糸魚川の火災に思う
2016/12/26記
 22日の午前10時20分頃、この季節の日本海側には珍しく南からの強く乾いた風が吹く中、糸魚川市の駅北口にある中華料理店から出荷した火災は強風に煽られた飛び火で広がっていった。
 広範囲で発生した火災は糸魚川市の消防隊12隊と消防団50隊だけでは抑えきれず、隣県も含む広域な自治体や自衛隊の応援も得て消火作業が続き、144棟の家屋を焼損させ、出火から約10時間半後の20時50分に鎮圧され、残り火が消えて鎮火が発表されたのは出火から約30時間後となる23日の16時30分であった。
 この規模となる大規模な火災は、東日本大震災や阪神淡路大震災といった津波や震災に起因するものを除けば1976年の山形県酒田市の火災以来といわれる程の火災であるようだ。
 
 この糸魚川市には10月13日に総務常任委員会で収納率の向上方法を視察に行った都市であり、前泊して街中を歩きながら、雪国の特徴でもある雁木がよく残り、古い酒蔵や割烹などが密に立ち並ぶ街並みに感心してきたところである。
 泊まったホテルは延焼範囲の少し外側であるが、個人的に散歩したエリアの多くが燃え尽きてしまっており、年越しを自宅で迎えられない多くの人達が居ることに対して何か支援をと思っていた。
 
 本日、別件で議会に行くことがあったとき、滝口議長より総務委員会がお世話になったお返しにお見舞い金を届けようという発案がされ、その様に思っていた私も賛同させていただいた。三上議員会長や白坂副議長も登庁されており、打合せの結果、5万円の義捐金を送ることが決められた。内訳は議員全員の24人から成る議員会が30,000円(1人あたり1,250円)、直接現地でお世話になった総務常任委員会の8人で20,000円(1人あたり2,500円)の上乗せをする(議員会の分と合わせると総務常任委員会所属の議員は1人あたり3,750円)というものである。市内で議員個人が寄付をすると公職選挙法の規定に触れるが、このような行為なら堂々と行えることは有り難いことである。
 
 さて、今回の火災では、これだけ大規模でありながら消防関係者の怪我を除くと、住民の人的被害が軽微であった事は奇跡的である。これだけの軒数の中には障害者や要介護の高齢者も多くいたと思われるが、相互に助け合って避難した事に、改めて糸魚川市の住民組織の力を感じる。我が市でも自主防災組織の充実を進めているが、同様の行動が取れるか、正直心許ない。
 
 また、雁木こそ無いものの、古い漁師町を中心に木造密集地区が多い街並みも多く残っており、その様な場所では糸魚川市と同様に車両の進入が困難となり、消防活動が充分に進まない可能性もある。これから乾いた北風が強くなる時期を迎えるので改めて注意が必要だと思うと供に、延焼防止のため、街路樹や公園といった緑の防火帯を挟むようなまちづくりを進めて行くことも考えるべきだろう。
 今回の火災では多くの消防車両が同時に消火活動を行ったために水が不足するといった事態に陥った。古くは阪神淡路大震災でも水利が無くて消火が出来なかった事態があった記憶が残る。糸魚川市では近くに日本海が控えながら、海水を水利としての消火活動が出来なかったと考えると、船橋市が計画した、火災時には下水道のうち雨水管に海水を入れて水利にするといった様な戦略も考える必要が有るかもしれない。少なくとも河川から容易に水を上げられる方法は考えるべきであろう。
 
 糸魚川の人達は今まで大きな災害を受けてこなっかたから戦前からの古い街並みが残せていた事だと思う。市民の心には、糸魚川には大きな災害が来ない、良い街だ。という気持ちも有ったかも知れない。現在の木更津市民も、この街には大きな災害も無く住みよい所だと思っている人が多い。
 明日は我が身と考えながら、短期的に取り組むことと中長期的に行うことを整理し、災害に強い街を作らねばと、改めて思った次第である。