裁判員制度に思う
2008/04/19記
 昨夜、かずさアカデミア音楽コンクール運営委員会があり、6月8日の入賞者演奏会に向けた作業を行ってきた。
 その後、委員長である白石弁護士を中心に6名で懇親会を行い、その場で裁判員制度が話題に成っていた。
 
 個人的には選出されたら正義感と知的好奇心で裁判員を受けようとは思うが、それが議会日程と重なった場合はどうなのかと悩むところである。特に市議会を2分するような案件の裁決日に、同様に有罪無罪が同数近い裁判日が重なった場合はどちらに1票を入れるべきなのかと極端なケースを想定すると、私は裁判員を受けてはいけないような気もする。
 また、正当な理由無く呼び出しを断れないというのも召集令状のようでどうかと思うところであるし、鹿児島県十島村のように月に11便程度の船便しかなく、鹿児島市に出ること自体が大変な国民も巻き込んで良いのか、制度上の疑義もある。
 
 白石弁護士の解りやすい説明で、裁判はそれほど難しくない事は解ったが、それでも被告が事実認定を拒否し続け、冤罪の可能性が残る場合、有罪の判決を出せるか、自信はない。
 また逆に情状酌量の余地があると思って軽い量刑を科した犯罪者が再犯を犯した場合、その第二の被害者に対する罪の意識を持つことが無いだろうかと考えると不安にも成る。
 
 司法に携わる裁判官、検察官、弁護士はたまには適正でない結果を生じるかも知れないという、打率の問題として納得できているのだろうか。相手が人間のことだから物理現象のように精度を上げることが出来ないのはやむを得ないとは思う。
 しかし、民間から選出される裁判員は多分人生で1度しか関わらないと思われるから、一度の間違いを取り返すことが出来ないので、最後まで心に傷を残すことになるかも知れない。
 
 裁判員参上!の看板が裁判員誕生に変わっても、友人の友人が裁判員であっても、そんな事より心配な問題が有るのではないか、そのように考えさせられてきた。