ソウルの清渓川で思う
2008/07/07記
 世界的な燃料の値上がりにより航空券の燃料チャージが増える中で、ソウルまで全て込みで4万円以下のツアーが販売された。
 冷戦最後の跡地である板門店と現在の韓国大統領である李明博元ソウル市長が手がけた清渓川復活事業を見たいと思っていたので6月定例議会が終了した空隙を使い、7月2日から4日まで2泊3日の簡単な旅行を行ってきた。
 
 板門店については韓国と北朝鮮が向かい合う場所で、殆どの人が知っていると思うが、清渓川は興味のある人しか覚えていないだろう。これは韓国の高度成長に伴い、河川の上に高速道を建設していたものを、高速道路を移設ではなく撤去して、河川整備をすることで都市環境改善に繋げた事業である。
 都市内にオープンな空間が出来たことで風の道が出来、ヒートアイランドの改善に繋がったとか、高架下のうらぶれた空間が整備された河川に人が集まることで新たな賑わいを生じている等、素晴らしい報告が建設業界紙で続いており、東京の日本橋上空の首都高速を移設する動きにも繋がっている流れが出てきているので、一度現物を見たいと思っていた物である。
 
 安いツアーなので初日のホテル到着は午後5時を回っている不便な時間である。その上、韓国も梅雨なので雨が降っている。3回目の韓国であるが首都ソウルに滞在するのは初めてなので就寝までの時間も使って市内を見て回る。地下鉄で市庁まで行き、焼けてしまった国宝1号の南大門の工事現場やソウル旧駅などを見て南大門市場から明洞を抜けて清渓川に出た。特にライトアップなどはしておらず、川に降りる階段も封鎖され、雨の夜には単なる水路に見えていた。

ソウル地下鉄路線図

南大門の仮囲い

旧ソウル駅舎

夕方の南大門市場

明洞の夜景

清渓川の夜景
 
 翌日は午前中に板門店を見てきて、午後3時からストに対する警戒態勢を組まれている街の中で、施設の入場時間を優先して徳寿宮と景福宮の観光を行う。午後から雨も上がり夕方には日が射してきた。

徳寿宮の石造殿

景福宮の勤政門

景福宮の香遠亭
 午後6時を回って、鍾路3街近くの観水橋から待望の清渓川に出る。韓国は日本と時差がないので、夏至に近いこの時期は夕方7時半頃まで明るい。その為か、大勢の人達で河川両側に付けられた歩道が賑わっている。平日(木曜日)の夕方なので仕事帰りのソウル市民かもしれないが、意志疎通できないのでよく解らない。
 
 晴天時の河川は下水の高度処理水を流しているため水も綺麗で、中には足を水に浸して話し合っている人々も居た。用地幅は一定で直線的だが、水面と歩道の高低差を適度に変化をつけることで単調に成ることを防いでいる。新設した橋梁も多くの型式を用いてアクセントを付けている。降雨増水時には水没するのであろうが、入口を封鎖する以外に階段や歩道の構造に特別な処置はしていないようだった。

清渓川観水橋付近

両岸連絡の飛石

車椅子対応の斜路

水の透明度は高い

東大門近くの噴水

日没後の橋梁下照明
 
 水面に降りる急な石の階段とか飛び石などの造園的レイアウトは技術者としてとても興味深い。日本国内では歩道や飛石から転落する管理責任を考えて手摺りを付けておかないと裁判で負けるのだろうと想像すると、行政を萎縮させている法曹界も何か考えて貰いたいと思う。
 噴水などの施設の周りでは公園でくつろぐかのように大勢の市民が集まっており、橋梁の上から見下ろしている人も大勢居る。昨夜に感じた排水路というイメージは間違っており、都市を横につなぐ長い公園が出来ているという印象であった。
 これを見れば首都高を撤去して日本橋に青空を取り戻そうという人達の気持ちも感覚で理解できる。
 
 一方、我が木更津市には上空を道路で被われた河川はないが、例えば駅の東西を結ぶ回廊になれる矢那川の低水敷整備などにはこのデザインは見習っても良いのではないかと思った。
 ソウルから帰った日の夕方に出席した政経セミナーでも堀を復活して街の賑わいを戻した近江八幡市の事例が報告されていたが、河川空間などを単なる機能面だけでなく、都市の骨格として使用することが重要だとソウルで確認出来た。
 実際には予算や権限(矢那川は県管理)等の問題もあるが、長期的な視点に立った都市計画に盛り込むことは意味のある事ではないかと思っている。