震災一ヶ月後に考える
2011/04/11記
 東日本大震災が発生してから一ヶ月が過ぎた。死者の数は毎日のように増え、警察庁が10日にまとめた数字では死者13,013人、行方不明者14,608人を数えている。しかし、福島第一原子力発電所の近くで立入禁止となっている場所もあり、全体像の確定までは長い時間が必要になることが明らかになってきた。
 この一ヶ月間の『思うこと』は全て震災関係だったように、今回も震災のことを中心とした雑感を記載したい。
 
 今日も夕方に会議をしていると参加者の携帯が一斉に緊急地震速報を伝え始め、大きな揺れが襲ってきた。17時16分に福島県浜通りで発生したM7.1の余震である。7日の23時32分に宮城県沖で発生したM7.4の余震では5名の方が亡くなり、今回も土砂崩れで家屋が押しつぶされているというニュースも流れている。
 M7以上の余震は本震の発生直後に3回も起きたので、今回の地震で5回目である。ちなみに阪神大震災を起こした兵庫県南部地震の規模がM7.3であるから、現在も阪神大震災規模となる余震が続いているのである。原子力発電所の制御だけでなく、地震による社会資本の破壊と復旧も現在進行形なのである。
 インフラの復旧にあたる多くの関係者にとっては、直しては壊される事の連続で、疲労感も高まっているだろう。関東を始め、全日本的に支援が必要な事態が当面続かねばならない。
 
 議員になってから4年間の質問では耐震に関する事が多く防災を優先的に考えてきたという自負があったが、今回の仙台市若林区や名取市の平坦な場所を襲った津波の映像を見るまで浸水対策を追求してこなかった自らを恥じている。
 金田や岩根地区では水位が3mも上がった場合に待避できる場所が極めて限られており、僅かな鉄筋コンクリート建築である小中学校及び公民館が混雑して避難できない場合は福王台や清見台まで逃げなければならなくなる。車で非難すると渋滞により手遅れになる恐れがあるが、高齢者が自転車や歩きで逃げられる距離ではないし、逃げている途中に波が襲う可能性が高い。
 対策としては、金田で着工予定のアウトレットモールや自衛隊の構造物も避難所に指定し、緊急の場合に入りやすい外階段や非常用開閉扉を設置するなどの対応が必要になると共に、中心に人工の丘陵を設けた避難公園の造成も必要になるだろう。特に小櫃川の堤防の一部を強化し、スーパー堤防型公園とする事は有効な対策だと思うので県に働きかけたいと思う。
 さらには、残土の不法投棄で出来た○○富士の土地で撤去費用も出せないばかりか納税も滞った土地を収用し、周辺土地を購入した後に良質土で被覆して避難の丘を作れば、地震による津波だけでなく小櫃川の氾濫が有った場合の避難場所にも成ると思うし、地域の災いが転じて福になるかも知れない等と考えている。
 
 計画停電が当面の間は中止になり、工場の生産も段々復活しつつあるようだが、完全復旧にはほど遠く、さらに自粛の広がりでサービス産業の落ち込みも大きい中で、平成23年度の税収は全国的に大きく落ち込むことが予想されてくる。
 本市でも事業規模の精査や補正予算の検討、さらには短期的と長期的な災害対策の検討など行政と政治が共に立ち向かわねば成らないことが山積みである一ヶ月だったハズなのに、選挙に向けて空白を作っている事が虚しく思われる。
 個人的にも新聞や雑誌からの情報は得ているが専門的な本を読むゆとりが無く、ニュースは見られても特集番組を見る時間が取れずにハードディスクに録画が溜まる一方で、自らの資質向上を図る時間が取れていない事を反省している。
 
 こんな日々の中で『がんばれ東北』というような幟を着けた自転車を見たという話を聞いたが、それが今回の市議選に関係しているという噂である。仮にこの大災害を自分の選挙に利用しようという行為が有れば、それは許されるべきではないし、市民も騙されないことを願うばかりである。
 
 被災地の方にとって『今までの日常』を取り返すことは永久に失われてしまったかも知れないが、それでも一刻も早く安定した『これからの日常』が行われるように、後背地である我々も頑張らねばならない。そのためには残り12日となった選挙が一刻も早く終結すればよいなと思いながら本日の記載を終える。