能登の震災で思う
2024/05/14記
 房総半島は能登半島と同じように貧弱な道路網が山間を通過することなど多くのインフラリスクを抱えている。今年の元日に発生した震災は他人事とは思えず、現地を確認したいと思っていた。
 震災が起きた直後には雪が消える頃にボランティアに行こうと思っていたが、父が3月11日に亡くなり3月定例会を行いながらも葬儀や相続の手続き、後援会報等の作成に追われ、四十九日法要を終えると大型連休になってしまった。連休中には能登に多くのボランティアが向かったようだが、相変わらず金沢からバス送迎を行い現地では3時間程度しか活動できないものが多いようだ。それでは被災地の現状が解らない。そんなことを考えていると、登録した石川県災害対策ボランティアセンターより現地集合型のボランティアが穴水町と志賀町で応募を始めたことを知らせてくれた。
 後援会報の郵送作業や6月定例会の通告に向けた事前告知も済んだので唯一枠が残っていた13日の月曜日に申し込みをすると右のようなメールが届いた。「予約番号」や「メニュー名」という項目にイベントに申し込んだように錯覚させられながら現地に向かった。
 以下、現地を見て、思ったことの簡単な報告である。
 
 能登半島を一周できるように往路は富山県の小杉ICで降りる。午前7時過ぎに能登へ向かう国道は電力会社の工事車両が多く令和元年房総半島台風のようである。富山県内では橋の前後の段差は感じたが大きな被害は目に出来なかった。
 石川県に入り七尾市に入ると市街地で倒壊している建物や液状化による港湾施設の損傷などが見られるようになる。ボランティアの需要もまだ多そうだと感じたが、翌日に志賀町で一緒に作業した人が前日に七尾で行ったことはボランティアを活用しませんかというビラ配りであったと聞きボランティアのニーズが無いのかと驚いた。他人を家に入れたくないという話は東日本の災害時にも聞いていたが、震災から4ヶ月を経て必要な人は既にボラセンを活用し、そうでない人は応募しないということなのであろうが現地はまだ人出が必要そうである。住民と行政の乖離なのかは解らない。
 能登半島地震は激甚災害に認定されているため倒壊家屋の撤去は国費で行えると思うのだが、それが進まないのは手続きの難しさか手続きを行う行政職員の不足か、所有者との連絡が取れなかった事なのかは解らない。災害が落ち着いたら理由を聞きに市役所を訪ねたいと思った。
 
 七尾から北上すると倒壊しても放置されている建物が増える。道路は応急復旧が進んでいるが斜面崩壊の危険性の有る場所を中心に各地で片側交互通行に出会う。段差処理などで舗装工事の需要が多く、全国から応援が入っていたのだろうと想像できるが、平時でも公共工事で地域の建設業者やアスファルトプラントを維持していくことが防災上に重要であることを改めて考えさせられる。
 
 せっかく久々の能登半島なのだからと地方創生臨時交付金の無駄遣いと揶揄されたイカの駅のモニュメントも見に行く。国道から離れて通常なら人が来ないような場所であるが多くの観光客がいたことに感心し経済効果は高いのだと感じる。モニュメントの出来映えは良く一見の価値は有ったが、それより売店で酒蔵が倒壊している松波酒造のお酒が売られていたのが嬉しかった。能登半島には他にも多くの造り酒屋が有ったが殆どが震災の被害を受けて廃業に向かうものも多そうである。地域の地酒は祭礼などと結びつき文化を支えてきたと思うのだが、全国の酒飲みが支えなければ再建は難しいだろう。今回販売されていた酒は震災前に瓶詰めされていたものと聞くが地域の財産が今後も続くことを願いたい。
 
 更に北上して珠洲市に入ると更に倒壊している住宅が増えるし、生活道路である橋梁は段差処理がされずに未だに通行止めに成っていた。観光名勝の見附岩を44年ぶりに見に行くが岩の上にあった松の林が崩れ落ち景観が変わっていた。広い駐車場には避難所として利用するためかトレーラーハウスも駐車されており、観光地として復活するのは当面難しい状況だろう。近隣の宿泊施設や商店街も全て営業していなかった。この辺りではインフラが何処まで復活したのか解らない。
 
 珠洲の街中まで行く時間が無いことと日本海沿いの国道が通行できないという情報を得ていたので「のと里山街道」で能登空港を経て輪島市へ向かう。補修箇所は多いが通行には支障無い。沿道には営業している店舗も多く、私も8番らーめんを見つけて店に入ると午後1時を回っていたのに4組が待っているほどの盛況ぶりであった。ガソリンスタンドやコンビニも営業しており震災直後のような物資の不足は感じられなかった。
 
 昼食を摂る頃から降り始めた雨は強くなってきた。その様な中で地震と火事に襲われた輪島市のその後を見に行ったのであるが正月から時が止まっているかのようで、倒壊したビルの解体や火災現場の後片づけもされていなかった。災害ゴミの仮置き場が確保できないのか運搬する業者がいないのか解らないが、この被災状況を130日間も見続けている輪島市民の心境を考えると辛くなる。分別する人材が足りなければボランティアを募ればよいだろう。毎日百人が働いても半年分以上の仕事量はありそうだ。
 
 朝市用の観光駐車場にはキャンピングカーが並び、中にはナンバープレートが無いものがあったので遠方から搬送してきたものと思われる。復旧工事の関係者が宿泊しているのか用途は解らないが宿泊事情は未だに回復している気配がない(宿泊検索サイトでも物件は殆ど無い)。奥能登に宿泊施設は無いかも知れないが仮設住宅の建設予定地でない公園にテント設営を認めればボランティアは集まるのに、未だに金沢からの送迎を行う石川県の意向が理解できない。現に珠洲市ではアウトドアメーカーのモンベルがテント村を設けて珠洲市の需要に対応していると聞くし、能登空港や七尾市にもテント村が設置されるようだ。取り敢えずトイレが使えれば後は全て自前で解決できるボランティアは私も含めて多い。県や各自治体の対応が残念でならないが、木更津で同様の事態が発生したら「完全自立の方」という条件で受け入れようと思う。
 
 また歩道を歩いていると液状化によりマンホールや無電柱化のハンドホールが浮上している姿も目に付いた。浮上防止のためには埋め戻す土を液状化の恐れが少ない粘土か改良土にするか、空洞状態での比重を1以上にする事が容易である。粒径の大きい砂礫も水圧が瞬時に抜けるので液状化はしないが、周辺の砂やシルトが空隙に入り込み陥没の危険性があるので薦められない。比重を重くするためには周辺にコンクリートを巻建てれば容易だが改修や撤去が困難に成る。個人的には底版を深くして比重が高く余っている溶融スラグを入れることが安価で容易かと思う。木更津市でもみなと口の無電柱化を進めているので対策を確認したい。
 
 輪島では倒壊していなくて傾いており「危険」判定を受けている住宅も多く、居住できない人は多いであろう。住民を鼓舞するように鯉のぼりが空を泳いでいる姿が印象的であり、明日の希望を持って輪島を後にすることが出来た。 
 
 夕方には輪島市門前地区に入り災害ボランティア議員連盟東京支部の方々が災害ボランティア議員連盟副会長の川上岐阜県議に協力して、もんぜん児童館前に設置した入浴施設の外観を見る。次いで半島が隆起した影響を確認するため鹿磯漁港に向かうと沖合に有っただろうと思われるテトラポットは砂浜の中に見え、波打ち際はさらに沖合に遠ざかっていた。近くの住民は今後砂塵の被害が多くなるだろうから被覆する植物の対策が急がれよう。
 港湾では底の岩が露出して船舶は近づけない状況である。能登の多くで使用できない状況なので集約して港湾の復旧を目指すと聞くが、廃止される漁港周辺の集落は人口が減少し、衰退に向かうことがないことを願うだけである。いっそこの様な港を観光資源として売り出すのも手である。トトロ岩とのコラボも良いだろう
 
 門山地区から翌日に活動をする志賀町に入って日帰り温泉が営業している道の駅で車中泊し、翌日は午後4時までボランティア活動を行ってから内灘の温泉や金沢の酒屋、野々市の回転寿司などに立ち寄り、復路は金沢西ICから高速に乗って帰路に着いた。
 
 イスラエルによるガザ侵攻、自民党の政治献金問題に端を発した衆議院補欠選挙や法改正、海外での大谷選手の活躍など常に新しい報道が追いかけられ、今年の元日に発生した能登半島の震災についての状況が最近では見えてこない。水道の復旧は遅れているようだが道路は多くが通行できるようになっていたので、報道より実際に自分の目で見て感じることのほうが遙かに有意義だ。
 観光客を受け入れられる状況ではないが、防災を考えるものは現地を視て、今後の政策に活かすべきだと思いながら能登の震災から感じて思ったことを雑多に記載させていただいた。