荒沢岳 1,969m 新潟県魚沼市
2007年8月9日登山:単独
 
 7月の月山が台風で登れなかったので、中越沖地震の影響視察も兼ねて荒川岳に向かった。
 
 8日の夕方に出発し、コンビニで明日の朝食と昼食を購入して、小出の道の駅で車泊をする。夜の星は綺麗だった。翌朝銀山平に移動すると2台の車が停まっていた。朝から霧の中だが気温は高い。
 6:17より登山を開始して前山への急登を登ると6:55に雲の上の前山山頂に着く。先行する2名も展望を楽しんで休息している。荒沢岳は想像以上に遠く 水平距離の長さと前ーの岩場に気を引き締める。暫くブナ林の気持ちよい尾根を進むと噂の岩場に到着する。林間の高度感の無い岩場だと思っていたら尾根を越え、屏風のトラバースから登り返しが厳しい鎖場であった。これを下るのか・・・・と憂鬱になる頃に岩場を越え8:57に前ー山頂に付く。15分の大休止をとってから山頂に向かって高度を上げる。遮るものが少ない尾根で8月の日差しが強く無風なので体温も上がり、かなり体力を消耗する。途中で細かく休みを入れながら10:24に山頂に到着する。上越国境の山々が一望できる風景に達成感が溢れる。
 トンボの集結する山頂で麦酒を飲みおにぎりを食べて30分ほど居たが誰も登ってこない。9:55に下山を開始すると途中で先の2名を含んだ3人とすれ違う。今日はこの4名だけの山のようだ。前ー山頂に12:00に付き10分ほど休んで水を飲む。既に2000cc以上を飲んでいる。ここから岩場の下りである。慎重にゆっくり行動し、岩場通過が12:55だった。後は高度をひたすら下げるだけである。登山口にある水場の蛇口で腕や頭を洗い、水を500ccほど一気飲みして車に帰ったのは14:25だった。
 運転用に水場で汲んだボトルも次々と空になり、湯之谷薬師温泉センターに着くまでに1900ccも水を飲んでしまった。さすがに夏山登山であった。
 
 温泉で汗を流したあとは国道291号線で山古志村に入り、長岡を抜けて柏崎まで走り、中越・中越沖地震の状況を見て、地域の売り上げ貢献に土産を購入して帰ってきた。柏崎では壊れた家や道路も目に付いたが、市民生活は通常に営まれている方が多数なようだ。まだガスが戻っていないので入浴が出来ないと売店の叔母さんは嘆いていた。帰路は疲れと寝不足で、何回か休憩を挟みながら走り、アクアラインを渡って自宅に付いたのは0:40であった。
帝釈山 2,060m 福島県南会津町
2007年9月1日登山:F島と2人
 
 群馬に住むF島とメールのやりとりをして、週末に日帰り登山へ行こうと決まった。しかし前線の停滞で天気予報がハッキリしない。当初は七が岳でもと考えていたが曇りでも楽しめる湿原を持つ田代山と日本二百名山の帝釈山を合わせて登ることが良いだろうと言うことになり、尾瀬国立公園編入祝いを兼ねて登りに行った。
 
 8月31日の金曜日の夕方から北上を開始し、足利でF島と合流、一般道を辿って、この日は足湯のある湯西川の道の駅で泊まる。
 翌朝、湯ノ花温泉を経て登山口まで走ると駐車場に他の車が無い。最初の登山者として7:30より登山を始める。当初の天候はガスの中であったが、登るうちに雲の上に出て空は綺麗に澄み渡ってくる。湿原に出ると目の前に会津駒ヶ岳が横たわり、青空の下で爽快な気分に浸る。今回も天気は良い方に外れたのだ。
 湿原をのんびり歩き林の中の避難小屋に8:55に到着する。因みに田代山[1871m]の最高地点でもある。立派な便所も有って、後は水が豊富なら素晴らしい小屋なので泊まってみたいと思う。
 ここから一度鞍部に下り、ぬかるみの多い道を水平移動して登り返すと帝釈山の山頂に9:45に到着する。
 空気も暖かくなり始めており、雲がどんどん上がってくる。山頂からの展望は尾瀬や日光方面に限られ、北側は雲で白く被われている。山頂は帝釈山の西側に出来た林道から上がってくる人が多く、聞いてみると35分程度で山頂に着いたという。ルートによっては随分手軽な山になっているようだ。
 トンボの群れ飛ぶ山頂で麦酒を飲んで展望の回復を待つが変化の兆しもなく、10:30に山頂を後に来た道を戻り始める。田代山の湿原に戻っても展望が無く、時々霧が横切る幻想的なムードである。周遊路の木道を行き、時間もあるので広い場所で大休止を取り、寝不足気味なので横になりうたた寝する。余りに贅沢な時間を送ってしまう。
 12:00を回ったので起きあがり下山を開始する。相変わらずF島は早く早足で追いかけても距離が離れていく。途中で20人の団体と擦れ違い、午後から登山か、と疑問を覚えながら最終水場に到着。ここで顔を洗い、冷たい水分で乾きを癒せば駐車場も目前である。
 
 結局12:50に駐車場にたどり着いて5時間20分の登山も終了である。林道の栃木県側が通行止めになっているので会津側に戻り、湯ノ花温泉の共同浴場に200円で浸かり、舘岩村で若干高め(850円)の盛り蕎麦を食べ、滝ノ原でもう1湯に入ってからF島の家を目指す。B級グルメで名を売り始めた太田やきそばと酒を購入して、この夜は彼の家で登頂祝いをして泊まるのであった。 
七面山 1,982m 山梨県身延町
2007年10月6日登山:単独
 
 週末に丹後山から越後中岳の縦走を考えていたが新潟県の天気予報が悪いため急遽七面山の縦走に切り替えた。山梨から静岡に抜けるコースのため、久々の電車で行く登山である。
 
 10月5日(金)6:57に袖ヶ浦駅を出発し、内房線快速から特急・急行を乗り継いで身延駅に11:23に到着する。11:45発の山梨交通バスで七面山登山口に降りたのは12:27でバス代は950円だった。今夜泊まる敬慎院から4時前に付くなら表参道登山口までタクシーで行くべきと言われたが、あえてバス停近傍から登り始める北参道で山頂を目指す。
 角瀬の神通坊という寺で山まで四十九丁という表示を見て水を補給したら境内脇にある鳥居を潜って登山は開始される。道も良く整備され「丁目」の碑も多くペース配分が楽である。七丁目の売店、十九丁目の安住坊、三十丁目の明浄坊には水場が備えてあり、流石に宗教登山が盛んな山であり、ボトルを空にして登っても良かったかなと思った。
 細かく小休止を入れながら明浄坊に14:53に到着する。甲府駅で買ってきた焼きそばパンを食べながら一息つき、その後は一気に登り四十丁目の奥の院に出る。ここまでですれ違った人は一人だけの静かな山だった。
 奥の院からの道は車道となり軽トラも置いて有る。この夜に話を聞いた所ではヘリコプターで運んだものらしい。影響石、二の池等を見ながら進み敬慎院に15:52に到着する。宿泊手続きを取る前に展望広場に行くが富士山は見えない。明日の御来光に期待するだけだ。
 講で登っている集団は別棟に泊まっているので、この日の宿泊は10名で、その上小さな子供連れの家族4名が別室なので部屋を6人で広々と使える。温い風呂に入って5時から食事になる。写真のように煮物・酢の物・沢庵・梨という精進料理だが飯の炊き方が上手いのか食が進む。6名に2合の御神酒が配られるが、飲むのが私ともう1人しかいないので1合ほどの酒を飲み、御開扉・夕勤に出る。回りの人達は日蓮宗の経文を唱えているので宗派を異にするのは私とカメラマンの叔父さんだけのようだ。午後8時前にはやることもなくなり就寝する。布団は部屋一杯に広がる大きな一枚物だった。
 
 翌朝5時前に目が覚め外に出ると良い星空である。薄暗い階段を上がって展望広場に出ると富士山が綺麗に見えている。遠く甲府盆地の夜景も綺麗である。講の人達も段々集まり始め富士山に向かい読経を開始する。刻一刻と変わる風景から目が離せず、夜明けの富士だけで60枚も撮ってしまった。デジカメはフィルムや現像代が気にならないから有り難い。5:50に右肩から日が昇り一同歓喜の声を上げる。
 ちなみにこの七面山は富士山頂と北緯が近いので春分秋分の日にはダイヤモンド富士を楽しめる。実は木更津市も同じで、3箇所を比較すると次の通りである。
  七面山敬慎院:北緯35度22分36秒,東経138度21分30秒
  富士山剣ケ峯:北緯35度21分37秒,東経138度43分37秒
  木更津市役所:北緯35度22分33秒,東経139度54分57秒
 
 6時過ぎまで富士山を見て寺に帰れば朝勤も終わっており朝食の時間であった。やはり精進料理を食べ、この先には水場がないので1.5リットルを満タンにして6:40に寺を後にする。ちなみに1泊2食で5200円だが、内訳として御開扉2000円、参籠志納金3200円である。あくまで山小屋でなく宗教参拝に来ているのである。
 寺から少し歩くと山道に様子を変え、森林の中を歩いている内に突然山頂に到着した。展望はない。
八紘嶺 1,918m 山梨県早川町
2007年10月6日登山:単独
 
 七面山の頂より展望の良いところがあると昨夜のカメラマン氏から聞いていていたので先を急ぎ1980mピークで念願の南アルプスを眺望する。北岳や塩見岳の展望はよいのだが悪沢以南は雲に隠れている。この先にも展望の良い所もあるだろうと進むが、実はここが唯一の展望地点で、ずっと森林の中を歩き続けることになる。
 林の中を歩いていると30mぐらい先で大型動物が木から飛び降り逃げていく気配を感じる。熊か!と緊張感がよぎるが相手の方が人を怖がっていると自分を励ます。森林地帯を長く歩いて9:20にインクラ跡に到着する。少し息を整え八紘嶺へ向けた登り返し、山頂には10:03に到着し、麦酒を出して大休止タイムにする。朝寺を出てから3時間半は誰とも会っていない静寂の中である。
 10:25に下山を始めると突然人と擦れ違い始める。安部峠から歩いてきている人が多い。車道脇を通り過ぎ、再び誰もいなくなった山道を下り続けて11:54に登山口に付く。湯元館で風呂に入り、湯上がりにおでんや蒟蒻をつまみに麦酒を飲み、酒と蕎麦を楽しむ。湯元館の親父さんに七面から来たというと、普通は3時頃の到着だからかなり早いと言われる。手打ち蕎麦は信州でもトップクラスの美味さで、麺をつまみに酒をグズグズと飲む。山で時間短縮した貯金を使い果たし、慌てて13:17のバスに飛び乗り1600円の運賃で静岡に出て再度酒を飲み、JRで帰宅したのは21:42だった。
ニセコアンヌプリ 1,308m 北海道ニセコ町
2007年10月15日登山:K藤と2人
 
 個人で家を建てているK藤の状況を野次馬に行くついでにその裏山であるニセコアンヌプリに登りに行った。
 
 始発のアクアラインバスで羽田に渡り、7時のANAで千歳に付きレンタカーを借りる。この日から寒波が来たようでK藤からは雪だとメールが届く。午後には雪も解けるだろうと北湯沢温泉や洞爺湖などを回る遠回りコースで温泉に入ったりキノコを買ったりの寄り道をしながら向かう。後方羊蹄山が薄く雪を纏い綺麗に見えている中で午後1時半にニセコのK藤家に到着する。建設中の家の周辺を少し見て回るが羊蹄山の勇姿や澄んだ空に登山意欲が喚起され、家屋への野次馬気分もそこそこにK藤に準備をさせ、直ぐさま登山口である五色温泉を目指して車を走らせる。
 14:15より登山開始。標高差558mを1時間で登る計画である。周辺の紅葉は今が盛りで空は抜けるように青い。登り始めると直ぐに登山道が雪で覆われてくるが道はハッキリしているので迷うことはない。登るほどにイワオヌプリが段々低くなり頂き越しに積丹半島の海岸線が見える。「泊原発も近いな」とK藤は言う。南を見れば有珠山の向こうに噴火湾も見える。日本海と太平洋が一望の下である。
 間もなく山頂と言うところで急に雲が涌いててくる。山頂直前ですれ違った女性が「今隠れました」と言う。つまり楽しみにしていた羊蹄山を正面から見るというのが出来ないようなのだ。山頂に着いた15:25には上半分が雲に隠れている状況で、直ぐさま周辺が何も見えなくなった。「お前が北湯沢温泉に浸かってくるから間に合わなかったのだ」とK藤に言われるが結果論である。
 山頂避難小屋の周辺で雲が切れるのを待つが、瞬間山頂が霞んで見えるだけである。時計も16時を回り暗くなる前の下山をせねばならない。諦めの時である。
 少し下れば雲の下に出るが、この位置からは羊蹄山は見えない。日本海に沈む太陽と夕焼けで赤く染まる山々を見ながら16:55に下山を完了する。五色温泉に浸かり倶知安に出て食料品を購入し、夜は建築現場脇の仮設住居でキノコ沢山の石狩鍋を食べて酒を飲むのであった。宴会の途中で外に出て見上げた星空の美しさは山小屋でも出会えないほど綺麗だった。だからこの夜は放射冷却で冷え込み、道内各地で初氷を観測する事になるのだった。
 
 なお、この翌日は建設作業を観察した後、モエレ沼公園経由で夕張に移動して、財政破綻した原因を考えて帰ることになるが、それは別頁を参照に。
荒船山(2回目) 1,423m 群馬県下仁田町
2007年10月29日登山:S井と2人

 S井と秋に紅葉の山に行こうと計画するが、それぞれ多忙で日程が会わない。何回かの調整の結果、平日に休みを入れて高岩と荒船の連続登山をしようという企画を実行した。
 
 朝5時に自宅を出て、ちはら台のS井を拾い、高速道路を北上するが、所沢で発生した交通事故渋滞に巻き込まれ碓井軽井沢ICに到着したのは計画より1時間半遅い9:42となった。行動時間も短くなった上、目の前に聳える高岩は我々の技量では登れそうもない。素早く撤退を決め次の山に向かう。
 荒船は8年ぶりで、今回は内山峠ルートで山頂を目指すことにする。今年の台風による土砂崩れのため旧道の神津牧場分岐で車を止める事となるが、連続登山を辞めたから時間は有るので予定より長くなった行程をゆとりで歩く事にする。出発は11:17だった。
 登山道は想像以上に広く整備も良い。2箇所ほど台風の崩壊で迂回路となっているが特に危険では無い。水場も稜線なのに驚くほど豊富な流れがある良いコースだ。ここで空だったボトルを満たしてから急坂に臨む。
 唐松の舞い散る中を進み、12:34に艫岩に到着する。先着のグループが『My heart will go on』をCD(?)で流している。ここはタイタニックの舳先か!と突っ込みを入れながら展望台に立つ。流石の高度感にS井も感動する。2人とも崖の50cm以内には怖くて寄れない。展望を楽しみながら昼食にしようと言うので大休止とする。
 長い休憩の後、最高点を踏むため経塚山(「行塚山」と看板は書いてあった)に向かう。森林の中の平坦な道を進み、ピークの坂を登って13:45に山頂に到着。展望もないので写真だけ撮って直ぐに艫岩に引き返す。この周辺も台風による倒木が多く、近年の台風の強力化を感じざるを得ない。
 艫岩で再度小休止をしていると戦闘機が日本海に向かって轟音をたてて飛んでいく。傍若無人な飛行ルートは米軍機かもしれない。
 往路をゆっくり戻り、車には15:28に辿り着く。日没まで間があるので神津牧場にヨーグルトを飲みに行き、途中で味噌蒟蒻を食べて場所が解りにくい吉井温泉に浸かり、夕食にHPで発見した陽気軒で拉麺と巨大餃子を取り、渋滞のない高速道路を通勤割引で帰った。
No52 .2007/8-2007/10    ←No51No53→
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