94.8月上旬の活動記録
 1日は朝5時半に起床して、6時半に木更津駅に集合、会派羅針盤の6名で羽田空港から熊本に飛び視察を開始する。台風10号の影響が心配されていた熊本空港は意外にも晴れており、そこからジャンボタクシーで玉名市役所に移動。市役所前の桃苑で熊本ラーメンのルーツといわれる玉名ラーメンを食べ、午後1時から市役所で研修を行う。
1.熊本県玉名市
 市制施行 平成17年10月3日(旧玉名市:昭和29年4月1日)
 人口 69,587人(平成24年3月31日現在)
 面積 152.55km2
 平成24年度一般会計決算額 260億22百万円
 財政力指数 0.46 (平成21年度)
 視察項目 『市庁舎建設に係る検討状況及び結果』について
 木更津市で庁舎の建替の検討が開始されようとしているが、平成18年に基本計画を策定しながらも議論が続き、ようやく用地買収を行うための事業認定に着手する玉名市における経過を参考にするため訪れた。
 市役所は昭和32年の建設で、平成17年の1市3町合併の時から建替は合意事項になっており、合併特例債を充当することも決まっていた。平成18年に基本構想を定め平成19年にはプロポーザルによる基本設計も済み、平成20年には新たな官庁街に用地購入を行う計画となっていた。
 しかしながら、庁舎の60億円と予想されていた総事業費から20億円削減を主張する新市長が選挙の結果、平成21年11月に就任し、建設位置を含めて見直すことになった。学識経験者3名、市民7名に加え議員2名(議長と新庁舎建設特別委員会委員長)からなる12名の検討委員会を立ち上げ、既に決まっていた場所に現位置での建替と新たに廃止した工場用地を加えた3箇所での検討が行われることになった。市長派が少数になる議会の中からは『安かろう悪かろうは避けるように』という意見も出される中で、最終的には当初案の位置で階数を減らす等の削減をして約45.5億円の基本設計案に基づき、平成27年の完成を目指すという事になったようだ。
 合併による合意事項であるため、改選前の当初案は市役所内部で作成される事に大きな異論も無く、議会も特別委員会等の対応がなかったが、新市長の元ではお目付的に委員会が設置され市民等からなる検討委員会の報告や意見交換の場として機能していたようだ。なお、財源については合併特例債(約260億円)の枠に余裕が有るようだが、借金であることには変わりないと、一層の削減を目指すという事である。
 本市でも計画が策定されたところで市長選挙を迎えることになる。そこで争点に成らないことの方が不自然で、選挙結果によっては玉名市のように紆余曲折が起きることは覚悟せねば成らず、そうであれば基本設計を終えてしまうことが良いのだろうか、と思い初日の研修を終えた。
 
 2日は朝の散歩に熊本城を訪れ、開門のイベントに感心してから城内を早足で見て回り、9:44の九州新幹線で新鳥栖を経由して武雄に移動する。宿に荷物を降ろし、武雄市のシンボルである武雄温泉の楼門(東京駅を設計した辰野金吾が設計)を見てから市役所まで徒歩で向かった。
2.佐賀県武雄市
 市制施行 平成18年3月1日(旧武雄市:昭和29年4月1日)
 人口 51,007人(平成24年6月30日現在)
 面積 195.44km2
 平成24年度一般会計決算額 212億6536万円
 財政力指数 0.47 (平成21年度)
 視察項目 『図書館の民間委託・市広報のfacebook化』について
 武雄市は私より6歳も若い樋渡市長のリーダーシップの元でユニークな自治体運営を進めている。今回は@TSUTAYAを展開するカルチャア・コンビニエンス・クラブ店に管理を委託する事、A市のホームページを廃止し全てを
facebookに移行した事、BF&B良品として地場産品のネット販売を始めたことの3項目を視察する。
 市役所玄関に着くと数多くの視察受入札が下がっていた。市民に向けて武雄が注目されていますよと示す効果だろうが、県議会を含み週に8議会という多さには驚かされ。また市内宿泊が受け入れ条件なので我々を含め、温泉街の活性化に寄与しているだろう。
 武雄市は組織も独特で、6個の部は「政策部」「つながる部」「営業部」「くらし部」「こども部」「まちづくり部」であり、課の中には「お結び課」「海外対策課」「いのしし課」「がん検針率向上課」等があり市長の特別な市を作りたいという意欲を感じる。ちなみに視察を担当していただく方は「つながる部フェイスブック・シティ課フェイスブック係長」であり、他に「市長秘書官」「企画課企画係長」「企画課ユニバーサルデザイン係長」「被災者支援課副主幹」「営業部企業立地課副主幹」を兼務しているという、職員の能力を最大限に発揮させる自由な人事体制にも驚かされたし、説明者が自分の経歴を披露することから始めることもユニークである。ちなみに、この人材確保を支えているのがUIターン採用で、390名中20名がこの制度で採用され、元官僚や大手民間企業出身者もいる。
 @図書館の民間委託については国内に多くの事例があるが、ここで特徴的なのは単に図書館機能を委託するのではなく、代官山に開業した蔦谷書店のようなサービス力を取り入れることであり、来春からの委託であるため細部の制度設計中であるが、飲食の提供や物販も行う、新しい図書館の形態となる見込みである。現在の司書等の処遇については、本人の希望が有ればTSUTAYAで雇用してもらうが、市としては学校に回し教育現場での活用を行いたいようだ。
 AHPをfacebookに移行した事で運営コストは40%減少しつつも見るものは60倍となるなど効果が大きく、特に災害情報では市民からのコメントで市役所も情報把握が出来るなどメリットは大きいようだ。また実名性という性質から暴言のような「荒らし」は殆ど無く、そのためコメントの削除も希だという事である。
 市も「情報」を発信するのではなく「共感」を発信して市民とつながるという姿勢を維持し、時々は祭りなどの柔らかい話題を織り込むことや、頻繁に送られて「うざい」と思われないために1日4回程度のアップとしていること、さらに休日夜間でも反応するように担当職員に多くの情報発信の権限を渡すなど、運営の姿勢は参考になった。ただし、24時間365日対応するという覚悟がなければ他の自治体のように見られない事になるという指摘は木更津で運用する場合の課題になる事もよく解った。アカウントを執らなくても自由に見ることが出来るようにfacebookの機能が変わっているが、それの理解や使用を増やすため市内各所で市民に勉強会を開催するなどの対策も行っているようである。
 B上記のfacebook利用者は市内に留まらず全国的に広がるよう成っているため、そのアクセス数の向上を地域所得の向上に繋がるように市役所営業部で2011年11月7日から「F&B良品」として地場産品のネット販売を開始した。最初は2品目だったが今では40品目を超え、250万円を超える売上となっている。さらに陸前高田市など多くの地方自治体と共同して品目を増やし、地方からの発信を深めていくという事である。専属の職員をおいた場合は費用対効果的にどうかと思うが、前述のように兼務をする人事制度もあり、また議会も地域の宣伝となるから積極的に進めるべきだという意見があって、今後も拡大する方向のようだ。
 約3時間に及び研修を終え、委託予定の図書館を見に行くと、人口の割には素晴らしくモダンな設備であった。これは大きな改修も行わずに新たな形態での運営が可能だろうと思うが、来年以降に再度訪れてみたいと思わせる場所であった。この日は温泉宿で八ヶ岳の筋肉痛を癒した。
 
 3日は朝8時に迎えに来たジャンボタクシーで最後の視察地の大村市に向かう。市制施行が木更津と同じ年で、やはり70周年記念事業を行っている大村市であるが、視察項目は議会改革である。
3.長崎県大村市
 市制施行 昭和17年2月11日)
 人口 92,321人(平成24年4月1日現在)
 面積 126.46km2
 平成24年度一般会計決算額 358億7千万円
 財政力指数 0.62 (平成21年度)
 視察項目 『議会改革の取り組み』について
 大村市では市民から議員定数削減の要請が出され、平成15年の改正前の定数30人から2期連続して削減し、現在の定数は25人になった。削減要求が出されたと言うことは議会の活動が理解されていないことだと考え、平成20年2月より議員全員による議会報告会(語ってみゅーか)を開始し、現在も主に5月と11月に市内8箇所で説明会を行っている。議員は議長を除いて4班に分け、それぞれの月で2日間担当する制度で、設営や記録も議員が担当し、議会事務局は広報や共通資料作成を行っている。参加者は各会場で10〜60人程度で、メンバーが固定されつつあるという問題もあるが、概ね好評で今後も続けていくようだ。議会内で議論が分かれたような問題は、報告会を行う事で意味が市民に伝わり、理解されるなど効果は大きいようだ。
 議会基本条例が作成されていたり、委員会審議が2日に渡って行われたり、25名の議会で質問者が17名もいたりと、大村市議会は木更津より働いているという実感がなされ、この様な活動を通じて議会活動を伝えないと市民に議会不要論が起きかねないと思ったし、木更津市でも何らかの取り組みを考えねばと改めて痛感しつつ視察を終え、議会事務局職員に長崎空港まで送って貰う。
 14:00の全日空機で羽田に着き、16:05のアクアラインバスで羽田から木更津に渡り、18時から君津で開催される賢友会総会に出席、さらに19時からの石破茂代議士による時局講演会を聞き、その後の懇親会にも出席して22時過ぎに帰宅する。視察から連続する日程は流石に厳しいと思った。
 
 4日は午前中に溜まった仕事や書類を片づけ、昼からHPの更新を始めるが、視察の前に登山記録の整理をしたり、晴れ始めたので定点観測の写真を撮りに行ったりと仕事が進まず、深夜遅くになってもアップ出来なかった。
 
 5日は午前中にHPの更新を済ませ、昼から買い物に出かけ、夕方から蘇我のフクダアリーナで栃木SCとJEFの試合を見る。オリンピックの代表と比較しては失礼だろうが動きも少なく、無得点の引き分け試合であった。この様子ではJ1昇格は厳しそうだ。
 
 6日は午前中に個人的な所要を済ませ、午後から市役所で会派代表者会議と市庁舎整備特別委員会幹事会に出席する。代表者会議は港まつりの状況報告や総合高校の甲子園出場に150万円を予備費から支出した事などの報告であった。特別委員会幹事会は、20日に行われる委員会の質問受付など進行方法を話し合ったのであるが、現在検討されている案は、報告を聞いてハイそうですか、と言えるようなものではなく、今年の議会も揉めそうである。夕方は町内でお祭りの会計報告に向けた打合せを行い、取り敢えず祭礼関係が一息ついた。
 
 7日は朝8時15分に市役所に集合し、総務委員会が企画した防災拠点の視察に同行させてもらう。最初は有明にある東京臨海広域防災拠点である。
 阪神大震災で情報収拾や物資の分配に混乱を来した経験から計画された施設であるが、現地対策本部を念頭に置いた設備であるため、そのオペレーションルームには驚かされる。
 防災研修施設や常設のヘリポートも含んだ大きな公園も併設されており、空間が貴重な東京では得難いバーベキュー広場も置かれていた。 木更津で東京東側の防災拠点整備が行われるとしても、この様な頭脳機能や、隣の病院と一体になった医療支援ではなく、緊急物資や人材機材の速やかな展開のための基地になると考えさせられる。その様な意味で次の川崎市にある東扇島の防災拠点の方が類似性が高い。
 ここは耐震岸壁を活用し、海上輸送で送られてきた物資を小分けして被災地へ供給することを目的として整備されており、平常時はサッカーコート2面と人工海浜、多目的広場が置かれ川崎市が管理している。年間の維持管理費は2千万円程度らしいが、有料駐車場の収益も有るようだ。
 展望デッキ等、様々なものが整備されておるが、野球場のような常設空間は非常時の展開の障害になり認められなかったようだ(サッカー場も多目的広場という扱いで、駐車場側にのみネットが有った)。この様な展開となっても江川総合運動公園の脇に併設されることは望ましいと考えながら視察を終え、6時からの航空自衛隊盆踊りに出席し、地元の人達や自衛隊の方々と意見交換を済ませ、その後に研修の情報交換を行い夜遅くに帰宅した。
 
 8日は午前中に市内で所用を済ませ、午後からHPの更新等を行う。途中で様々な所要が入りトップ頁の更新まで手が回らない内に夕方となり、友人との約束で市原に行く。そしてそのまま自宅に帰らず東北へ向かって夜の道を走っていった。
 
 9日は途中のPAで仮眠を取った後、大衡ICで東北道を降りて宮城県の海岸を気仙沼まで走り、被災地の今を見て回る。詳細は
最近思う事に記載するが、まだまだ復興への道のりが遠いことを実感せざるを得ない。
 
 10日は早朝に気仙沼を出て秋田県南部の湯沢市まで走り、日帰りで
高松岳に登る。携帯の電池容量が落ちてくるが充電器がないため対応できず、下山後にはアダプターを探しに湯沢市内に入り、量販店で機材を購入する。その足で国道13号線を走り山形に泊まる。
 
 11日も早朝から走り始め、帰省ラッシュで渋滞する東北道の下り線を横目に東京へ向かい、昼過ぎに帰宅する。連日のハードワークで疲れが出て昼寝をしていると来客で目覚める。後片づけなどをして早めに寝た。
 
 
2012年8月中旬の記録