議会質問の意味を思う | |||
2009/11/01記 | |||
11月になった。今月の18日の午後2時までに12月議会の一般質問の通告を行わなければならない。今年度も3月議会では質問を行わない方針であるので、個人としては本会議で行う今年度最後の質問だと思えば、色々詰め込みたいことも有るのであるが、どうも今ひとつ作業が進まない。そのためか、我々は何の為に質問を行うのか、という根本的な意味について今更のように思いを巡らせていた。 数年前に、当時鳥取県の県知事であった片山さんが、県議会は答弁書の読み合わせ会に過ぎない、という趣旨の話をしていた記憶がある。一般的に質問と答えが予め決まっている話を公開の場で行うことに疑問を持たれる方も多いだろうし、議員の中からも、もっとガチンコでやろう、というような意見も聞こえてくる。 しかし、私の考え方は少し違う。事前通告もせずに質問したら『資料不足で答弁できません』とか『議員の言われることも尤もですが慎重に検討したいと思います』というような回答が連発することになり、換えって議論の質が落ちると危惧するのである。 それに、事前の答弁調整の中で、自分の質問の趣旨説明や必要な回答内容の整理もできるし、そのような回答では納得できない、という調整だって出来るのである。 ただ、職員が回答しやすいように作成した質問原稿を議員が読んでいるのなた、それは職員の作成したシナリオに沿って進む『学芸会ごっこ』に過ぎない。重要なのは主導権がどちらにあるかと言うことである。 基本的に、我々の作業は、議会議事録に残すやりとりを作ることだと思っている。ただ、議場の方々やケーブルテレビ等で視ている人達が厭きない程度のメリハリや、アドリブを加えることは有る。 ただ、最近、議事録に残せない作業として、議場での配付資料に基づいて説明を行っている事が上げられる。これは質問の内容を深くするために、表やグラフなどの数値に基づくものを自分なりに事前に調べて整理し、配っている物である。 その数字の部分を行政からの回答として口頭で答えさせると、数字が羅列されるので頭に入りにくい。そのため、議場の議員や執行部に理解して貰おうと配布するのである。それによって視覚的な理解が得れるだけでなく、皆にとっても今後の資料的価値が高くなることを期待するのである。 残念なことは、傍聴者に資料が行かないことと、現在の所、議事録での保管が行われないことと、傍聴者にはそのデータが行かないことなどである。 質問の内容については、現在の行政運営で生じている問題点を抽出することで解決を促すことや、将来発生すると思われる課題に対し明確な方向性を定めることでは無いかと思う。 時には現時点において行政と議会の双方で少数派に属する意見でも、信条において確認が必要だと思うことを述べ、将来それが多数派になることを願い、仮に自分が議員を退いた後でも議事録という記録の中で引き継いでいくこと、それが一般質問の意味ではないかと思うのである。 的確で格調が高い質問という物は、なかなか作り出すことが出来ずにいるが、現在と将来の木更津市民にとって最良の方法を模索することが市議会議員の責務と考え、頑張らねばと思う次第である(11月2日、12月15日一部加筆)。 |