熊本での地震に思う | |
2016/04/21記 | |
今月の14日の21:26に震度7、M6.5で「平成28年熊本地震」が発生してから本日で一週間となる。最初の情報は出産を控え入院中の妻から電話があって見たテレビで知った。震度は大きかったが地震規模から考えると断層直上の局所的な揺れであり、当時一緒にテレビを見ていた義父・義母も九州の親戚に電話をかけて被害がない事を確認したので、この地震が大きな被害に及ぶとは思っていなかった。 その後、16日1:25にM7.3の『本震』が発生し、南阿蘇村で発生した大規模な土砂崩れや、益城町や西原村での建物の倒壊等により今日の昼の報道では48名が亡くなり、震災関連死も10名に成ったと伝えられた。本震の映像から百名を越える被害者が出るのではと懸念していたが、地域力を示した救出活動でこの程度に留まっている事は奇跡のように思える。 熊本は4年前の夏に会派の視察で行き、朝のうちに熊本城の復元整備計画の進み具合を見学したが、今回の地震で天守閣の屋根を始め、多くの石垣や櫓が壊れ、被害の象徴に成ってしまった。生活者の支援が優先であるが早く元気な熊本を取り戻して欲しいと願うばかりである。 昨日の昼間の放送では、震度1を越える有感地震は760回を越えたようだ。頻発する地震と、今後更に大きな地震が来るのではという恐怖のために本来は生活可能な自宅からも避難する人が増えているようだ。避難所では物資不足が深刻になるとともに共同生活による感染症が心配され、乗用車で寝泊まりする人はエコノミー症候群に襲われるなど、被害は拡大している。 最初の地震は「日奈久断層帯」で発生し、本震は「布田川断層帯」を震源としており、大分県の「別府−万年山断層帯」でも地震が発生している。これらは中央構造線の一部を構成しており、南側の八代方面でも発生しつつある。 震源の分布から考えると別府や小国等の空白地帯に歪みが集まるだろうから今後の地震発生が懸念されると、地震に関して素人の私も心配するが、緩んで亀裂の入った斜面に降る雨は地滑りの原因となり、堆積した土砂による崩壊の危険性は土木技師の私には恐怖を感じる。もちろん、そのような危険性が杞憂に終わってくれることを望んでいる。 1995年の阪神大震災がボランティア元年といわれ、2011年の東日本大震災で日本人の心の中に『絆』という意識が高まっている。今回も多くの場所で支援の活動が開始され、木更津市においても市役所に日本赤十字社の募金箱を設置し、陸上自衛隊木更津駐屯地からは大型輸送ヘリCH-47が4機と隊員50人が現場に派遣されているようだ。 新日本製鐵君津が九州との繋がりが深いため、向こうに友人や親戚が居る市民も多いものと思われ、もっと積極的に行政が動くべきではという声も聞こえないではない。 今回の地震では福岡・北九州・鹿児島といった九州の大都市群がほぼ無傷で残っており、避難者はとても多いものの被災の規模は『大震災』という規模でなく九州の一部に収まっている状況だ。 従って復旧は九州を中心に進め、医療や建築といった特殊な才能を別にすると、通常の人的支援は関西圏あたりまでとして、特に間近なGWではボランティアの処理で現場が混乱する事が無いようにと、個人的には思っている。 因みにボランティアセンターは益城町で今日から運営を開始し、熊本市では明日から始まるようだ。近くで有れば足を運びたいと思うが、当面は控えたいと考えている。なお、GWの5月7日〜8日に友人から福島県南相馬市のボランティアに誘われたが、そちらは公務で行くことが出来ず残念である。 イオンやローソンといった物流系、吉野家やCOCO一番といった飲食系の企業が採算を度外視して貢献している姿も報道されている。現地の企業はそれこそ当事者として奮闘していることだろうと推察され頭が下がる。今はいたずらに自粛するより支援している企業に寄り添う事や、九州の産品を積極的に購入することで経済的な後押しを行いたいと思う。 そして募金による資金援助等に心を配りながら日常生活を送り、世間がこの災害を忘れかけた頃に、そっと現地に行って客足の途絶えた観光地に泊まり、励ますことが出来ればなぁと考えながら今回の地震報道で思っている日々である。 |