地域別人口動態を考える | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009/05/25記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先月、木更津市内では旧木更津町、波岡村、清川村の3地区では人口が伸び、それ以外の地区では人口が減少になっているという文を書いた。その後、ある人より『木更津地区の人口が増加していると言うが西口駅前は寂しくなる一方だ』という意見を貰った。 木更津地区で人口が伸びていると言っても、それは請西地区の区画整理が完成したことに伴うもので、旧市街は多分減少していますよと答えたが、定量的な数値を知りたくなり、市役所2階にある庁舎案内コーナーの資料を閲覧してきた。 その場に有る資料で地域別人口が遡れる最も古いデータが8年前の2001年(平成13年)4月1日なので、それと2009年を比較するため集計をしてみた。データ数が多すぎるので、有る程度のグループに合算した。 |
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減少数が最も多いのが新日鐵社宅が戸建住宅に変更となった畑沢地区で8年間に818人も減っていた。そのかわり畑沢南や港南台の人口が伸びているので周辺地区も含めて大きな目で見れば増加傾向である。 木更津駅西口になる新田・富士見・中央・吾妻新宿の4地域は全て人口減少地域であり、合計で544の減である。この間にマンションが建設されている中央では減少幅が少ないが、新田や富士見では人口が15%以上減少している。西口が寂しくなる理由も良く解る。 逆に東中央や大和では人口の大幅な増加が見られる。これは都心回帰現象が東口では出ているという事だろうか。 犬成・中尾・伊豆島では30%近い減少であるが、それはこの地域から「ほたる野」が分離独立したからであろう。当該区画整理地域内に従前から居住していた人達も新しい住所に変更になったので移転が無くとも集計上は旧住所からの減となるのである。 小浜も大幅な減少であるが、8年前にも港南台は出来ていたのでほたる野と同じ理由ではない。順次移転が進んでいったのだろうと思うが、確信は持てない。 人口の増加が著しい上位5地域は請西東・ほたる野・羽鳥野・港南台・請西南であり、いずれもこの間に区画整理事業が終了したところである。なお、ほたる野・羽鳥野・請西南の3地域は、この8年間の間に新たに命名された住所である。 この上位5地域の合計では10,130人も増加しているし、この勢いは今後も10年近く続きそうな状況である。 この五つの区画整理組合(請西第二・中尾伊豆島・烏田・小浜・請西第三)は全て業務代行で運営され、地価下落による保留地処分金の減少で生じた事業費の不足は業務代行会社が負担した所ばかりである。つまり木更津市の人口増加は区画整理を行った業務代行会社の尊い犠牲の上に成り立っていると言えるのである。 30年以上前に造成された郊外型の団地である大久保・八幡台・日の出町は全て人口が減り、8.0〜15.2%の減少率である。東京都の多摩ニュータウンのように高齢化する団地の問題が発生しつつある状況だと想像される。 人口減少上位に計上された旧馬来田村、金田村、鎌足村については住所毎に細かく区分すれば見かけ上は減少幅が小さくなる。しかし減少率でも全て12%を越え、近隣に増加地区が無いことを考えると現実の厳しさを隠すことは出来ないだろう。 これらの郊外部では公共交通が貧弱なので交通弱者の生活は容易ではない。近所の助け合いも残っているだろうが全体の高齢化が進むと困難な状況に陥ることも想像される所である。 富山市ではコンパクトシティを進めるため、郊外部から市街地に移転する場合は補助金を出す制度があると聞く。人が減少する郊外部では地域コミュニティの維持が困難になるなどの問題も生じるだろうが、それでも都市の運営を考えて苦渋の決断だと思う。では木更津ではどうするべきなのか。それが悩ましい問題である。 旧岩根村では西岩根を除くと増減率の大きな変動は生じていない。それでも地区全体では1,019人の減少になり、旧8町村区分では最大の減少数である。やはり新たな開発地区がないと厳しいことが示されているようだ。 人口の変動を見ながら様々な分析を行い、この市の形をどのようにしたら良いのかと考えているが、都市計画の哲学に関わる問題であり、やはり難しいことが多すぎる。 |