No.24 袋田編     日本を走る ←No23天城編No25四国編→
旅行期間 1981年5月3日〜1981年5月5日 旅行日数:3日間
総走行距離 609km
走破市町村 38
当時の年齢 17歳(高校3年生)
同行者 S井・I藤 使用自転車:OP
総費用 3,323円 当時の年齢:17歳(高校3年)
初日 1981年5月3日
走行区間 自宅〜太子町鈴木屋旅館
走行距離 290km
走破市町村 23(桜,谷田部,豊里,大穂,真壁,明野,協和,大和,岩瀬,笠間,七会,桂,常北,那珂,大宮,瓜連,金砂郷,常陸太田,日立,里美,水府,山方,大子)
累計数 481
 今回は茨城県北部にある日本三名瀑のひとつである袋田の滝を見に行く旅である。そこまでの距離が長いので出発は午前0時とした。また途中で寄りたいところの意見が異なり(S井は水戸偕楽園、I藤は筑波山、私は未走破の自治体!)途中分離の現地集合案である。天城編に引き続き団体行動しない団体なのである。
 千葉まで順調に進んだ所で巡回中の警察官に「こんな夜遅くに何をしている」と派出所に連れて行かれそうになるがI藤が「強制なら書類を。任意なら行きません」と強く主張し、時間ロスを回避。考えてみれば午前1時だ。不審だよな。
 夜明け前に荒川沖に到着。6号線を北上するS井と別れ筑波学園都市に入る。国家プロジェクトの凄さを明け方の街で実感した後、筑波山登山口分岐でI藤と別れ、この6年後に廃止される筑波鉄道に沿って北上する。
 走破だけではつまらないので事前に図書館で沿線を勉強。だから朝6時半から伝正寺、雨引観音、富谷観音、西念寺、笠間稲荷、桜厳寺、静神社、佐竹寺と古刹巡りをしながら午後1時半に常陸太田に到着し水戸黄門由来の西山荘に到着。後で聞けばS井の通過した直後の時間だった。
 袋田の滝に行くなら大宮に抜けて118号を行けば良いのだが、里美村に入るため里川に沿って北上。市境を越えてたら丘を3回越えて山方に出たのが5:25。袋田駅の集合まで65分だが足が限界に近いので食堂に入り豚汁を飲んで15分の休息を取る。そしてタイムトライアルダッシュで5分前に駅到着。しかしI藤は10分待っても訪れない。滝の見学は6時までだから到着を待たずに展望台へ行き、再度駅で到着を待った。
 I藤が集合した後、降り始めた雨の中を北に向かい食堂に入る。水郡線の駅で寝やすい場所を聞いたところ、その食堂が経営している下野宮駅前旅館の布団部屋で寝させてもらう事になり安らかな睡眠を確保し長距離走の疲れを癒すことが出来た。
2日目 1981年5月4日
走行区間 太子町鈴木屋旅館〜大洗町大洗神社
走行距離 153km
走破市町村 10(矢祭,塙,鮫川,いわき,北茨城,高萩,十王,東海,勝田,那珂湊)
累計数 491
 朝から雨。前日の無理が祟って速度が上がらないまま矢祭に入る。2人にとっては初の東北入りである。塙まで北上し289号線で太平洋に抜ける。この国道の最高地点が700mを越えるという認識が無かったので思いの外体力消費をする。
 勿来に降りたら直ぐ南下開始。関所跡を見て茨城県に入り、五浦海岸見学。高萩では遠く丘の上にKDDのパラボラアンテナ等を見ながら日立に入り、海岸沿いの245号線に移り東海村に至る。
 東海村に来たなら原子力発電所を見学しよう、と向かうが休日の一般見学は行って居ないと断られ、その代わり立派なパンフレットをもらう。パンフレットの厚さにかえって原発政策が如何に困難に直面しているか印象づけられる。
 貴重さを理解できないまま日本三体虚空蔵の一つである村松虚空蔵堂によって那珂湊でのんびり食事を取っているうちに日が暮れて大洗神社へ向かい、神主が常駐しているようだが断らずに回廊で寝てしまう。
3日目 1981年5月5日
走行区間 大洗町大洗神社〜自宅
走行距離 166km
走破市町村 5(小川,玉里,玉造,北浦,麻生)
累計数 496
 早朝から神社の雨戸を開ける音で目を覚まし、急いで出発の支度をして海岸に出る。大洗神社の鳥居越しに海岸の朝日を拝み本日の帰路の無事を祈る。涸沼から自衛隊百里基地の前を通り鹿島鉄道の玉里駅に着き公衆便所を借りる。後は霞ヶ浦沿いに南下して佐原の県立大利根博物館に立ち寄り、51号線を3人でトップ交代しながら佐原木更津間を4時間という早さで順調に木更津まで走る。
 日没前に自宅に到着。わずか3日間で東北まで自走し、料金も格安で上げた良い旅だった。(次は四国編