自民党全敗に思う
2024/04/30記
 28日投開票の衆議院補欠選挙は政権政党でありながら立候補を見送った東京15区と長崎3区と、与野党一騎打ちとなった保守王国と言われる島根1区での敗戦を含め、3つの選挙区から全て自民党が消えるという逆風の強さを見せつけるとともに、全ての選挙区で立憲民主党が勝ち批判票の受け皿としての強さを見せつけ、東京15区と長崎3区で候補者を立てた日本維新の会は受け皿として認められていない状況が明らかとなった。
 これで岸田総裁は選挙に弱いという印象が強くなり、当面は衆議院の解散が起きないだろうということは選挙運動をしなくて済むと単純に安堵するものの、そもそも政治が不安定に向かっていく状況には心の底から不安を感じる。
 
 私が議員になる前に「自民党をぶっ壊す」と言って国民の絶大な支持を集めた小泉内閣は2001年4月26日から2006年9月26日までの長期政権を築くなかで規制緩和を進めた結果、不況からの復帰を果たしたもの、労働市場の自由化で非正規労働者が増加して現在の日本の晩婚化や少子化を招く原因の一助になったり、運輸や教育への新規参入が進んだ結果、運転手や教育現場での労働条件が悪化して賃金も下がるなど弊害を招いたことは認める。
 2007年4年22日の市議会議員選挙で当選した頃は最初の安倍晋三政権だったが5ヶ月後の2007年9月26日には体調不足で辞任し、その後の福田・麻生両内閣とも閣僚等の不祥事で支持率が低迷した結果双方とも約1年の短命政権となった。現在の自民党に吹く逆風を見ているとこの頃の記憶が甦る。
 
 2009年8月30日投票の総選挙では民主党への政権交代に対する国民の希望が高まった結果、千葉県内では浜田・森の両代議士以外が全て敗戦の憂き目に遭ってしまったが、その時に私が行った応援演説を読み直すと逆風の中でも適切なことを言っていて昔の自分に感心するぐらいである。
 
 その後の民主党政権に対する期待の高さと現実の落胆に国民の多くが失望し、民主党は政権を失っただけでなく政党自体が分解されて無くなってしまった。今回の立憲民主党が全ての選挙区で勝利したといっても野党協力体制が出来ている訳ではなく、国民の大多数も政権の移動までは望んでいないが批判を行いたいという文脈で行われた選挙が2009年と今回の差であろう。民意の行き先が無くなる中で、それでも選ぶなら立憲民主党と成ったことだけで、立憲民主党による政権を期待する国民は少ない。
 
 自民党も2012年12月26日から2020年9月16日まで「アベノミクス」を掲げて長期政権を築き景気を回復させた安倍晋三総理の元で多くの選挙を勝ち続けた自民党が小泉内閣後のように人気を失うことは「歴史は繰り返す」という感覚を実感する。
 ただし、日本の物価が安定し賃金も増加しない状況の中で物価上昇が進んで賃金も上がった世界各国と比較して日本が貧乏になっている状況はかつて経験したことがない。アジアから日本に働きに来る人も経るだろうし日本から豪州や欧米に出稼ぎに出る人は増えることだろう。その流れのスタートは私の実感では小泉内閣であり、途中の民主党政権でも円が強くなったものの物価や賃金については特別な変更は無かったものと感じている。
 
 政治が不安定になる中で円が売られ、海外資本が安くなった日本の企業や土地といった財産を容易に入手する事態になったら、明治維新後や敗戦後の混乱と同じ状況に成るだろうし、逆に円安の中で相対的に安くなった日本人の賃金を上昇させた後に従来の為替水準まで一気に戻した場合は日本人労働者の賃金の高さが企業にとって足枷になるだろうと思う。
 自民党が圧倒的多数を占めている状況でも物価上昇に手が打てないのだから政権与党への批判は強くなるところにパーティ券の裏金疑惑や相次ぐ不祥事で信頼が失われている状況は理解しつつも、国を正しくするための方針が見えにくい状況に危惧を感じながら大型連休を送っている人も多いことだと思う。何か出来ることはあるのだろうかと悩みんでいる。また流動化した政治の時代、何故か政治が不安定なときに大地震が起きる(阪神大震災→村山富市総理、東日本大震災→管直人総理)というジンクスは適用されないで欲しいと願いながら雑然と現状を振り返っている。