19.7月後半の活動記録
 14日の朝5時前に西山行堂に集合し見送りの人と御神酒を酌み交わしバスに乗る。バスの中で昔の講の話を聞くが、高速開業前は大変な行程だったようだ。今では7時間も走らずに月山山麓に到着する。初日は羽黒山を詣でて祈祷を受ける。宿坊には江川講や久津間講の文字もあり、この夜には佐原や八街から若い人達が講に来ていて驚く。地域の文化というものの継承を考えさせられる。
 15日は月山8合目までバスで行くが台風4号による強風のため中宮で中止。山頂を踏まないまま里に戻り、羽黒山の花祭りを見てからバスで湯殿山に回送され、湯殿山参りをして三山詣でを形式的には終える。そして夜には上山温泉で懇親を深める。
 16日の夕方に行われるかずさネットワークの会のイベントを見て「津々浦々サミット」を聴くために一同と別れ、9:14の山形新幹線で先に帰るつもりだったが列車が福島駅に到着する直前に中越沖地震による送電停止で足止めをされる。ダイヤが乱れて帰宅が遅れ、かろうじてサミットのみに参加することが出来た。
 サミットは石川哲久氏の進行で豊後高田の街づくり、芦屋での公的開発、アメリカの開発事例をパネラーにより提示してもらった。職業柄良く知っている話しでも有ったが参考になる点も多かった。
 夜には月山講の報告のために近所の親戚の家に行くと他に人が来ており、そのまま報告の飲み会となってしまった。
 
 17日は朝から雨混じりの天気。前日の酒が残る中、アクアラインバスで品川に出かけ、映画を見て知人と酒を飲んできた。
 18日は延期になっていた野球部の結団式の予定であったが再度雨のため中止に。だから24日の試合が結束の日になる。予定が色々変わるのは困るが、昔に買って読みかけとなっていた本を読み返す時間が取れると考えると嬉しい事でもある。
 
 19日は参議院選挙に向けた石井準一候補者が木更津遊説を行うので君津市境でお迎えや昼食の同席をして高柳で袖ヶ浦方向に行く車両を見送り、その後、ホテルロイヤルヒルズ八宝苑で開催された木更津商工会議所創立60周年記念式典と祝賀会に出席した。大勢の参加者で華やかに式典が終了した後は、青年会議所時代の友人達と2次会、3次会と過ごして午前2時のタクシーで帰宅。
 
 20日は10時から広報委員会が開催される。今朝早くまで飲んでいたので起床が辛いが気合いを入れて会議に出席。8月1日発行の議会便りの最終チェックを行う。会議は午前中に終了し、午後は仕事の打合せで千葉へ行く。7時に帰宅し風呂に入り、8時45分に東京ベイプラザホテルで開催される渡辺芳邦県議の青年部会懇親会に出席。その後は2次だけで帰ったが飲み始めが遅かったので午前0時半のタクシーだった。
 
 21日は午後4時から元木更津消防署長で、私の親戚になる近藤一弘氏の長年の危険業務に与えられた瑞宝双光章祝賀会が昨日と同じ東京ベイプラザホテルで開催され、午後7時から自分の青年部の会合がホテル銀河で開催され、さらに夜10時から青年部の2次会を地元の居酒屋で実施したが、日付が変わる頃に解散を待たずに中締めで帰ってしまった。さすがに連続の日々は辛い。
 
 22日の日曜日はアカデミア音楽コンクールの本選会である。7人の本選出場者による演奏を部屋のスピーカーで聴きながら、過去のデータ整理をしながら審査結果の到着を待つ。演奏終了後からパーティ終了までが私の役割の多いところなので最後に頑張るのであった。その後、アカデミア内のバーで簡単な打ち上げもあったようだが不参加で帰宅してしまった。
 
 23日は月曜日なのだが、最も休める日となった。HPの更新や様々な雑用をこなして1日も終わった。まだ梅雨は明けないようだ。
 
 24日は午前中に不在者投票を済ませ、午後から議会野球部で特定郵便局長会との練習試合を行った。この日から急に晴れて気温が上がり、炎天下の中でフラフラになりながらも1番セカンド(背番号13)で出場した。野球なんて20年ぶりぐらいにやるのだから足も肩も思うようにならず、試合結果は惨敗となった。その後の懇親会の麦酒はそれでも美味かった。
 ちなみに写真のユニホームはこの日に受け取ったものでまだ新品のうちに新人議員で記念写真を撮ったものである。値段は25,500円で、7月の議員歳費から天引きされていた。そんなわけで今月は194,850円が口座に振り込まれているだけだった。控除金額合計は255,150円である。
 
 25日は先月22日に立ち会った市道の工事着手状況を眺めながら歩いて航空自衛隊に向かい、自衛隊主催の盆踊り大会に基地対策副委員長として出席した。壇上に登って紹介されたり、VIP席を用意されたりという対応を受け、若干戸惑う。しかしこれも与えられた職責の重さなのだと自覚を深める事とした。その後、私の紹介を聴いたという地元の人に多く有ったのは、案外聴いているなと驚きだった。
 
 26日は会派研修視察の打合せで市役所に行き、8月1日から3日までの稚内市と旭川市の内容確認を行う。その後、牛込・金田を中心に漁業被害が生じているカイヤドリウミグモの件で金田漁業組合事務所に行く。経緯や被害状況を聞き、政治としての対応方針などを打ち合わせるが、原因と収束時期が未定なので方向を立てにくい。この日は状況の把握と大まかな方向付けとしてホウカシ(アサリの味噌汁)を頂いて解散した。なお、私の汁にクモが入っていたが特に味もなく若干の歯ごたえがあり無害であることも自らの体で確認できた。
 
 27日は今年最高の暑さになるという予報と茂原の七夕が始まったというニュースを聞いて、昼間に茂原まで往復して賑わいを確認し、夕方にはJCの先輩で、羽鳥野でも世話になった勝畑元市議会議長の御尊父の通夜に出て、議会ゴルフ部の懇親会に顔を出して来る。
 
 28日は富津公民館で行われた東京湾口道路建設促進シンポジュームに出席してくる。パネルディスカッションの中で東京湾横断道路を活かしていない木更津の話や場当たり的な都市計画の話などが出て、今更のように気づかされたがあった。
 夕方からは江川日枝神社の宵祭りに参加する。金魚すくい等が出て、楽しい地域の縁日の雰囲気を醸し出していた。祭りの役員や地域の皆さんと麦酒を飲みながら様々な話を出来る機会でも有るので祭りは有意義な時間である。
 
 29日は江川熊野神社の祭礼に氏子として参加する。祭礼を通じた地域のコミュニケーションの醸成が大切という事と参院選の投票を行う事が民主主義で大切だという旨の挨拶をさせていただき、祭礼が開始された。境内での奉納の舞を行った後、地区内を練り歩くのだが近年は20代の参加が増えてきたため獅子頭を担ぐ距離が短くなったことは助かる。
 社に帰ってから軽く飲食を行い、仮社やテントの撤去を行って帰れば夕方も近い。市内の広報無線は投票に行くことを放送し続けている。既に不在者投票を済ませているので軽く昼寝をして、犬の散歩を終えたら開票速報をテレビに釘付けになって見る事となった。
 
 30日は比較的気楽な月曜日である。仕事の打合せと買い物で対岸に行き、梅雨明け間近の豪雨の中で本を買ってきた。
 
 31日は午前中に議会事務局に行き明日からの会派視察の件で打ち合わせを行い、昼12時半に富津市議会野球部との対校試合に行くため集合し、1週間私の車に積み続けた野球道具を降ろして富津市営浅間山球場で5回までの戦いを行う。試合結果は7−7の引き分けだったが、その後に大貫で行われた懇親会場で、旧知の富津市議とゆっくり意見交換を出来たことが重要だった。
 
 →2007年8月上旬の記録