09.3月下旬の活動記録
 21日は未明の大風や雷で心配であったが、8時を回る頃から天気も回復し、無事市長選挙及び市議補欠選挙の告示日を迎える。8時半には水越事務所に行き手伝いなどを始める。
 9時半過ぎには市議補欠選挙を行う小林紀之候補も会場に訪れ、10時より出陣式が執り行われた。多くの推薦と来賓で会場は溢れてはいたが、有権者に多くの団体が良いと思っている理由を伝え、理解して貰うことが出来るであろうか。会場には安心しない・油断しない・手を抜かないとのメモが張ってあった。式典後は事務所で事務を手伝っていたが、午後2時から金田地区の都市計画変更説明会に出席するため金田小学校へ行く。掲示板には市長候補3人と市議候補2人が掲示されていた。
 
 三井アウトレットの出店する東側と一緒に西地区の都市計画変更も行われる説明会であった。用途地域の境界が機械的に道路から25mで引かれており、通常の道路中心に設定しなかったことが気になり質問したが、詳細は建設常任委員会に付託されたときに議論をすることにした。
 午後4時半から尾張屋岩根店で行われる水越市長の応援演説を行うために車を運転していると金子候補の街頭演説や小林候補の休息風景に出会った。市民への浸透度をこの1週間でどこまで高めるかが勝負であろう。尾張屋の街頭では斉藤議員と供に買い物に来ているお客さんに対し水越市長の支援を呼びかける。
 6時からは江川区の新旧役員会議に出席し、来年度の組織体制について調整を行い、それが7時半に終了したら再度水越事務所に顔を出す。慌ただしく告示初日は過ぎていった。
 
 22日は前日の強風で作業を控えていたポスター設置作業を午前中に済ませ、昼から年度末で退職される方の送別会に出席する。昼から酒が入ってしまったので、帰宅後は犬の散歩を行った以外は、室内で事務作業を行うだけで春分の日の振替休日が終わる。
 
 23日も朝からポスター設置の依頼に走り回る。既に選挙戦も3日目に入っているが、協力者の都合というものも有り、設置期間5日の表示である。選挙に入る前に設置できなかった理由は右写真に示す許可証が期間に成らないと入手できないからであり、無い物は違法表示なのだ。
 その後、「元気な木更津をつくる会」の活動として、自転車で岩根地域の細かな路線や、祇園・太田などを自転車で走り回る。連日走っている渡辺県議は筋肉痛を感じ始めているようだ。
 
 24日は寒い雨の日であるが早朝の挨拶立ちに同行し、その後は個人的な年度末の仕事を片づけながらHPの更新も行なう。選挙期間中なので誹謗中傷と思われるような記載を避ける事に気を使わねばならない。
 午後から地元の方々の元に、再度お願いや確認で走り回る間に、水越市長候補と小林市議候補が同一箇所で行う演説が有ることに気づき聞きに行く。この日は選挙公報も届き、選挙戦も前半が終了するが、特に市議選の認知度が市民の間で低い感覚を受ける。補欠選挙の難しさだろうか。
 
 25日も朝から冷たい雨が降っている。この日の挨拶場所は我が家から歩いていける海上自衛隊前なので休むことが出来ない。完全防寒の上にレインウエアを着込み冬山に入るように海上自衛隊前に行く。入り口を挟み反対側には小林市議候補が立ち、お互いにお願いの呼びかけを続けた。
 挨拶を終え歩いて帰宅し、ひと仕事を終えてから市役所に行き、前日発表された職員の移動情報を入手する。部長級人事については経済部長・水道部長・消防長・議会事務局長が留任した以外は全て変更となっておいる大規模な変更だった。ただ、総務部長・企画部長・環境部長・教育部長は別の部長が横滑りしており、昇進は財務部長・市民部長・福祉部長の3名だけなので、その点では大幅とは言えないかもしれない。土木部と都市部が統合されて出来る巨大組織の都市整備部長は県庁からの派遣人事となるようだ。助役を受け入れていた頃よりはマシだが、市役所内部の技術系職員はどう思っているか、と技官と事務官が交互にトップをしていた旧道路公団職員の経験から考えてしまう。
 夕方には昨年から木更津市内に移転してきた新日鐵君津管理センターで行われる「かずさ市民応援団」の総会に出席する。最近はかずさマジックが都市対抗野球で東京ドームに進んでいない事が残念だという話題が雑談で多く出ていた。
 
 26日は朝から「元気な木更津をつくる会」の活動で、岩根地区を広報車と供に自転車で走り回る。午後2時過ぎに活動を終えたら水越市長の立ち会い演説会を聞きに羽鳥野のODOYAや木更津駅西口等に向かう。関係者は懸命に動いているが、市民の関心は今ひとつのようで、投票率が心配になる。
 夜中に岩根4丁目で火災の発生を知る
 
 27日は朝から岩根4丁目に行き、桜祭りの中止で慌ただしい役員の話を伺う。前夜の火災で亡くなった方が出ている以上、中止は懸命な判断だと思うし、火事の当事者も祭りを中止させてしまったことで自らを責めることがないように願いたい。
 ひとたび自宅に帰り、午後2時から尾張屋岩根店の駐車場で行われた水越市長への投票を依頼する応援弁士を浜田代議士や斉藤市議と供に勤める。大勢の方々が集まっていただいたので、今市長を変える必要は無いという私たちの主張が広がることを期待するばかりである。
 応援弁士を勤めた後は、自分の自転車に乗って江川・中里・吾妻を経て農協本店、次に清見台の坂を越えて小松ストアー、ほたる野の坂を下りてアピタ等の駐車場まで走り続ける。周囲からは走りがタフだと言われるが、自分自身は3年前に比べて体力の低下を実感している。
 日が暮れた後は桜井のスーパー富分と木更津駅東口で行われた立ち会い演説会を聞きに行き、1週間の選挙も終了の時を迎える。明日は木更津の将来を託す、重要な日が訪れる高揚感を持ちながら帰宅する。
 
 28日は木更津市長選挙投票日である。午前中にHPの更新を終えてから岩根西公民館へ投票に行く。公民館を出て、前日選挙事務所に置いてきた自転車を取りに行き、市内で雑用を済ませて帰宅。家の雑事を終えてから選挙事務所に行き会場整備に協力。そして20:15に木更津市民体育館に設けられた開票場に行く。今回の選挙では水越陣営選出の開票立会人を勤めることに成ったからである。この日の投票率は市長選挙で44.58%で、前回より高くなっているが、まだ過半数が棄権している状況である。それでも45,769票が確定するまで帰れない仕事である。
 開票所には選管の事務職員3人以外に87名の職員がスタンバイをしていた。開票立会人は市長選の3陣営と市議補選の2陣営から各1名、ならびに選管選出の1名が市議補選の立会人となっており、以上6名に対して説明や諸注意を行った後、21:10より開票作業が開始となる。
 開票作業についても写真で状況を報告したかったのであるが、特定陣営に便宜を図ったと勘違いされないようにと許可を得ることが出来なかったので上記は作業開始約1時間前の写真である。それはともかく開票は順調に進み、職員も各々の持ち場を終えた者から暫時帰宅していった。開票立会人の前に置かれたテーブルには投票用紙が200の束になり積まれていく。有効票に目を通すと「みづこし(正しくはみずこし)」とか「石川ひさのり(正しくはのりひさ)」と云うような間違えもあったが、投票人の意志を推察して無効にしていない状況だった。開票開始から1時間程度で情勢は明らかになり、市長選は22:37に、市議補選は22:57に下記の結果が確定した。
市長選挙  市議補欠選挙 
氏名 票数 備考 氏名 票数 備考
水越 勇雄 23,420 当選 小林 紀之 25,339 当選
石川 哲久 16,723 永原 利浩 14,500
金子 康男 5,041 無効票 白票 3,709
無効票 白票 356 その他 2,213
その他 228 合計 45,761
合計 45,768
 私は市長選の立会人であったので、市議補選の膨大な無効票には何が記載されていたのか知ることは出来ないが、市長に投票した無効票の中には「3254130:ミズコシイサオ」のように余分な事を書いた者や「金子のりひさ」のようにどちらか解らない者、「み」だけで記載を終えてしまった者、薬師丸ひろ子や大月みや子のように有名人を書いた者、×というような記号を書いた者など、多種多様であった。しかし、それ以上に白票の多さにも驚かされた。開票所の体育館は寒く、すっかり身体が冷たくなった23時過ぎに帰ることが出来た。ちなみに開票立会の手当として規定で1万円が支給された。開票が長引けば大変であるが、このように早く終わる事が多いなら半額や無報酬でも充分ではないかと思う。
 
 29日は朝から選挙用掲示物の回収作業に走り回りながら、お世話になった人々達に感謝を伝えて回る。選挙直後はこれが肝心である。
 午後からは農協の総代会に出席する。議案については12日の夜に行われた総代説明会で内容を聞いていたので進行はスムーズに進んだ。なお、この日の総会を持って、我が父が3年間勤めた監事職を辞任した。多くの役員が新規に選出され、経営を託す所である。
 総代会終了時には雨が降っており、駐車場まで傘もなく駆け抜け、帰宅後にはHPの更新等を行った。
 
 30日は田植えを向かえて水を張った田圃の表面に氷が張るような冷たい朝ではあったが、天気がよいので潮干狩りの賑わいを見に江川海岸に出かける。平日なので人の入りは今ひとつだったが、ナンバープレートを見ると群馬や八王子など、アクアライン効果が出ていると思われる地域からの車が目に付いた。対岸の横浜もよく見えていた。
 
 一旦帰って作業をしていたが、天気の良さにつられて、富津市金谷に出来たと報道のあった美術館を見に行く。金谷は木更津に先行して「恋人の聖地」の指定を受けたところである。
 美術館はフェリー乗る場の入り口国道脇に建ち、デザインは一部に金谷石を意匠として張り付けてあるが、基本的にはコンクリート打ち放しの仕上げであった。鈴木家の藏を使った別館も落ち着いていて良かったがアプローチが側溝のコンクリート蓋というのが興ざめである。展示品には良い解説が付いていた。
 金谷地区は鋸山の登山道としての車力道の整備、大学生と共催して街中に作品を展示する企画など、住民主体によるまちづくりが進められているところには感心していたが、今回の美術館も個人での経営と聞くと頭が下がる思いである。なお「恋人の聖地」のモニュメントはフェリー乗り場の奥に工事中であった。美術館を見終えて、少し身体も動かそうと鋸山の往復を済ませ、汗を吸った服を着替えることもなく帰宅したら見事に風邪を引いてしまった。
 
 31日は水越市長の初登式を見るため朝8時に市役所に行く。多くの議員も集まっていた。進行はこの日で定年退職する池田総務部長であった。式典後、会派室で雑談をしていると退職の挨拶などに次々と人が訪れる。慌ただしかった選挙期間も全て過ぎて、明日から新年度が始まる実感を深める。
 帰宅してHPの更新でも行おうとパソコンに向かうが熱でだるい。薬局に行き薬を飲み、昼食も取らずに夕方まで床についてしまった。後日聞いたら選挙終了後に風邪を引いた人が実に多かった。
 夕方6時になったら隣組の常会に出席する。昼間の風邪薬が効いて少し楽に成っていた。この常会で1年間努めていた「組長」職も引き継ぐことが出来て、私の平成21年度は終了した。
 
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2010年4月上旬の記録