学校と村を考える
2010/10/05記
 10月4日の午後1時半〜4時で開催された『第9回木更津市立小中学校適正規模等審議会』を傍聴した。傍聴者は4名で、全て議員(大村、鶴岡、篠崎、近藤)であった。私は中間答申が検討された第5回に次いで2度目の傍聴であるが、その時には私一人だけであった。審議対象が金田地区、中郷地区、鎌足地区という周辺部に移ってきたので、統廃合による存続の具体的な問題が予想されることより議会の間でも関心が高まっている事を実感できる光景であった。
 
 前にも書いたが、今回の審議からは、地域性という難しい問題に直面することになった事が伝わってくる。その理由は、今回審議する小学校の通学区域は、全て同一名の中学校の通学区域であり、さらに地域社会福祉協議会、区長会、消防団の分団、公民館の活動範囲と言った「住民自治」を構成する範囲が全て同一であるからである。従って、その構成要因の一部である学校が変わることは大きな抵抗になることが予想されるのである。
 「住民自治」と書いたが、鎌足は1954年(昭和29年)11月3日に、金田は1955年(昭和30年)2月11日に、中郷は同年3月1日に木更津市に編入されるまで、それぞれ君津郡の「鎌足村・金田村・中郷村」として実際の自治を行っていたのである。鎌足村が編入されたときに20歳だった若者は既に76歳になっているが、村の代表を直接選挙によって選んでいた記憶が残っている人は地域にまだまだ多い。その上、昭和の大合併前の自治体の最大の仕事は学校の運営だったことを考えると学校の存在意義は地域にとって非常に大きいものになる。この問題が容易でないことは岩根小学校の百周年の内の3割以上が「岩根村」の歴史であった事を感覚として理解している私には痛いように解る。
 
 議員が多くのことを表明すると審議会の議論に影響する可能性があるので具体論は避けたいが、地域や学校がいくら熱心に教育を行ったところで極端な少人数は子供の教育に良いだろうかという基本的な姿勢を忘れてしまうと、地域の一体感のために子供を犠牲にすることに成る、と考えねばならないだろう。
 小学校低学年で疎外やイジメを受けた構造がクラス替えが無いことで中学卒業まで続くことや、色々な能力や性格を持った多くの同級生と切磋琢磨することで人間の多様性を理解していくといった情緒育成の機会が失われるなど、極端な少数教育における問題は多いと思う。
 多くの同級生に揉まれる中で、頓知が効く子や正義感の強い子、規律を守らない子や努力家の子、理解力・記憶力・芸術性・運動神経等、自分とは異なる個性を持った多くの子供と触れ合うことが出来る。それにより人間社会の多元性を学びながら友情や社会性を育んで行くべきと思う。その場は入試の成績で生徒が比較的同質となる高校ではなく、地域用件だけで多様なものが混在する義務教育時代にこそ経験しておくべき事だと思うのである。
 それ以外にも、部活などでも複数の選択が出来無いどころかサッカーや野球のようなチームも組めなくなる等の弊害が生じる。現に部活動のために越境通学をしている子供が居ることも聞く。
 
 人口減少地域にある学校を維持するためには、極めて特色のある授業を行うことや通学バスの配慮等で、人口増加地域からの越境入学を受け入れることも検討すべきだろう。
 根本的には「人口減少」の元に成っている調整区域での開発抑制施策を見直すことや、福祉施策として若年低所得家庭用の住宅建設など、教育以前に行政の政策が必要である。
 中学生は広く世界を見るために遠い距離まで通学しても良いと思うが、小学校は様々な施策を駆使して地域に残す事を検討するべきであり、それは審議会の範疇を遙かに越える事である。政治の有りようが問われる場面を向かえていると、昨日感じていた。
 
 ※10/07に文章の加筆修正を実施