秋の訪れを感じて
2020/09/17記
 暦の上では5日後に秋分の日を迎えるように秋のまっただ中で有るはずなのだが、数日前々まで暑さが厳しく夏が続いているように感じていた。ここ数日、朝が涼しいなと感じて来たので、例によって木更津市請西南にあるアメダス観測データで7月末から昨日までの50日間の最高気温と最低気温を調べてみた。
 
 8月1日から9月11日まで2日間を除き観測されていた30℃以上となる夏日と25℃を下回らない熱帯夜が収まり、一気に涼しくなったことがデータの上からも明らかになった。9月議会はクールビズ期間なので委員会にはポロシャツを着て出席しているが、そろそろスーツを着ることに抵抗が無くなることが嬉しくなる。
 
 木更津市議会は本日の決算審査、23日の交通政策及び基地政策の両特別委員会協議会を経て24日に最終日を迎えることになるが千葉県議会の定例会は昨日に初日を迎えたようだ。同じく昨日には臨時国会で首班指名が行われ菅総理大臣が誕生した。
 民主党から自民党に政権が移って以来となる総理交代という事より個人的には市議を経験した総理が誕生することで地方交付税の財源(所得税・法人税の33.1%、地方法人税の100%、酒税の50%、消費税の19.5%)見直しや臨時財政対策債といった地方に渡された問題点を解決して欲しいと願う。それでも安倍内閣を継承する形で誕生したので大きな変化は生じないものと思うが、新内閣として新型コロナウイルス経済対策の追加措置を行うような向きになれば、県議会や市議会でも対応を行うことになり、更なる補正予算を検討することが必要に成ってくるだろう。
 そうでなくとも来月中旬に対策予算の執行状況を加味した補正予算のための臨時議会が開催される見込みであり、昨年9月の台風15号の襲来以降、さながら通年議会のように毎月議会を開催しているように感じている。臨機応変に対応できている事には誇りを感じるが、社会状況がこれほど目まぐるしく変化すると個人の生活に加え企業や組織が対応する事は大変だろうと感じている。
 
 感染症も第2派のピークを越えたと国内では認識されているようで、木更津市でも9月5日から昨日までの11日間における新規感染者は2人に留まっており町村では確認されなかった。しかし市原市ではクラスター発生を含む爆発的な増加に曝され、房総半島全体ではむしろ加速気味なのである。
 
市名 感染者数 町村名 感染者数
1 館山市 6→6 1 九十九里町 2→2
2 木更津市 47→49 +2 2 芝山町 2→2
3 茂原市 11→16 +5 3 横芝光町 7→7
4 東金市 6→6 4 一宮町 3→3
5 勝浦市 7→7 5 睦沢町 0→0
6 市原市 63→99 +36 6 長生村 0→0
7 鴨川市 1→1 7 白子町 1→1
8 君津市 17→17 8 長柄町 0→0
9 富津市 3→3 9 長南町 1→1
10 袖ケ浦市 14→16 +2 10 大多喜町 3→3
11 南房総市 2→2 11 御宿町 0→0
12 山武市 15→15 12 鋸南町 0→0
13 いすみ市 6→7 +1
14 大網白里市 5→6 +1
市計 203→250 +47 町村計 19→19
房総半島合計 222→269 +47
 
 これを毎回のグラフで表すと、房総全体の26市町村や木更津以外の値は上昇角度が急になり、増加傾向が明かとなる。
 
 
 市原市が房総全体に占める割合は9月5日の比率が28.4%から36.8%まで一気に上昇した。累計者数も間もなく百名を越える勢いであるが人口あたりの感染者数を考えると依然として木更津市の方が多い状況にあることは変わりはない。なお、今回も房総半島での構成比を再度円グラフにすると下図の通りである。

 夏の感染拡大を海水浴場の閉鎖という苦渋の選択で乗り越えた富津市から横芝光にかけての海岸の方々には申し訳ないような京葉工業地帯での増加傾向である。千葉県では今まで5人以上の宴席を自粛するよう要望していたものを解除したが、手放しで喜べる状況とも思えない。 
 
 秋を迎え小中学校では運動会の季節となる。地元では岩根小学校が今月26日に、岩根西中学校が来月19日に開催予定であるが、例年来賓として案内を出す地域の区長さんを含め私も今年は自粛が求められている。多くの会議は書面議決でという案内が届き続け、新年早々に予定されていた毎年恒例の県南市議会議員研修も中止になる旨の連絡が届いた。
 秋の収穫後に水利の争いを未然に防止する事や様々な調整を込めた各区役員による懇親会も早々に中止が決まっており、消防団による秋の早出大会も開かれない。このまま忘年会・新年会シーズンを迎えたら宴会場を抱える飲食店や食材を納入する業者、そして木更津で守り続けてきた芸者等の文化もとどめを刺されてしまうような危惧を感じている。
 今は個人で、そして少人数で感染対策を講じながら出来ることを考え、何とか地域を守らねばならない時であると思いながら、涼しく霧の立ちこめた朝に今回の記載を行った。