11.4月第4週(選挙終了後)の活動記録
 22日の日曜は投票日であり、既に電話を含め全ての選挙活動が禁止されている。選挙戦終盤に届いた後援会名簿の幾つかには、結局御願いの電話も掛けられないまま当日を迎えることになってしまった。
 この日もいつも通りに朝6時前に起床し、2週間ぶりに犬の散歩で軽く走って汗を流し、シャワーを浴びてから朝食を取る。昨日7時間歩いたため、足は少し怠いが筋肉痛ではない。既に投票時間は開始されている。
 
 8時に岩根西公民館へ行く。公民館の駐車場で『今書いてきましたら』と握手を求められたり『良かったですね』と頭を下げられたりする。今日は選挙活動が禁止されているのだから派手に動くことは自制するが、その場の皆様に深く頭を下げて管内に入り受付をする。投票用紙を手にしたら、この紙に自分の名前を書く日が来たことに妙な感動を覚える。自分の名前を書いた紙を箱に投函し公民館を後にする。
 事務所に帰ると選挙カーの看板を撤去するために自動車会社に行ったり、事務所内で開票速報を流すためのテレビを設置したり、開票状況の記入用紙を掲示したりする。そうすることで、投票状況に集中しそうな気持ちをごまかしていた。夜になり市の選挙速報のHPを見ると、自分の地元の投票区では投票率が伸びていないことが解り若干の不安を覚える。
 
 8時になると青年部のメンバーも集まってくる。2人は速報の係りとして市民体育館に行って貰う。開票開始が9時、第1報が10時というのに早くから人が集まり始める。こういう場合では候補者は事務所の影にでも居り、当落が決まってから現れるのが慣例のようだが、皆と気持ちを共有したいので事務所で伴に結果を待つ。
 10時の第1報は1%以下の開票で無視できたが、10時半の37%で600票が出たときには、安堵と同時に思ったより苦戦しそうだと気になる。またJCの先輩である鶴岡候補に200しか出なかったことで会場に居るJC関係者に動揺が走る。ただ明らかに強い公明党の住之江候補も200なので開票が偏っているのは間違いない。
 11時の速報で開票率94%で1400が伝えられ得た。当選は間違えなくなったが前回の父の得票より少ない値に成ることが明らかになり、心の底からの喜びを出来ないが、それでも大きな肩の荷が降りたようで安堵を覚える。
 すぐさま当選祝賀会が始まり、達磨の目入れ、鏡割りを行い、万歳三唱を行なった。次から次へと携帯にもお祝い電話やメールが届き、多くの人達が私を支援してくれていたことに改めて気づき、嬉しくなる。
 少し落ち着いた頃、体育館から帰ってきた2人より確定投票が1584票だと伝えられ、最後に意外と伸びたことにホッとした。
 
 酒盛りをしては成らない選挙なので、翌日が月曜と言うこともあり支援者も12時半を回ると帰り始め、1人で来客の応対をすべく、事務所で待て居ると渡辺県議が1時少し前に到着する。
 県議に当選の報告と支援のお礼を伝えると伴に、先が長いでしょうからと引き留めずに送り出して事務所を閉め、HPを更新するためパソコンを起動する。当選の挨拶は次のように書いた。
 
 「公職選挙法では、HPで当選のお礼を伝えては成らないようですから、心外ではありますが、感謝の言葉を省略させていただきます。今回の選挙結果として1548票を頂き、20位での当選を果たすことが出来ました。議員定数を18まで削減するという目標の立場からすると20位は厳しい結果ですが、これは推薦を受けたと言って安心することなく、日々の議員活動に励みなさい、という地域の声の結果だと受け止めます。そして、選挙のステージから政治のステージに進み、頑張っていこうと思います。選挙期間に表明したマニフェストをこれからどの様に達成していくか、その戦いの課程を公開していこうと思います。」
  
 23日の月曜日は少し寝坊をして、7時半から事務所で来客の応対を開始する。
 平日ではあるが結構近所の人達や仕事関係の人など、多くの人がお祝いに来てくれる。
 昼には一息ついてきたので父を事務所番に残し、ご協力いただいた方々への挨拶回りを開始する。
 そして午後3時より木更津市役所で行われる当選証書授与式に出席してきた。まだ4月中は当選しただけであり、議員の任期は5月1日からとなる。だから控え室も議席もない。
 詔書を貰った後には先輩議員である三上議員より今後の日程が5月8日に初会合、15日に臨時議会、23日から25日で新人議員の研修会が行われるように調整中であることを教えて貰う。その後は顔見知りの新人議員で軽く意見交換を行ってきた。こうして、議員への歩が始まっていくのだなと実感してきた。
 
 選挙終了後に重要なことが連日の挨拶回りである。選挙期間中の寄付を頂いた方、後援会の拡大運動をしてもらった方、精神的な励ましを頂いた方など、多くの方々への挨拶を行うことが如何に大変かと思い知らされた。またJCの先輩の葬儀や、公的補助の申請、各種会合などを行っているうちに気が付くと1週間が経過していた。気が付けはみどりの日となり世間はGWに突入した。私も昨年は山陰一昨年は東北とこの時期は旅に出るのが当たり前だったな、とテレビの交通情報などを見て、遠い昔のように思う日々である。
 
 →2007年5月上旬の記録