10.4月第3週(選挙期間中)の活動記録
 4月15日の日曜日に告示を迎え、市議会議員選挙が開始された。
 
 初日は朝7時に事務所に集合し、活動隊長の藤野さんの運転で後援会長と青年部2名と5名で受付会場である福祉会館へと向かった。現地到着順所は11番目であった。抽選順序籤を引く順位が11番になった。
 午前8時半までに殆どの陣営が揃い、抽選順序の籤引きが行われた。私が引いた籤は30番であった。後から来た陣営が早い番号を取るのを見て朝の早出の意味も無いなと思うのであった。本抽選を行う順位が30番目ということである。
 この場に候補者本人が来ているのはほんの数名で、多くは事務所で来客の対応等を行っているようだ。今回は初陣なのでどの様に選挙が行われるかを知るべく、私も参加しているが、次回は代理者での受付にしようと思った次第である。
 
 本抽選の数値がポスター掲示や様々な公式書類での記載順に成るので、出来ることならば1番を取りたいと思っていた。抽選が進み、10人前位の石井勝陣営が1番を引いてしまった。その段階で、1桁の数字には2番と9番が残っているな、と思っていると目の前でそれらを取られ、結局私が引いたのは19番籤であった。これでは書類の受付が後半になり、選挙の開始が遅くなるなと悔やんだが仕方ない。ちなみに私の友人が受付に来ていた鶴岡陣営は最終の35番であった。
 前の18陣営の後に受付を済ませ、車両の覆いを外して看板を露出させ、8時過ぎに来ていただいた西田嬢に名前を連呼してもらいながら事務所へと帰った。
 事務所に着くと既に多くの来客で後援会前の道路が溢れている。直ぐに運動員腕章を青年部メンバーに渡し、282箇所の掲示板にポスターを貼りに出てもらった。19番はポスター掲示で中央上段で悪くない場所である。掲示斑は4斑の編成としたので、富来田遠征に出かけた青年部員はこの日に140kmを走る強行軍となった。
 
 来場いただいた方々に挨拶をしているうちに出陣式開始の10時を迎えた。出陣式の司会は青年部であり同級生の近藤昭男君である。簡単な打合せを行い、式の開始である。
 
 出陣式は本多万石地区長の開会挨拶、江野澤後援会長の挨拶に続き来賓として小櫃堰土地改良区理事長である鈴木袖ケ浦市議より祝辞を頂いた。
  そして祝電と役員紹介の後、誇りある木更津づくりに向けた決意表明を行った。多少硬い話となったが、参加者には真剣さが伝わり好評であった(ようだ)。
 なお、選挙期間中に街頭演説会を行わなかったが『せっかく素晴らしい話が出来るのだから演説会をやるべきだよ』と言っていただける方が何人も居て、サービストークであっても嬉しいものであった。
 この私の挨拶の後は達磨の目入れ式を行い、遊説隊の出発となる。
 
 初日は来客が多いので事務所に居ろと言われていたが、浜田代議士や渡辺県議が9時半開始の斉藤高根候補の出陣式に向かう途中で立ち寄られた時間には、受付からの帰りで間に合わなかった。
 出陣式終了後も大勢の人が訪れ、その対応をしているうちに昼となり、少し落ち着きを取り戻した頃には夕方になっていた。初日に全く外へ出ないのも気になるので午後5時から8時まで選挙カーに乗って市街地を回ってきた。慌ただしいまま選挙戦の初日を終えるのであった。
 2日目から朝立ちも開始した。月曜日と金曜日は巌根駅、火曜は江川の交差点、水曜と土曜はあじさい通り終点の給油契約をした日石前、木曜は旧国道16号線のパチンコディオ交差点に立ち、通り過ぎる人波や車に頭を下げた。
 また、2日目から天気の良い時間には自転車で遊説車の前を走ることにした。これでスタミナの立証と話題の喚起が出来る上に、助手席に座るよりも遙かに広い視野で多くの支援者に手を振れるし、大声も出せるし、さらには選挙期間になまった体を鍛え直す効果もあるなど、個人的には自転車作戦は大成功だった。
 
 月曜は地元から金田と中郷を走り抜けて清見台の上り下りをして来た。雨になった午後には助手席に乗り馬来田の市原市境まで細かく回ってきた。選挙の遊説車の助手席に乗りながら木更津の現状を細かく見て回っているのである。
 火曜は朝から選挙用ハガキ2000枚の確認と投函手配を済ませ、午後から自転車に乗って市街地を抜けて畑沢から大久保、羽鳥野、八幡台の南部の団地を走った。
 水曜は朝8時に事務所を出発し、矢那を越えて富岡から馬来田まで行って来た。午前中に帰れるか自信がなかったが、馬来田駅到着が朝9時という早さであった。帰路になる袖ケ浦市の横田を通過するところでも自転車を車に乗せたりはせず、全て自力で走り抜き「伝説」を造るべく頑張ってきた。しかし、パフォーマンスに厳しい坂道を昇っている時に限ってギャラリーが少なくガッカリもした。しかし選挙後に聞いた話では一所懸命さが伝わったという人も居たようだ。この夜からは選挙期間中に申込みのあった後援会入会者へ私が直接お礼の電話を開始した。
 走るだけでなく、来客の対応や運動の連日の見直しなど忙しい時間を過ごしていたので精神的にも疲れが溜まり、毎晩10時には寝て朝5時に起床という、結果として選挙期間が最も健康な日々を送っていた。
 木曜は天気も回復したが、午前中に事務処理を行い、昼から畑沢と港南台を集中的に走ってきた。細かい路地をジグザグに走ることは急坂の上り下りを続けることになり、下校中の小中学生に絶大な人気となってしまった。彼等に投票権が無いことが残念である。
 金曜は唯一自転車で訪れて居ない学校区である請西と真舟周辺を午前中に回り、午後から降り始めた雨の中、地元以外の主要な場所を遊説車で最後の挨拶に回った。
 土曜は最終日なので午前中は自転車で推薦区以外の岩根地区を緻密に回り、午後からはや西山区、万石区、江川区の順に推薦区を歩いて最後のお願い巡航をした。午前中に4時間弱自転車で飛ばした後の7時間の歩行、それも遠くで支援者が手を振るとそこまでダッシュして握手に行くという、厳しい最終日である。
 西山、万石ともに地区の支援者が自主的に大勢歩いていただき、こんなに多くの人達に支えられて選挙戦を戦ってきたんだという感慨に浸りながら活動を終え、審判の日を迎えることになった。
 
 →2007年4月第4週の記録