九十九里町で考える | |
2015/08/09記 | |
東京では7月31日から連続で猛暑日が続き、8月5日もともかく暑い日であった。記録は7日までの8日間連続で途絶えるのだが、5日の自宅事務所の焼けるような暑さに耐えられず、突発的にドライブに出かけてしまった。 突発的とは言いながら @千葉県道路公社が管理する有料道路7路線(東総有料道路、鴨川有料道路、千葉外房有料道路、東金九十九里有料道路、利根かもめ大橋有料道路、銚子連絡道路、九十九里有料道路)の通行料金が9月30日まで終日無料となる事。 A九十九里町片貝漁港に2013年5月に海抜17mとなる津波避難タワーが完成している事。 B津波避難タワーの隣で「海の駅九十九里」が本年の4月24日にオープンし、2004年7月30日に天然ガス充満による爆発事故で休館となっていた「いわし博物館」を引き継ぐ形での展示が行われている事。 C旭市で開催されている「あさひ砂の彫刻美術展」が8月7日まで開催されている事等で行く先は九十九里と直ぐに決まった。 袖ケ浦ICより圏央道に乗って茂原長南ICで降り、長生ICから九十九里有料道路を走って「海の駅九十九里」に到着した。 水槽には3000匹と言われる鰯が泳いでおり、中の展示も鰯漁に関したものが多く、九十九里町の誇りが約11年ぶるに復活したことは嬉しかったことだと思う。海の駅も平日の昼まであったにも係わらず多くの客で賑わい、木更津に予定されている海の駅の参考にも成ろう。 個人的にはこの横にある津波避難タワーが気になっていた。前に静岡県袋井市で見た命山と津波避難タワーの何れが良いものかと最近考えているからである。 九十九里町には山が無く、丘を造成するために必要な土は航路の浚渫土くらいしか無く、購入する場合は高い運搬費を払うことになることや、大きな丘の造成は九十九里平野の景観上相応しくない事が理由とは思うし、避難タワーは用地が狭く済むので土地購入の費用が少なく済み、防災関係の交付金を使えることなどで自治体にとっても財政上のメリットは大きいと思う。因みにこれより低めのタワーを造った旭市の事例では1基当たり3千万円の事業費という新聞報道があった。 東日本大震災では旭市の飯岡地区で波の干渉で波高が大きくなったことで被害が生じているが、九十九里町では比較的軽微な被害であった。しかし今回建設されたタワーは房総沖地震を想定して非常に高い建築物となっている。収容人員は150人と聞くが、威圧的な大きさである。 扉は常時閉で、災害時のみ壊して進入する形態である。隣に道の駅があるのだから九十九里浜展望台として観光施設にすれば良いのにと思うのだが、避難タワーの目的外使用として国が認めていないとしたら勿体ない話だと思う。 地域の人が常時利用することで、避難場所だという意識も高くなることと、仕上がりの無骨さを考えると、個人的には丘陵を造成して公園利用を兼ねる、袋井型の方が私は好感を持てる。 九十九里沿岸では被害を経験した旭市の防災対応が進んでいるが自治体によって差が大きい。白子町のように避難できるホテルのビルが有るところは良いが、逃げる場所が近くにない集落も多く見られる。内房でも富津市富津周辺や木更津市久津間等で充分な避難が出来ないエリアも多い。東日本大震災の記憶が遠く成りつつある昨今であるが、改めて事前の対応が自治体に科せられているのだと九十九里町で考えてきた。 |