遺産相続で考える
2024/04/18記
 先月の11日に父が亡くなり様々な手続きを進めている。父の配偶者である私の母が存命であり、私の兄弟である姉と妹も近所に住んでおり、なおかつ日常的な交流があるから遺産の分割には心配していないが、相続を経験した人の話を聞くと「相続する財産」というものに対して心配が生じる。
 
 地域の名士の相続者である友人は、相続が終了して安心していたところ、税金を払っていない共有財産が発見され、その資産に対して高額の課税がされたというし、別の友人は課税対象額以下の小規模な土地の存在を把握できず、後日登記手続きを迫られたようである。
 本年度から相続登記が義務になっている。相続者の一員である私は漏れないように手続きを済ませようと思うのであるが、その財産の一覧表に類するものは木更津市では資産税課での調書を信じるしかなく、仮に木更津市以外の自治体に父名義で課税対象以下の土地が存在していた場合や共同所有で納税していない土地が有った場合は納税通知も来ないので、同居の家族には所有していた情報も届かず、相続漏れになると考えると嫌になる。
 国において相続事務を義務化するので有れば、せめて法務局の登記簿に載っている財産を国において一元的に把握し、途方に暮れている遺族に対して相続しなければならない資産を通知すべきだと思うのだ。調査不足で相続が漏れたものを税務署が調査して追徴課税するのは本末転倒だと思うのは私だけではないだろう。
 固定資産の全てを個人番号にリンクさせれば技術的には容易になると思うが、個人情報を何より大切にする人たちはこの様な問題が生じていることに目を向けていないのであろう。
 
 幸いにして遺書を嫌っていた父の財産は数人での分割となるので話し合いは容易であるが、相続対象者が数世代の大多数に及ぶ事例も耳にする。故人との関係も始めて耳にするような実質的な他人が権利を振りかざして揉める事案も多いようだ。
 個人的にはこの国は敗戦後の民主化という言葉の元に私有財産を保障しすぎているように感じている。私の考えは故人が所有していた財産のうち課税対象土地は長期間(次世代に問題が引き継がれないように50年程度が妥当かと思われる)納税し続けた人が善意の取得者としてに全権利を相続できるようにするとか、課税対象額以下の土地で本人の死亡から2年以内に相続登記をされないものは国有地にするような法律が必要であると考える。
 それ以外にもバブル期に原野商法で投機を目的に多くの人に権利が渡り、たとえ納税をしていたとしても期間に渡り何も農業や林業のような経済行為がされていないような土地は国か地方自治体が土地収用法の適用を待たず適正な価格で強制的に権利を取得するか同様の土地に交換することの出来る法律も必要だと思う。
 参考:「不在地主を考える
 
 父名義で多くの土地が有ったので個人での対応を諦め、相続事務は友人の税理士と司法書士に任せることにした。税理士からは固定資産以外で車などの資産の相続を忘れると課税されるとアドバイスを受けた。父名義の車は生前に処分していたが、趣味で多数購入して遺族には迷惑施設になっており誰に聞いても欲しいと言わない灯籠や庭石も課税されるなら父を恨むことに成るだろう。
 市道に面していない土地に建つ築50年近い建物で雨漏りが酷くて入居者が居ないアパートは、今後は接道条件で更新が認められない可能性がある土地でありながら評価額が想定以上に高く示されていることに驚いたり、30年以上前に死去した叔父の土地で往来の無くなった親族から裁判が成されたことの記録を父の書類の中から発見したりするなどバタバタとした日々が過ぎている。
 
 金融財産に対しても一様な対応でなかった事にも驚いた。千葉信用金庫は新千葉新聞を読んで死亡に気付き口座を凍結していたが千葉銀行は財産の照会を行う段階で凍結とした。相続せずに凍結の前に引き出すことも可能だったのだなと考えた。信金は財産の照会に対して少しの待ち時間で即日回答がされ手数料も440円だったが銀行は770円を支払ってから9日後に回答が来た。組織の大きさなどの差はあるだろうが信金の対応力の高さには改めて感心した。農協は親身になって対応してくれ手数料も440円だったが、ここは私が過去に理事をしていたことや葬儀を頼んだこと等々特殊事情があるので評価の対象とはしない。
 
 父は保険に入ることが何故か嫌だったので死亡に際して保険料の給付はない。財産の総体を把握したいので「エンディングノート」を書くように仕向けたことがあるが相手にしてくれなかった。自分が居なくなる世界を想像することが嫌だったのだろうが兄弟の多くが同じ問題を生じていた経験がありながら後始末をしたくなかったというのであれば本当に迷惑な話である。
 月末には父の七七日忌(四十九日)法要を喪主として行う予定で冥界に旅立つ父を送ることになるが、それまでは近所に居るはずの父へ対するぼやきと、自身が同じ轍を踏まないことを誓いながら雑然とした考えを記載した。