政治家と官僚
2008/05/07記
 先月末に民主党の勝利で終わった山口2区の衆議院議員補欠選挙で争点になったのはガソリン税の増税より後期高齢者医療制度であった、と多くの記事を目にした。そもそも前にも書いたように医療制度は自治体で決めるべき問題ではないと思うのであるが、現在法令の決定権を握っている代議士が官僚に誤魔化されているか、そもそも官僚任せにしてしまっているかのどちらかで市民の立場での思考を停止しているのでは、と思う現象が目に付きすぎる。
 
 例えば年金問題で5000万件の不一致を今年の3月末までに片づけることが出来るような印象を国民に与えるようなミスリードも酷い話であった。冷静に考えれば出来ないことは明らかなのだ。
 今回の医療制度改革も根本的な議論を別にして形態だけの話をすれば、例えば国民健康保険制度の改正という形を取り、対象年齢も年金受給と同じ65歳からとすれば、変更に対する国民の印象も違っただろうと思うのである。だが、目立つように別の法律を制定してしまうとか、高齢者を前期と後期に分割するような年齢階層の設定をする感覚、さらには障害者だけ65歳から対象になるなど国家による差別制度を設けるなど、国民の中に線を引くような設計など、およそ世論を配慮していない、恵まれた生活環境にある官僚の存在が透けて見える。
 それらの方針に乗ってしまった与党にたいする国民の失望も当然であろうし、これでは内閣支持率が2割を切っても仕方がない。
 
 だが、自らの市議会議員という立場で振り返った場合、千人を超す木更津市職員組織が内部議論を経て提案してきた事象に対し、何処まで実体を見抜き、市民と同じ意識の元で評価が出来るかというと心許ないところがあるのも事実である。
 議員は、支援者の中にアドバイザーは居るとしても、政策に対する専用のスタッフを抱えることが難しい状況の中で、個人で検証を行いながら、様々な法規等を広く知らねばならない。
 そして、問題提起を行う場合は、揺るぎ無い信念で行わねば、ただの質問するためだけの質問や、反対するためだけの意見になってしまう可能性があるので、それは慎むべきと考えている。
 議員間で得意分野を分担するとしても28名では職員約千人に対しては細部の非力さは否めない。国会において政党と官僚の関係もそうではないだろうか。
 
 本市では職員千人に対し市民は12万人存在する。多くの知識人や専門家がそこには存在するので、議員より建設的な提言を行える人達も大勢居るであろう。そのような意見を受け止め、理解し、代理する立場で活動に反映できるような、そんな議員に自分は向かって居るであろうか、と時々自問する。
 
 さらに別の視点で思うのは、自分が思う問題点や変えるべきと思う制度は、はたして市民12万人の多数意見なのかという点である。少数意見であっても正しいと思うことは進めるべきだと議員を1年間続けてきたが、油断すると市民意識と離れた部分の議論をしようとしているのかも知れない。
 
 多分、6月議会の個人質問は、市民どころか議員の多くも気にしていない問題を提起しようとしている自覚の中で、これは将来の合理化に向かう布石を打つことだ、などと自分に言い聞かせて今夜も遅くまでパソコンに向かっているのである。