ、21世紀に入る頃に人口で木更津市を上回っていった。現在では3万5千以上の差を付けられている。人口密度では10倍以上だ(過密状況が良いか悪いかは別の議論である)。
 今日の放送の中で、浦安に移住を決めた原因として、TDLが近いことや園内で行われる成人式が話題に上がっていた。25周年記念番組であることを差し引いても、このイメージアップの効果は無視できないと思う。
 さらに運営会社であるによるオリエンタルランドによりJR駅の改修や首都高湾岸線のランプなどが追加され、地域の整備が進んでいる効果も大きいが、行政に関わるものとして膨大な税収が羨ましい限りである。
 
 しかしTDLの成功とバブルに乗って多くのテーマパークが動き始めたが鎌倉の松竹シネマワールドや香川のレオマワールドなどが21世紀を待たずに消えていった。一時は西の雄と言われたハウステンボスも巨大すぎる初期投資の金利に動きが取れなくなり2003年には会社更生法の適用を受けた。現在好調なのはTDLとUSJぐらいではないだろうか。
 さらに厳しいのは第3セクターとして地域の活性化を目的に始めたテーマパークで、北海道の石炭の村(レポート参照)は夕張市を破綻させ、カナディアンワールドは芦別市の財政を追いつめている。活性化どころか沈静化、停滞の原因となってしまったのだ。
 中曽根内閣が推進したリゾート法適用第1号の宮崎シーガイアも県が負債を放棄することで外資を呼び込み何とか再生を果たしている。公共で成功している例はテーマパークとは少し違うが旭川市の東山動物園程度ではないか。このように夢を与える仕事は動きの遅く硬い公共部門では難しいとつくづく思う。
 今後も各種のテーマパークが生まれては消えていくことであろうが、運営に税負担をするように成った場合の悲劇を忘れないようにしなければ、と本日のTDL騒動の影で思っていた。