18.7月前半の活動記録
 7月2日の月曜日は朝から雨。そのため予定されていた議会野球部の練習と結団式が18日に延期となり、この日の予定は自由になった。溜まっていたHPの更新などを一気に行う日とした。
 
 3日は新議員による自衛隊研修日である。彼等の中には基地に入ったことが無い者も多い。そもそも昭和17年に木更津町、波岡村、清川村、岩根村の合併で木更津市が県下7番目の市として誕生したのも軍の受け入れに対応する部分が大きく、現在も京葉工業地帯が木更津市を飛び越えているのは木更津基地の存在による。逆にその為に東京湾で自然干潟が多く残る事につながるなど、この市の形態を特徴付けしていることは自衛隊によることが大きいので認識を正確に持つことが重要なのである。

 10時に吾妻の陸上自衛隊に集合し、基地の説明を受けた後、チヌークやコブラの実物を格納庫に見に行く。私もこの研修で輸送用大型ヘリを所有するアジアの国が少なく、日本は最大の50機を保有しているうちの約30機が木更津に有ることを知った。確かにスマトラ地震とかの救援に行く必要の有る部隊である。
 昼食は曹士食堂で隊員と伴に食事を取り、午後から自衛隊のマイクロバスで海上自衛隊に移動する。自宅の目と鼻の先にある戦前からの格納庫に潜水艦のスクリューまで収納していることを始めて知った。また年間調達予算が550億円と、木更津市の年間予算より多く執行していることも知らなかった。
 最後には航空自衛隊に移動し、説明と見学を行った。木更津基地の隊員数が陸上1000名、海上280名、航空550名の合計1830名も居るということは、就労者の1/30程度は自衛隊と言うことになる。今でも軍都の面を残していることは間違えない。基地に対する考えは別途まとめる。
 
 4日は館山道の開通日なので、個人的に1日館山で過ごして高速で帰ってきた。木更津の生活圏が広がったと考えるのか素通りが多くなると考えるべきか難しいところだが、少なくとも木更津市民にとって行動の幅が広がった事は喜ばしいことと思いたい。
 
 5日も新議員による研修の日で、10時から都市再生機構で金田開発の進捗とIMIによる商業施設の話を聞いてくる。都市再生機構としては平成25年までに工事の概成を迎えたいという事なので、これから急激に金田での展開が始まることになるだ。
 昼食は一旦解散し、午後2時から福祉会館で行われる港祭り資金部会の会合に出席する。JCの頃にも行っていた資金回収だが、議員になると市職員の補助が付くのである。私の30軒程が担当になった。
 その後、新日鐵君津製鉄所に行き、高炉・圧延工場・プラスチックリサイクル工場等の視察を行ってきた。新日鐵君津は職員約3000人の45%が木更津に住んでいながら工場の税収の殆どは君津に行くと言うことがどうにも納得できない。
そうは言っても職員や関連企業職員約7000人の有る程度の割合が木更津に住んでいるのだから、法人税の算定方法が変わらない限り、市民住民税が入るだけでも良しとする。マツダの工場のある府中町と広島市の関係よりはマシだろう。究極の解決は合併である。
 
 6日はゴルフ部によるかずさ四市議会議員親睦交流大会がエンゼルカントリークラブで行われる。取りあえずゴルフ部には加盟したがコースを回らない私としては、当初クラブハウスでの懇親会だけ参加の予定であったが諸事情により中止することになった。だから久しぶりにゆっくりした時間を送ることが出来る日になった。
 
 7日と8日はかずさアカデミア音楽コンクールの運営委員として予選の手伝いに行く。と言っても音楽家の先生が採点した得点の集計を行うのが責務である。だから両日とも審査終了までは他の部門の補助を行いながら朝9時から夕方6時までの長い時間を過ごすことになる。
 64名のピアニストによる1次・2次予選を経て7名が22日の本選に残ることになった。参議院選挙が29日に移動になったおかげて本選はやりやすくなったが、地元の夏祭りが選挙と重複してしまった。
 
 9日は渡辺県議の事務所に顔を出した後、天気が良いので館山道測道の整備状況や羽鳥野での建築の進捗、圏央道の工事の進捗などを見て回ってきた。

 10日は8月1日付けで議会広報紙を発行するために、午前10時から広報委員会に出席する。事務局案を元に委員全員でのディスカッションを行い、次回20日までの修正を事務局に依頼して午前中に終了。昼からは袖ヶ浦図書館に行き公園施設のディテールについて技術的な調べごとをする。
 
 11日は朝9時から木更津港祭りの寄付金集めに新田周辺地区を19軒回り、13軒から10万3千円の寄付を貰った。この寄付金集めはJCの頃にも行っているので余り違和感はないが、16年も市議をしていた父は今でも「何故議員が集めて回らなければならないのだ」と不満なようだ。
 
 12日は6月議会で質問した小学校の耐震補強工事に併せて行われる大規模改修工事について、現状の学校施設状況を把握するため地元の岩根小学校での着手前状況の視察を行った。
我が母校も老朽化が進み、床のタイルカーペットは補修ごとに材料を替えているためか見事なパッチワークである。床や天井や壁も所々に痛みが酷く、特に家庭科室は床がガタガタになっており、明らかに補修が必要な場所も多い。最盛期の半分以下しか生徒が居ないので室数にゆとりがあり、工事を前に教室の移動が行われ手狭ながらも授業を行いながら施工出来そうだが、請西小や畑沢小のように教室に余裕のないところの施工では仮設教室としてプレハブを造るのか、夏休み中に終えるような設計提案型公募にするのか等を担当と意見交換して来た。
 
 13日は明日からの山の準備をしながら市内を所用で回り、台風情報を気にしつつ読書の1日を送った。明日から月山講に出発である。
 
 →2007年7月下旬の記録