埼玉県議会を思う
2023/10/11記
 埼玉県議会の自民党議員団が児童虐待防止条例を提案して県民の批判を招き取り下げたというニュースが聞こえてきた。欧米では児童の誘拐や殺害などのリスクが高いために子どもを一人にすることに規制を掛けてる国が多く、日本に来て小学生が一人で電車に乗って通学している状況に驚く人が居るとは聞いていた。
 埼玉県議会で出された提案は罰則もない理念条例であり欧米社会に準じたことと理解できるが同感できない。
 
 反対意見が出された論拠として多くの家庭が両親の仕事などにより「虐待」をしている当事者になるということである。我が家でも小学生の娘がおり、一人で歩いて学校に行かせること、学校から帰って自宅に居ること、休日に買い物に出かけている間に家に残すことなど「虐待」を繰り返していることになる。罰則が無くとも犯罪者にされてはたまらない。
 娘は学童に入れていただいたので「虐待」の時間は少なくなっているが、自宅に戻り本を読みたいとか一人で勉強したいという思いは条例によって躊躇されることになるだろう。木更津市では娘の通う岩根小学校の学童施設は設置が遅れた方であるが、全国的には未だに設置されていない所も多く、埼玉県でも全ての児童が負担もなく学童施設に通える状況を整えての提案とは思えない。
 埼玉県議会にも私のように小学生の子供が居る議員も居るだろうと思ってHPを調べたが、議員の年齢情報などが一覧表になっていないために手間暇が掛かりそうなので、他県のことに無駄な時間を費やしたくないから、以降は憶測として記載する。
 都市部だから若い議員も多い中で議論を遠慮しているようなら若年層の代表を行っているとは言えず、異論を排除しているようなら提案する自民党の体質も困ったものだと思うし、若手も含んで議論した結果として提案したので有れば細部の造りが未熟である。
 
 そもそも欧米と違って子どもや女性が一人で深夜でも歩ける社会を誇るべきだと思う。子どもには旅をさせよ、という言葉は聞かなくなってきたが一人旅で得られることはとても多いと実感している。高校2年生の時に仲間と自転車で出かけた袋田への旅では午前2時頃に千葉市の警官が正義を振りかざしていたが、もっと自主性を認める社会を築くべきであって規制を深めるべきではないと昭和の頃から思っている。私の娘が誘拐や事故に会うリスクを恐れて家庭に閉じこめるようなことはしたくないのである。その様な事の起きない社会のシステムを造ること、何よりその様な事を起こさない国民を造る倫理が求められていると思う。江戸末期に日本を訪れた欧米の人たちが施錠されず開放的な住居で有りながら犯罪が起きていない事を驚いていたように、日本だけでなく世界中が強い倫理観を持てば治安維持に係るコストも抑えられると思うのであるが、パレスチナの状況を思うと当面は夢物語かと落胆する。
 
 歌舞伎町の様に行き場を無くした少年少女が集まり犯罪に進む現状も有ることは理解しているが、それはそこでの対応が求められているのであり、全ての埼玉県民に規範を求めるような提案に訂正を求める議論も有ったと推察する。報道では自民党が県民の実状を理解せずに経済的に満たされた議員が提出したように歪められているようにも感じる。確かに木更津市議会で提案されたら葬り去るような内容であるが、埼玉県では提案するまでに至る様な事情もあったのだろうから一概に否定するつもりもない。
 
 報道によって歪められているのか否かは解らないが、多くの県民が求めていないことを提案したということは事実だろう。埼玉県議会の自民党議員団は悪意無く提案しているとは思うが、木更津市でも同じように悪意無く民意からかけ離れる可能性があることを自覚して議員活動を行わねばならないと今回の事案で思う。