バブルの地価を思う
2010/02/08記
 巌根駅に快速電車が停まらなかったことによる地価の影響を調べようと市役所の宅地課に行き、データが保存されていないか相談したところ、古い物は保存してないので調べますと言われ、少し経って国土交通省のHPで公示地価の検索が行えることを教えて貰った。市役所は便利だなと思いながらデータを整理していくと、改めてバブルの爪痕を見せつけられたようで、これでは土地公社を初めとして色々政策に誤りが生じてしまうのも仕方がないと思えてきた。以下、データを掲げながら思ったことを記載する。
 
 巌根駅近くの商業地が調査地点として上がってくるのが1982年であり、昭和に換算すると57年の事である。個人的には木更津を離れて大学生として一人暮らしを始めた年である。袖ケ浦や木更津駅前ではこれ以前から調査地点となっているので、1982年以降の3箇所の価格を比較することにした。
 岩根の調査地点は「岩根 3-10-28」で巌根駅から190mの場所である。この地点は2009年まで連続して対象地点である。一方、比較対照としようとした袖ケ浦の調査地点は1986年までは「福王台 1-1-7」で袖ケ浦駅から250mの場所だったが、1987年より「福王台 1-27-4」という袖ケ浦駅から600mの場所に移り、さらに2008年よりは「奈良輪 2-1-4」という駅前広場に面した地点に変わってしまった。2008年の地点変更による影響が大きいので比較は2007年までで終えることにした。
 同様に木更津駅も1986年までは「東中央 1-4-7」で駅東口から200mの場所だったが、1987年より駅からの距離は変わらないが、「東中央 1-3-8」移り現在に至っている。なお、対象は東口だけに絞って検討を進めることにした。
 
 まず、「福王台 1-1-7」「岩根 3-10-28」「東中央 1-4-7」を比較できる1982年から1986年の5年間であるが、この最終年に木更津駅でバブルの兆しが出てくるだけで、全体としては地価は下表のように極めて安定していた。表の単位は(円/u)である。
調査年 袖ケ浦 岩根 木更津
1982 106,000 108,000 445,000
1983 111,000 111,000 456,000
1984 114,000 112,000 460,000
1985 116,000 112,000 462,000
1986 117,000 113,000 530,000
1982-1985の平均
(以下「安定期」)
111,750 110,750 455,750
 この安定していた4年間の平均値を「安定値」として計算すると、巌根駅前と袖ケ浦駅前で大きな差が無く、木更津駅前はその4倍程度であったことが解る。なお、この4年間は個人的に大学生であった時期に重なることが暗示的である。
 
 ところが、「福王台 1-27-4」「東中央 1-3-8」に調査地点が変更になった1987年からバブルが始まり、1991年でピークを迎えて、その後に安定期を遙かに下回る価格まで下落していく。
 下表ではそれぞれの地点の価格(円/u)と、安定期を100とした場合にどこまで変動したかという指標を示した値である。調査地点が安定期と変更になっているが、それは無視した。
調査年 袖ケ浦 岩根 木更津
価格 指標 価格 指標 価格 指標
1987 151,000 135.12 118,000 106.55 820,000 179.92
1988 210,000 187.92 178,000 160.72 1,730,000 379.59
1989 294,000 263.09 285,000 257.34 2,220,000 487.11
1990 428,000 383.00 403,000 363.88 3,100,000 680.20
1991 640,000 572.71 490,000 442.44 3,850,000 844.76
1992 550,000 492.17 400,000 361.17 3,030,000 664.84
1993 460,000 411.63 340,000 307.00 2,310,000 506.86
1994 439,000 392.84 290,000 261.85 1,900,000 416.90
1995 419,000 374.94 245,000 221.22 1,520,000 333.52
1996 355,000 317.67 210,000 189.62 1,210,000 265.50
1997 292,000 261.30 171,000 154.40 905,000 198.57
1998 248,000 221.92 144,000 130.02 690,000 151.40
1999 198,000 177.18 117,000 105.64 510,000 111.90
2000 150,000 134.23 93,000 83.97 370,000 81.18
2001 120,000 107.38 74,000 66.82 268,000 58.80
2002 98,000 87.70 59,400 53.63 200,000 43.88
2003 81,500 72.93 48,100 43.43 160,000 35.11
2004 70,000 62.64 43,000 38.83 130,000 28.52
2005 65,500 58.61 39,300 35.49 115,000 25.23
2006 64,100 57.36 38,000 34.31 114,000 25.01
2007 66,900 59.87 38,400 34.67 116,000 25.45
 バブルのピークを安定期と比べれば、袖ケ浦で約5.7倍、岩根で約4.4倍、木更津では約8.4倍まで跳ね上がり、その後21世紀に入る頃に安定期を下回り始め、2007年では25年前に比べ、袖ケ浦で約60%、岩根で約35%、木更津では25%まで減少してしまったことが解る。25年前はほぼ同価格であった袖ケ浦と巌根の価格差は1.7倍以上に広がり、4倍の差を持っていた木更津と袖ケ浦の差は約1.7まで狭まってしまった。
 言い方を変えると、岩根の1.7倍が袖ケ浦で、袖ケ浦の1.7倍が木更津というのが現状である。
 
 これをグラフにすると下図のようになる。
 木更津の価格が乱高下しすぎて、岩根と袖ケ浦の比較が分かり難いので、木更津を除いて再作図すると下図のようになる。
 
 岩根と袖ケ浦を比較すると、1993年頃の低下傾向の差が現在に至っても残っているように読める。ただ、それに関連するトピックスが思い当たらない。アクアライン開通の1997年頃は急激に低下しているし、快速完全停止の2004年頃は低め安定に入っている。敢えて考えれば、変化が価格に反映されるのに時間が掛かる事を加味すれば市制施行の1991年が影響しているのかも知れない。
 
 それにしても、木更津は地価下落率日本一を連続して達成する中で、安定期の1/4、バブルのピ−クから見れば97%offになる、僅か3%まで価格が低迷してしまった。消費税以下の値である。これでは、過去に書いた土地開発公社の問題が生じてしまうのは当然である。地価の傾向が見極められず土地購入を勧めた施策は間違っているが、まさかこんな結果に成ることは想像できなかっただろうという意味で、あきらめに似た気持ちも抱いてしまう。
 
 このようにデータを整理しながら、自分が社会人になって歩んできた時間に、何と大きな変化があったのだと、改めてしみじみと思い、この頁を作成した次第である。