故鈴木議員を偲ぶ
2023/12/21記
 昨日議会事務局より届いた訃報は鈴木秀子議員が逝去されたことを伝えていた。75歳であった。彼女は私より年上であるが議員としては1期下である。地元が同じ旧岩根地区で有るため選挙に立候補する頃より色々と話を聞いており、当選後も同期で最年少であった私と1期下で最年長である彼女は常に議席が隣り合うこととなり、12年7ヶ月間、定例議会の数としては51回にわたり隣の席であり続けた。所属政党は自民党と共産党で主義主張は大きく異なっていたが大らかな性格であったので話しやすく、タブレット導入に馴染めない彼女に色々と手助けして上げたことも懐かしい想い出である。身体の節々が調子悪いように聞いていたが先月中の議会での様子を見る限り命に係わるような事態になっているとは想像さえ出来なかった。ご冥福を祈りたい。
 
 鈴木議員が亡くなられたことにより木更津市は24人の定員に対して一人欠員の状況となる。私の記憶の範囲では過去20年間で木更津市議会の議員が欠員になった案件は下表の通りである。
 
氏名 理 由 選挙後の期間
岩瀬 満 2003年07月に死去 3ヶ月
高橋 浩 2009年02月に県議選立候補 1年10ヶ月
石井 量夫 2010年04月に死去 3年00ヶ月
石川 哲久 2019年03月に死去 3年11ヶ月
平野 卓義 2022年03月に議員辞職 2年11ヶ月
鈴木 秀子 2023年12月に死去 8ヶ月
 
 岩瀬議員の逝去は選挙からギリギリ3ヶ月以内で有ったため公職選挙法の規定に伴い次点であった金井珠美さんが繰り上がり当選を果たした。高橋議員の辞職に伴う欠員は一年後に実施された市長選挙に併せて補欠選挙が行われた。その際に当選された小林元議員は同じ会派となり議席番号1を譲って2番に移動したが、補欠選挙で敗れた候補が今では同じ会派を組む永原議員というのも世の中の巡り合わせの不思議さを感じる。
 それ以降の事例は市長選挙の日程に乗ることがなく補欠選挙は実施されなかった。今回の鈴木議員の逝去に伴う補欠選挙は国政選挙や県知事選挙等とは同時に実施されず、渡辺市長が任期を全うした場合は2027年3月の市長選挙に併せて行われることとなるので、私の隣は2年以上空席が続くことになる。
 例外は市長が任期を全うせずに辞職して早めに選挙が行われる場合、議会が解散した場合、4人以上の議員が辞めて1/6を越える欠員が生じた場合などであるが、それらは現在の状況を考えると想定することはなかなか難しい。
 
 鈴木議員は唯一の共産党議員であったので、彼女の逝去に伴い日本共産党は木更津市の議席を失うことになる。人口10万人を越える市議会で共産党が居ない議会は少ないであろう。木更津市には立憲民主党の議員が残るので議会の緊張感が薄れることは無いとは思うが、彼女を失うことによって議会が緩んだと言われないよう残された我々も細部に目を光らせることが重要である。
 
 歴代の共産党市議が調査研究して蓄積してきた会派室の膨大な資料は前任の佐藤元市議が片付けに来ることが想像されるが、部屋ががらんと広くなり寂しくなるだろう。考えてみれば小学校から高校まで隣の席にいた人を大学1年生で失ったような長い時間である。明後日のクリスマスイブに地元のお寺で行われる通夜で焼香をしながら在りし日を偲ぼうと思いながら今回の記事を記載させていただいた。