6.3月中旬の活動記録
 3月11日の午前中に西山地区役員会議を済ませ、午後2時から江野澤後援会長と立候補事前説明会に参加してきた。父の選挙では行ったことがないので始めての会議である。
 開会20分前に到着すると既に大勢の人々が来ている。新聞報道によると現職22名、新人11名の33陣営が参加しており、それ以外に現職の高橋浩氏、元職の高橋てる子氏の2名は立候補を検討していると言う話である。つまりこれで見ると28の椅子を35人で争う選挙である。
 事前説明会では、市民に感心が有りながら意外と知られていない供託金や公的負担の話しもあった。政治に感心を持ってもらうために概略を記載しよう。
 
供託金
 木更津市議会議員選挙に立候補するためには30万円を法務局に供託する必要がある。これは売名行為などの無駄な立候補を防止するための手段でもある。しかしどの程度の得票以下で没収されるかというと
有効投票数÷議員定数÷10で計算される数値である。
 現在の有権者が約10万人。投票率を58%で設定すると上記の計算式では200票以下で没収になる。ちなみに前回は有権者数97089人、投票者数57290人(投票率59.01%)で定数が30名だから191票で没収を免れる。最小得票者の日向氏も474票だったため没収を免れている。
 
公費負担
 普通の市民も選挙を行えるように特定の項目に限り税金による選挙活動費を負担する制度がある。具体的な項目は選挙用ポスターの作成と選挙運動用自動車の使用の2点である。
 個人的にはポスターは全員が掲示するので補助も構わないが車は使うか使わないかは自由なので補助対象とするのは疑問がある。ましてハイヤーを貸し切る場合でも1日最大64,500円、総額451,500円の補助が有るというのは納得できない。しかし国が決めたことだから私も利用させて貰うことにする。もちろんハイヤーでなくレンタカーだ。この場合の負担額は1日最大15,300円であり、別に燃料代が最大7,350円、運転手日当が12,500円補助される。この総限度額は246,050円である。
 なお、補助は4月15日から21日までの1週間の使用料であるが、その前である12日に木更津警察署による車両の事前審査が行われるので、実際は10日以上の借用になる。超過分は候補者か後援会の負担になる。さらに選挙の花である「鶯嬢」は補助対象に成らない。まぁ音声を出さずに静かに走らせろという国の方針だと解釈するしか無いのであろう。
 ポスターの負担額は掲示場数で変わり、今回の選挙では282箇所有るので445,842円が負担額になる。車両の最大額との合計は691,892円である。今回35名が立候補し、全部申請すると24,216,220円が税金から出ていくこととなる。
 
選挙活動の総額規制
 選挙費用の法定額は有権者数によって異なるという話であるが、現在の状況で計算すると約400万円まで使用して良いという話である。先ほどの公費負担の合計限度額が約70万円なので、それを満額使用すると残金は330万円である。会社勤務で月30万円程度の名目支給額として考えると11ヶ月分を選挙で使用することが出来る最大額になる。
 それでも多くの市民はそんな金額で選挙が済まないと思っているし、極少数の市民はもっと選挙には金を掛けろと言う。今回の私の姿勢は低コストで選挙に望み、政策実現のための研究や提言にコストを掛けたいと言う考えであるが、それでも選挙の支出は公費負担を除いても200万円以内では済みそうも無い。選挙の支出を多いと見るか少ないと思うかはそれぞれの価値観であろう。
 
 活動の記録に戻ると、11日は上記の立候補者説明会を受けた後、雨上がりの街を支援者への挨拶に回った。夕焼けの富士山が綺麗だった。
 
 12日の月曜日からは妹が職場を休職して選挙の手伝いに参加してくれた。今までの父の選挙では事務と指揮を私がしていたが自分が候補者になってしまうと事務、指揮ともに誰かに任せなければ成らなく成るわけである。幸い事務は妹に任せる事が出来るので助かる。この頃より18日の事務所開きに向かって事務用品の整理や片づけが開始される。
 また、この日に後援会が発注したジャンバーが到着した。私の意見でたった一文字「忍」を入れただけのジャンバーである。これなら選挙に関係なく着られるが、着たい人が居るだろうか?ちなみに下の写真は私がモデルに成って撮影した物である。
 
 13日からも支援者への挨拶や立候補届出の書類作成の日々を送る中で時間が過ぎ、16日の金曜日には法務局へ行き供託の手続きを済ませ、その足で千葉銀行木更津支店へ行き30万円を納めてきた。いよいよ後戻りも出来ない状況になっている。
 目の前に迫る様々な諸問題の解決のため、役員と打合せを重ね、出陣まで1ヶ月を切る状態の18日に事務所開きを迎えることと成る。
 
 →2007年3月下旬の記録