2016年を振り返る
2016/12/31記
 今年は大掃除をするつもりが子守の手伝いに時間を費やし、中掃除程度の作業で大晦日を終えることになる。事務所の西の窓には夕日が綺麗になってきたので、今年に成って急に注目され始めた江川海岸に恒例の今年最後の夕日を見に行かねばならない。
 帰ってきてから毎年続けている「今年を振り返って」を記載しようと思いつつ、冒頭だけ作成してから海に行った。
 
 大晦日なのでツアーバスこそ来ていなかったが、港には推定60台を越える車が停まり、ナンバーを見ても品川や多摩といった見慣れた物に混じって岡山とか三重なども有り、すっかり夕日の名勝に成ってしまったことが、まず今年変わったことだろう。
 
 私的には、昨年は配偶者と過ごす一年で生活スタイルを合わせることに苦労したが、今年は4月15日に長女が誕生したので、その前の数ヶ月は妊婦の手助け、出産後は里帰りへのサポート、そして成長していく乳児の世話と、生活の中心には常に娘が存在していた。もっとも私が行った育児は微妙なもので、殆どを育児休業中の配偶者が行っていただいている事は間違えない。妻へ心から感謝すると供に、自分もこの様に手間を掛けさせながら大きくなっていったんだなと改めて親心を実感する一年であった。
 子供と一緒に寝るため、深夜の事務作業が更に減ったが時間をやりくりして情報発信を続けた結果、昨年は85回まで減ったHPのトップページの更新回数は92回に盛り返した。しかし記載に時間の掛かる「最近思う事」はこの記事を含めて32本で昨年の44本より大幅に減らすことになってしまった。
 趣味の活動も色々と減少し、登山も昨年の13座が9座に減り、そのうち4月の出産後は秋の長雨の影響もあり僅か4座に登っただけで終わってしまう。これは四市合併運動で忙しかった2002年以来となる、年間登山回数の少なさである。
 読書も年間34冊と少なく、特に今月は読み終えた本がないことを気にしていたが、調べてみると昨年も32冊と少なく、その前の年の36冊程度は読んでいたことに気が着いた。旅行は娘の首もすわって落ち着いてきてから松江へのロングドライブ、長崎への空の旅などに出かけたし、妻子を置いて学生時代の友人とカンボジアへも行ったので旅は充実した方だったかも知れない。
 
 議員としての活動も例年以上に活発で、9月から12月に掛けての休会時期は連日のように公務があり、木更津市は通年議会に成ってしまったのではと錯覚するほどであった。原因の一つは来年から定期整備が始まるオスプレイに関して基地対策特別委員会の開催が多かった事もあるが、渡辺市長が3期目に入り、副市長も新しくなる中で様々な施策を積極的に展開し始めたためであると考える。今年の渡辺市政には目を見張る物が有るが、来年は『オーガニックなまちづくり』を掲げオリンピックに向けた国際的な活動も広がり、更に行政が活発になると想像すると、議会で着いていけない者が出てくるのではと心配にすらなる。
 総務委員長としては予算決算の審査方法を大きく見直した成果が出ていると思う。それでも常任委員会と特別委員会の委員長を兼務することのハードさを感じているので、任期途中でも役員の改選が出来ないものかと最近は考えている。
 議会質問は例によって6・9・12月の3回の実施であったが、特に最後の12月議会での質問は単に数値を聞くとか成果を問うといった段階でなく、問題の解決のために必要なコスト等を示した上で行政判断を迫るといった今まで以上に次元の高い段階に手が届いて来た満足感がある。年明けの3月は休むつもりだが、来年もより充実した、行政を動かすような質問を続けられるよう心がけたいものである。
 視察は会派で広島方面(大竹市・呉市・竹原市)と山梨方面(諏訪市・南アルプス市・北杜市)に行き、総務常任委員会では信越方面(吉川市・糸魚川市・長野市)と土浦市、基地対策特別委員会では沖縄方面(宜野湾市・那覇市)、議会運営委員会では山陽方面(備前市、姫路市)、議会基本条例策定特別委員会では県内(市原市・四街道市)に行くなど勉強を積み重ねた年であった。
 その一方で農協の理事も1期3年の任期で終え、木更津法人会では芝植え程度の手伝いしか行わず、巌根駅快速列車停止協議会では特に動きがなかったことなど、議会以外に若干の反省点が残る。妻からは子供のためにも体重を落として健康体に成ってと言われているが、それも全く達成できないままに今年は終わってしまった。
 4月には熊本で大きな地震が発生し、年末になって茨城でも震度6弱を記録するなど大地動乱の時代は続いている。来年は大規模な災害が発生しない穏やかな年となる事を望みつつ「最近思う事」の記載納めとする。