祭事と宗教を考える
2009/07/27記
 木更津は夏になると長い祭の季節を迎える。
 まず、重量約1.5tで関東一の大御輿と評判である八剣八幡様の祭礼が7月第2週の土日に行われ、第3週には畑沢の浅間神社等の祭礼、第4週には私の地元になる岩根地区等坂戸神社系の祭礼が行われる。
 隣接市まで目を広げると、7月第4週の土曜の夜には富津岬で花火大会が行われ、翌週には君津市亀山湖と袖ケ浦市東京ドイツ村で花火大会が行われるとともに君津市民ふれあい祭が「いやさか君津踊り」のリズムに乗って土日の2日間に渡り行われる。
 そして、最後に夏を締めくくるかのように曜日には関係なく8月14日に「やっさいもっさい踊り」、8月15日に木更津港花火大会が行われて、八幡様の祭礼から始まった一ヶ月を越える長い夏祭りの季節が終わるのである。
 
 さて、これらの祭の殆どは形式的には神道系の行事であり、祭の本来の目的も豊作や安全を祈願したり、先人に感謝を捧げるものである。しかし、そこに参加する人々の信じる宗教は問わないし異教徒でも排除しないと言う極めて大らかな宗教的行事である。
 1月に行ったイスラム教国であるUAEのドバイでは、朝早くからモスクで祈りの言葉が響き、豚を食わず酒を飲まず偶像を崇拝せずという戒律を守りコーランを大切にしている姿を見たが、本邦では祭の時にも祝詞を唱えるものは殆どおらず、食に対する戒律もなく、そもそも明文化された教義も無いような神道における宗教性の薄さを考えると驚くばかりである。だから仏教・キリスト教・イスラム教等は「教」で有りながら神道は「道」として定義付けされているのだろうとも思う。
 
 その様に宗教性が薄いとは言いながら、祭の構成員は氏子という古くからの住民だけで構成されているものが多く、決して開かれたものとはなっていない。もちろん参加を拒んでいる訳ではないのだが、新住民の参加にあたって気持ちや制度に若干のハードルがあると地域の祭に参加しながら感じていた。氏子を増やすという宗教的な拡大ではなく、地域への愛着を深めるためにも祭礼に限ってでも関係者を拡大することを検討すべき段階に来ているのではないかと考えていた。
 
 一方、君津の市民ふれあい祭や木更津の港祭も、新日鐵君津製鉄所の進出に伴う新旧住民の融合と郷土愛の醸成を目的の一つにしており、その意味においては運営組織的にも協働が進んでいるので概ね達成できていると思われる。しかし歴史が積み重なることで次なる硬直が始まり、自由度や開放度が落ちて来つつは無いだろうかと思う事も少なくない。木更津港祭りについては本年度から区長会連合会もスタッフに加え、より市民色を強くするとともに、祭事の運営も区を通じて住民から寄付を募ることで参加意欲も高くしていく手法がどの程度の改革になるかを見守りたい。
 
 木更津市は港祭実行委員会に対して6百万円の補助金を出しているが、政教分離の原則に反していると言うものも居ないし、特定の宗教を利するような行為でないと私自身も思っているから異論はない。さらに言えば公金を入れている以上、どの様な宗教を信じている人に対しても、居住歴が短い人に対しても、さらには観光で訪れた市民でない人に対してでも楽しんで貰うことは当然として、より参加の幅を広げるためにはどうあるべきかを考えていた。