8.4月第1週の活動記録
 3月30日に渡辺芳邦県議の出陣式に参加してきた。設営中に強い雨が降っていたから青年部は大変だろうなと思いながら、来賓として参加する自分を不自然な気分で感じていた。式典開始時には雨も上がり、大勢の参加者の中で粛々と式典が進んでいった。自分の行う出陣式を考えると緊張や戸惑いを感じているうちに式典も終了した。
 統一地方選挙の前半戦もスタートして選挙本番の開始である。
 
 県議の選挙戦は開始されたがこちらは自分の選挙を進めることの方が重要である。また、私の支援者の中には荒生候補や中村候補の支援者も居るはずであるし、金子候補の場合は岩根小・中先輩だけあって同級生や友人も大勢居ることを知っている。だから余り「渡辺」一色になることは有利では無いかも知れないが、単に友人としてだけでなく彼に期待することが大きいだけに、つい力が入った形に成ってしまう。
 さて、式典後は外回りの用事をすませて事務所に帰ると、成田から友人が奥さんを連れて激励に駆けつけてくれた。彼等には投票権はないがその代わりに木更津に残る両親やその友人に投票を働きかけてくれると言う。このような友の訪問は本当に力づけられる。
 
 31日には海上自衛隊の観桜会に出席し、夕方の万石役員引継式で挨拶した後、夜には中学時代の同級生有志が激励会を開催してくれたのでそこで政策の内容などの難しい話しや昔話などの懐かしい話題に花を咲かせてきた。
 4月に入り1日に西山区の役員引継式に参加して挨拶したり、親戚の婦人方にお茶番等の手伝いを受ける調整を行う。
 
 この頃は終盤に近付きながらも、後援会入会申込書の回収状況が思わしくなくと言っては悩み、後援会入会のお礼電話の反応が悪いと言っては心配が深くなり、選挙期間中の人員配置や鶯嬢の確保に頭を痛めていた。さっさと選挙を終えて政策を争う政治を行いたいものだと思う日々であった。それでも当選しなければ話にならないから、先ずは政治より選挙・選挙・選挙の日々である。
 また渡辺県議の選挙運動用ハガキを見て、その出来の良さに驚くとともに優秀なスタッフが豊富な事が羨ましくなったりもした。所詮、市議会議員選挙は家内制手工業だから自分や家族の少ない能力をかき集めて戦うのが精一杯である。
 
 15日以降の活動の打合せや後援会入会者への挨拶回りの中でも県からの子育て医療補助などの拡大を求めるため、県議会議員選挙の応援も行わなければならない。
 6日の金曜日の午後には巌根駅西口ロータリーや尾張屋岩根店での立会演説会に同席し、応援演説も行った。
 7日の選挙最終日には朝4時半から公設市場前で朝立ちを行うというので、1人の応援者として幟端を持ち、夜明けを見てきた。
 7日の夜には渡辺県議の最終演説が木更津駅東口ロータリーで実施されたが、後援会役員の都合が付かないために同じ時間に第4回全体役員会議を実施したため行くことが出来なかった。せっかく紹介の時間を貰いながら失礼な事をしてしまった。その代わり、夜中に最後のお願いで街頭立ちをするという計画には参加を表明したが雨のため中止となった。それにしてもこの青年部の活動力には頭が下がる。自分の選挙ではとてもそこまでは出来ないと言う思いを強くしてきた。
 
 8日は早朝に投票を済ませてから、朝から草刈している現場を梯子して回り支援に対する感謝の挨拶をしたり、日曜日なので自宅にいる後援会会員に挨拶回りを行ったり、後援会便りの号外号の打合せや青年部の活動方針の打合せなどを行っている内に夕方になった。そして、いつものように新規入会者へのお礼電話を掛け、夜9時には入浴を済ませて県議会議員選挙で支援していた渡辺芳邦県議の事務所に向かった。
 青年会議所の友人や私の推薦区の役員達が多く見える。投票終了から2時間半後になる夜10時半の第2回開票速報で17000票が示され、万歳を行った。最終結果は圧倒的な強さを見せてトップで当選だった。
 
 渡辺芳邦 20436
 中村昌成 11025
 金子康男  7993
 荒生直美  6842
 
 予想以上に荒生氏が善戦したために金子氏の得票が伸びず、結果として現職の議席は変わらなかった。
 投票日の夜は祝杯を交わし、少しの開放感を味わったら、いよいよ私の番になる。現職の座を多くの新人が奪おうとする選挙戦である。渡辺県議から勢いを貰い、兼職有利という状況だけは捨てて、これからの2週間を
戦い抜く覚悟を強くした。
 
 →2007年4月第2週の記録