静岡空港問題を考える
2008/11/13記
 静岡県が今年度末に開港を予定していた富士山静岡空港が、敷地外の立木が航空法の制限区域に入るため滑走路を短くする必要が生じ、追加工事が必要となって開港が遅れるとニュースで報じられている。
 
 静岡空港の是非については、個人的には有るべきではないかと思う。例えば北陸3県(富山県1112万人、石川県1174万人、福井県822万人:合計3108万人)に4空港(富山、能登、小松、福井、ただし福井空港では航空機の運航は無い)も有るのなら、静岡県3792万人に1箇所は空港があるべきものと考えるのは当然だろう。[人口は平成17年国勢調査]さらに新幹線直結と考えると静岡県だけでなく愛知県東部や神奈川県南部の人々にとっても使い勝手が良くなるだろう。
 問題は工事費が巨額になりすぎて、借入金の金利払いが収益で補いきれるかという点であろう。この構図は我らがアクアラインにも似ている。
 
 今回、問題に思うのは、今回の事業化に当たって土地収容法まで使いながら、障害となる立木を除去もせず、責任もとらない県の職員が居るという事である。普通の企業なら当然降格か左遷が当然であろう。
 もちろん、あれだけの事業を個人で監督している訳では無いからラインとしてチェック不足も明かであり、また木立のように目立つものなので航空行政を理解している複数の人が見過ごすという事も理解できない。高度制限は基本ではないのだろうか。(参考
 セクション主義が進みすぎて担当部門以外が口を出しにくい空気を作っていたのなら事務所の運営に失敗していた事にもなる。今回の事は仕方がないことだと処理するようで有れば県民の理解は得られまい。
 
 一所懸命取り組んでも想定外の要因で失敗した場合まで責任を追及することは酷であるが、その失敗の要因を明らかにして対策まで立てないと進歩はない。往々にして役人は充分な検討と手続きを取っているのでミスは無い(だから個人責任は無い)という無謬性に逃げ込みそうになる事は防がねばならない。
 ただ、細かな失敗責任をいちいち追求しては萎縮してしまい、出来ません・やれません、の組織になってしまっても困るからバランスは重要である。
 
 我が市の事業や職員は胸を張れるのだろうかと、静岡空港のニュースを見ながら思うのである。