暫定配備が始まる
2020/07/10記
 7月6日から開始される予定であったオスプレイの暫定配備であるが、梅雨前線の停滞による災害規模の悪天候で2度の延期が行われ、本日午後2時に米軍岩国基地を飛び立った初号機が午後4時5分に木更津駐屯地に到着した。
 暫定配備期間は5年以内と防衛省も約束しているので今日の到着を持って暫定配備が開始された起算日となり2025年7月9日までにはオスプレイ部隊は木更津から次の配備先に移転する事になるだろう。
 
 さて、木更津市には「オスプレイ来るな・いらない住民の会」という団体があり、先日も市長に対して8千人の署名を添えた配備反対の要望が行われたが、昨日も防衛省に対し24万人の署名を添えて配備撤回を求める要望を提出し、その後に千葉県庁で記者会見を行ったことが新聞に記載されていた。
 本日も駐屯地と細い水路を挟んで南側に対峙する公園で多くの人が集まっていた。会場に田中議員が行っている事も知っていたので午後1時半頃に見に行くと多くの労働組合等の幟が立ち並び、2回の空振りを経ても全国から多くの方が集まったようである。
 
 私は協議会のメンバーとして暫定配備の開始を確認するため永原基地政策特別委員長と15時に駐屯地に到着し、8階の応接室で同じく協議会の委員である更谷木更津駐屯地司令、松田北関東防衛局長と供に待機する。一時的に雨も降ったがオスプレイの到着が近くなると青空が広がり始め、逆光で機体が見えにくく成りそうだなと心配しているうちにオスプレイは大島を通過し、木更津まで残すところ15分程度となったことが伝えられる。
 応接室から駐機する場所に近い格納庫に併設されている事務所の2階に移動し、近隣区長や漁組の関係者という部会のメンバー、市の関係職員や防衛省及び駐屯地の方々と供に陸上自衛隊オスプレイが到着する時を待ち構える。
 報道関係者は同じ格納庫のエプロン前に集結しており斜め下に見えている。聞けばUPIも含め27社で40名を越えているようだ。上空には報道関係者のヘリコプターが複数機飛んでおり世間の注目の高さを実感する。
 
 ひときわ大きな音が聞こえると管制塔の上にオスプレイの姿が確認された。南風なので一旦北側に移動し江川運動公園側から進入し、私の時計では16時5分に木更津の地面に着陸し、耐熱塗料で対策され雨で濡れた駐機場に移動して停止した。
 
 逆光ではあるが日の丸と「陸上自衛隊」という文字も確認でき、尾翼には機体番号「JG-1705」も判読される写真は永原委員長が一眼レフカメラで撮影したものである。
 岩国から木更津までのフライトを担当するのは米軍のパイロットではなく、米軍でオスプレイのパイロットを経験した後にベル・ボーイングに採用されたパイロットのようで、同じクルーが岩国に戻り、改めて2機目も運んでくるために次の機が何時届くのかは明確に成らないようであるが、来週には到着するものと考えている。
 
 ともあれ、今日の木更津駐屯地への到着は単に木更津での暫定配備が始まると言うだけではなく、日本の自衛隊、いや日本国が始めてチルトローター機を所有したという意味でも記念すべき日であり、オスプレイの導入に向けて尽力した自衛隊関係者の皆様には、今までの苦労を振り返って自らを慰労するような、お祝いの日に成ったことであろう。
 一方、日本の空にオスプレイは要らないと考える人々にとっては悲しい日と捉える者もおり、また屈辱的な日になったと考える者も居るのではと思うが、今日は一つのポイントであり、今後も撤去を求め反対運動を進める事になるのであろうと推察する。
 地域住民にとっては、現実的に運用を開始する来月以降、騒音や震動がどの様に影響を及ぼすか心配している事と思うので、その対策をしっかり進めていきたいと思う。因みに今日の初号機到着にあたっての騒音等の調査は木更津市の環境部で対応しているように聞いている。
 
 暫定配備を行うための条件整理を行った木更津市議会としては、配備開始が終了ではなく、ここから対応が更に重要になることを意識して行動していかなければならない。
 特に私と永原委員長が議会のみ成らず、市民の代表として出席している『木更津駐屯地に関する協議会』では運用開始木に周辺住民から出される多くの意見を解決するための部会の意見に耳を傾け、市と自衛隊が協力して解決していく方向を見いだすことが重要であると感じている。
 また、前回も書いたことであるが、訓練内容がある程度明確になった頃に、反対派の方々や近隣市及び訓練が行われる地域に居住する情報不足の方々も含め、オスプレイについての正確な情報を勉強する場を設ける必要があるだろうと感じている。
 
 歴史を変えるほどではないが、チルトローター機を日本でも所有する時代が始まった7月10日の夜に、この様なことを考えていた。