選挙と政治を思う
2023/03/01記
 いよいよ3月に入ったのでスロースターである私も選挙に向けた活動を開始しはじめたが、今月22日まで開催される定例議会における委員会審査は休まずに傍聴を続けよう考えている。
 今回は予算審査特別委員会で来年度の予算執行を審議するが、それは私が議員として戻り、行政の執行を見守るという覚悟があるからなので、戻ってくることが前提である。
 議員の多くは選挙で帰ってくることが優先され議員として求められているチェック機関としての働きが低下しているものが目立つが、それは間違っていると4年ごとに思うのである。因みに12年前に東日本大震災が発生したときも傍聴議員として中断となった全ての予算審査を聞き届けた自負がある。
 
 現職がその様な状況なので新人も議会傍聴に来るものは少なく今日は一人だけ来てくれたことに感心したような状況である。もちろん勝たなければその先がないので目前のことが重要なのは当然であるが、例えばアクアマラソンで最初の関門で切られないためにと全力疾走してその先でスタミナが切れてしまうようでは意味がないように、議員になって自らが考えるように市政を導きたいと思うので有れば、来年度予算審査ぐらいは選挙活動中でも傍聴に来るような勇者を期待したいのは私だけだろうか。
 そもそも立候補者が少なくなり関門が存在するような「選挙」が起きないと思っている人もいたのではないだろうと思う。無投票でなければ前に記載したようにおよそ500票に届かなければ24人以内に入っても失格になることを知っているのだろうか。
 
 今回は新人候補の出足が遅く、一部の市民からは無投票で選ばれるといった噂が出されたので、先月開催された立候補予定者説明会では滑り込めると思った多くの参加者が集まり、結果として想定を大きく上回る33陣営が集まる事態になってしまった。
 過去の選挙結果から推定すると200票は確保しないと30万円の供託金が没収されると理解したうえで今月22日の事前審査に来ることが出来ず説明会で諦めてしまう陣営がどの程度有るのかも見通せない選挙である。多分、都市部の多くはこの様な混沌を経験しているのだろうと思うと、今までのような枠組みが成り立たなくなると警鐘が鳴り始めたのかも知れないと考えるべきだろう。
 
 当たり前の話であるが人々の生活が続く以上は行政や政治にゴールはない。議員活動として議長になることをゴールだと思う人が居るように聴いたこともあるが、少なくとも議長を経験した私はその様な考えに立ったことは無い。議長という立場を利用して望む議会改革の一部を達成したが、それも道中場であり、まして日々の生活に寄り添う行政を照査する立場の議会には終わりはない。
 議員個人としての終了は社会の変化についていけないと自覚しするか体力的に議員が続けられないと判断するなどして自らが引く場合か、支援者がもう辞めるべきだと判断したときで、大多数の場合、そのバトンは直接渡されない誰かが引き継ぐことに成るのが議員の仕事である。
 
 今回の選挙に立候補する人たちは当選の先にある13万市民の生活に責任を負い、千人の職員を24人で対峙する議会という立場の一翼になるという覚悟を乗り越えて欲しい。当選後も弛まぬ研鑽と勉強が待っており、それを怠って単に議員報酬を貰いたいという輩の存在を私は認めたくはないのである。
 間接的な噂で、今なら当選できそうだと思って立候補をする気になった人が居るようにも聴いている。今回の事前説明会に来た新人の中には今まで多くの活動を経てきて名前が知れている人が居る一方で、ネット検索でも探し出せない人もいた。今まで木更津市を良くしようと活動してきた事のない人が、いきなり議員になってどうするのだろうと、個人的には考えるのである。
 
 本会議での個人質問は明日が最終日であるが、個人的にはそれより内容が濃いと思う予算審査特別委員会は14日から16日までの3日間が開催期間である。来年度の議員に成って行政をどうにかしたいと思うのなら傍聴に来なさいと思いながら、私も予算書を開いているだけで今回の記事を書き記している事態である。