社会が否定する物に思う
2008/06/12記
 議会の一般質問が行われる中、日本共産党の山形議員よりアクア木更津地下に計画されている船橋競馬木更津場外発売所に対する反対意見も出された。
 私は前にも書いたようにこの施設の進出に賛成する立場であるが、山形議員が水越市長に「ボートピア市原」を見ましたか、と迫っていたので、私もサテライト鴨川は見ているが、市原は見ていないので休会中に視察に行こうと思ったところである。
 
 その議論の中で、ボートピア周辺では『ゆすりたかり』が発生して治安が悪くなり百害有って一理無し、というようなフレーズが有った。物は見方によって異なるな、と思わされた所である。個人的には競輪競馬競艇の全てを行わないが、それらを好きな友人も当然のように普通の人であり、ゆすりたかりをする事はない。
 
 個人の発言に対して意見することは本意ではないので、その時感じたのは、アメリカ合衆国で昔制定されていた禁酒法である。酒におぼれて家庭生活に支障をきたすことや酔っぱらって暴れること等に対する批判からか、酒には百害有って一理無し、と禁酒法を制定してしまったのはピューリタンが多いアメリカだからであろう。
 友人が日本語を教えている中東では、現在でも殆どの国がイスラム教の教えの通りアルコールを禁止しているから禁酒法は昔話では無い。酒飲みの私としては批判は受け入れられないがその様な考え方が有ることも認識しなければならない。
 
 税金不足の中で、煙草税を大幅に上げて一箱5百円から千円程度にしようという議論が進んでいる。禁煙家の私としては喜ばしい話とも思うし、火災や健康被害なども思うが、愛煙家には精神安定効果も有るし、地方税収に役に立っているし、全く関係ない国鉄の赤字を返却して頂いていることを考えると、流石に百害有って一理無しとは断言できない。
 
 法律や税金により、否定される物が有る。それらの線引きを行うのは世論にもよるが、最終的には政治の仕事である。人生に多くの価値観を持ち、多くの視点を持たねば、と思うところである。