26.10月後半の活動記録
 10月18日は市役所で建設会社の点数付け制度をヒアリングして、21日に使用するボランティアゴミ袋の受取を行い地元に帰る。夕方から江川区土木委員会の打合せを行った後、県の君津整備事務所から中野畑沢線事業の説明会を受ける。
 
 19日は夕張で得てきたことの整理などを行う中で、知人と昼食を伴にして色々と情報交換を行う。平日3日間抜けた穴埋めなどが色々あり雑然と日を送ってしまう。
 
 20日は午前中に仕事の整理を行い、昼から翌日の矢那川清掃の事前作業として繁茂している雑草の刈払を行いに行く。この活動の本番は雨になったことが無く、明日も良い天気のようだ。
 
 21日の日曜日は多忙である。朝7時に矢那川公園に行き作業を開始し、9時からボランティアの中学生に作業の諸注意を説明した後は記録を取りながら全体作業の調整を行う。10時に現場を抜けて家に帰り髪型を整え服を着替えて10時半に巌根公民館に行き50周年記念式典に参加する。12時からの祝賀会に出る時間が無く、一旦矢那川公園に戻り機材等の撤収を終えて午後2時から江川区の総会に出席する。たった3件でも大変なのにもっと多くを回る県議会議員は大変だな、と実感する。
 
 22日は10時から広報委員会である。その前の時間を利用して環境衛生課に行って昨日の除草活動の報告を行い、道路管理課に行って知人から寄せられた街路樹の要望などを伝えた。
 広報委員会は12日の編集会議が良かったためか僅かな時間で終了して11月1日発行号の内容が決定する。その後基地対策特別委員会の大村委員長と行政視察で打ち合わせる。基地周辺整備の良好な事例として鹿児島の鹿屋基地が有るのだが、鹿児島空港から遠いため日程的に厳しく、諸調整を行ったのである。
 またこの日に9月議会の費用弁償10,500円を受領した。本会議6日と常任委員会1日の7日分である。費用弁償については返上している議会も多い。年間200万円未満の削減効果だが、本市でも検討すべき事項である。
 
 23日の朝10時に木更津駅に集合し、建設常任委員会の十和田市・八戸市行政視察に出かける。十和田市ではシンボルロード整備事業と公園整備事業、八戸市では公園整備事業と景観条例の視察を計画している。往復とも三沢空港なので久々のJAL便であり、羽田第一ターミナルを使用するのも3年ぶりである。その間に第二ターミナルが完成し、第一の改修が済んだから見違えるように綺麗になっていた。
 空港で昼食を取り、12:45の便で飛び14:00に三沢に着く。直ぐに十和田市に直行し、馬のモニュメントがある官庁街シンボルロードを見てから市役所に入り説明を受ける。桜の時期はとても見事になる写真を見たが、不明にしてこのような幅員36mの綺麗な道があることを今まで知らなかった。事業費や維持管理の問題等を聞く。
 次いで現在建設を進めている高森山公園の説明を受ける。人口7万人弱の市で全体計画が168.5ha、総事業費96億円、認可区域で31.4ha、事業費36億円の整備を進めていることに違和感を覚えるが、それは市民の間で議論を行い決定された事業であり他市の私がとやかく言うことではない。
 説明の後、高森山公園の建設現場を見に行く。北海道発のパークゴルフが盛んであるという話を聞き、流行の南下を感じる。高齢化時代に相応しいスポーツであり関東での流行も近いだろう。市民のニーズが上がってくる日も近そうだ。しかし温暖な房総では草刈等の管理費が掛かるだろう。夜は市内のビジネスホテルに泊まる。大野委員長から十和田市が学生相撲を支援する活動を続けていることなどを聞く。
 
 24日は奥入瀬渓流を見てから八戸市に入り、八戸公園の整備事業と景観計画及び景観条例の説明を聞く。景観を誘導すると言うことは財産権の侵害につながる難しい問題もあると思っていたが、運営上の有効な制限は外壁の彩度を押さえる(原色を使わない)という事ぐらいであり、その上対象になるが比較的規模の大きいものだけで、まだ試行錯誤の途中にある事を知る。景観条例は有る意味で具体条例と言うより精神的な部分が多いものとせざるを得ないようだ。
 夕食は近くにあるサラリーマンで溢れる店で取る。因みに視察の食事はホテルの朝食以外は個人負担である。
 食事の後で解散後、人口が木更津の倍である八戸が、それ以上に繁栄して見えたので賑わいの原因を見て回る。そのなかで「みろく横丁」という屋台村が気になり立ち寄る。そこは、20軒以上が連なり、10月の屋外の寒さはどてらで耐えて飲むなど楽しそうな空間を作っている。せんべい汁を食べながら店主に聞くところでは民間主導で進んでいる事業のようだ。帰宅後、HPを見てもコンセプトの高さに頭が下がる(写真は翌朝撮影)。このような仕掛けが木更津西口にも欲しいものだ。
 
 25日は市内視察をする委員会メンバーから別れ、一人早い便で仕事の打合せのために帰る。快晴の中、東北の懐かしい山々を見ながらのフライトは気持ちがよい。デジカメの機内使用が制限されているので木更津上空で写真を撮れないことが残念である。
 
 26日は2週間続けた旅で溜まった雑務処理に追われる。さらに、22日の広報委員会で国吉議員が12月議会の質問書を作成したと聞き、こちらも作成に取り掛かる。11月上旬を作成目標にしよう。
 この日はかずさアカデミア音楽コンクール実行委員会が有ったり、かずさ青年会議所による中華民国花蓮青年商会との国際会議があったりするが、両方とも欠席し義理を欠く。
 
 27日は急遽台風接近となり、荒れている中で質問書作成を行う。夜には中華民国(台湾)花蓮より訪れている姉妹青年会議所のメンバーを歓迎するために宝家に行き、乾杯の連発ですっかり酔っぱらって帰る。
 
 28日は前日の二日酔いで午前中をほぼ無駄に過ごし、昼から台風一過の地元を見て回り、その足で中央公民館の市民写真展を観賞したり、袖ヶ浦公園近くに出来た農協の直売所を訪れたり、馬来田のコスモスロードを見に行く。
 また、この日は注目を集めている7人による袖ヶ浦市長選挙の投票日でもあった。市民まちづくり塾でも話したことのある出口さんが投票数の25.4%を確保して当選したことを知ったのは日付が変わる直前であった。
 
 29日は平日であるが、仕事の都合を付けたサラリーマンの友人と荒船山登山に行き、紅葉と蒟蒻を楽しんできた。
 
 30日は朝渡辺県議の事務所で打合せを行った後、基地対策特別委員会の会議を途中に挟みながら、羽鳥野の公園で起きた陥没調査の立会を行った。まさか大正時代の関東大震災で埋まったはずの横穴井戸の空隙が存在するとは想定外だった。地盤も異様に固く作業は難航したがこの日で調査目的と対策を講じることが出来てホッとする。
 
 31日は11月から職場が変わる友人のお供で1日を費やす。平日に出かけることが多くなったな、と思いながら10月も終わる。
   
 →2007年11月上旬の記録