冬休みを娘と過す | |
2024/12/25記 | |
12月定例会が18日に閉会となり娘の小学校の学童施設の年末パーティが19日に開催され終業式が20日に行われた。今年の年末年始は想定外に私の公務が少なく、今年から人数が急増した学童施設の負担軽減とともに娘との日々を重ねるために冬休みの間は学童のお世話に成らずに過そうと考えた。 個人的に状況を見ておきたい21日の東口クリスマスマーケットや22日の鳥居崎クリスマスマーケットに連れていき、23日は管理者の変更の効果が気になっていた小櫃堰公園を見て、更にクリスマスイブに混雑する名所になっている東京ドイツ村に24日に行くなど、娘を楽しませているのか私の興味に突き合わせているのか判別しづらい日々を過ごしてきた。今日もイオンモール木更津で久しぶりに4DXの映画を体験するなど連日遊びまわっているが、ここに記事を書いていると黒沢映画の「生きる」で元部下の女性を連れて日々を過ごす公務員の主人公と同じかと思えてくる。 明日は午前中に議会事務局に行くが、午後からは娘を連れて岩根西公民館に行って正月飾りの作成を経験させる。私が娘と同じような年であった頃は父だけでなく母も仕事で忙しく、一緒に日々を過ごした記憶は少ない。大正生まれの祖父と祖母は居たものの年齢と価値観の差が多くて、お菓子をもらうことは嬉しいと思う一方で話を切っていた記憶はほとんど残っていない。5歳年上の姉が何かと面倒を見てくれた記憶は残っている。 そんな私でも今のような私に成れるのであれば娘を含め子どもとの日々を真面目に過ごさなくても問題ないだろうと思うが、半分は還暦を超えた私が娘と遊べる日々が少なくなっていることを実感して、僅かな日々を楽しもうと思っているためなのだから負担感はない。敢えて言えば小櫃堰公園以外では入園券や映画観賞券・食費や買い物などで経済活性化に寄与している実感が激しく、財布の減りが激しい日々が続くと思うことと、溜まった仕事や雑務の処理で今夜は寝不足になるだろうということである。 都内の企業で仕事をしている妻が年末年始休暇に入れば娘を預けて山に登ったり、家族全員で亡き父を偲ぶ新年の集まりを行ったり、妻の実家に年始の挨拶に向かおうかと思っている。しかし独身時代は22年前の沖縄編を始め、旅のために仕事の正月休みを全て費やし、家族との日々を過ごしていなかったことを思えば、父になってこれほど変わってしまった自分が恥ずかしく思える。 振り返って考えてみると祖父や祖母と過ごす日々が変化がなかったためであるのか、理由は解らないが私は自宅で過ごした小学校時代の記憶が僅かしかない。父の弟たちに子どもが生まれ、正月のお餅のために餅米を庭に造ったかまどで蒸し、若い叔父や小学高学年の従弟たちが我が家に集まって何杯も臼を打ち庭に敷き詰めた茣蓙の上に餅を延ばす途中で出来立てのお餅を従弟たちと美味しく食べた記憶は良い思い出として微かに残っている。 そんな中でも父が何をしていたのかよく覚えていない。長兄として各所に指示を出し、早くから呑んでいたのだろうと想像できるが子供世代には特に何を伝えたのか思い出せないのである。父が亡くなった今年は特に子どもに残す行為を重要に思っている。 年が過ぎ思春期を迎えれば父との日々は忘れることになるだろうが、私が忘れたようにそれは仕方ないと思うし、自分の娘の記憶に残り続けたいとは願っていない。通常であれば先にこの世界から居なくなる私との記憶が少ないほうが心の傷は少なくなるだろうと思う。そのことを知りながら、その一方で多くの経験を積ませたいので娘を各所に連れていく日々を年初にも重ねる予定である。視野が広がりながら父と離れていく日々まで残り何年間を楽しむことが可能なのかと思いながら冬の日々を楽しんでいる。 |