32.1月前半の活動記録
 元日は朝6時に起床して、中之島大橋に初日の出を見に行く。キャッツアイ効果で有名になったが忘れられているだろうと思っていくと「柏」「習志野」などのナンバーも混じり駐車場は満車である。富士見公園に車を停め、橋に登ると若者を中心に大勢の人混みである。西には富士山や丹沢の山並みが薄暮の中に冴えている。地平線に僅かに雲があったので光が射したのは午前7時を少し回っていた。

 

 
 その後、坂戸神社と江川熊野神社に初詣を行い自宅に帰る。袖ヶ浦の坂戸神社参道の提灯を見ると金田・巌根・牛袋等の木更津北部地域からの寄付が多いことが解る。行政境界と神社の氏子範囲の境界がずれている等と考えながら家に帰り雑煮を食べていると年賀状が届く。もちろん市内の知人の分も有る。公選法の年賀状の禁止規定で「答礼のための自筆によるものを除」くと有るので、汚い自筆による年賀状を書いた。
 
 2日は前日の富士山があまりに綺麗だったので西丹沢の最高峰である大室山へ登り始めに行って来る。氷点下の登山であるが鈍っている体を動かすことが気持ちよい。
 
 3日は明日からの仕事始めに先立ち、年末年始で休止していたHPの更新を行ったり、2・3日に届いた市内の友人に対する返信を書いたりして過ごす。夕方には友人からメールが届き、誘われるまま新年会に参加してきた。
 
 4日は仕事始めである。私の場合は課題となっている案件を抱えた部署と簡単な打合せを行って業務終了で、実質半日の仕事であった。夜には先月27日に忘年会をやったメンバーの何名かで新年会を行う。良く考えると1週間しか空いていない飲み会であった。
 
 5日はまだ若干正月気分の残る土曜日。ゆっくり読書をしたり、旅行の準備をしたりして過ごす。夜には同僚の鶴岡議員のHP開設を祝って新年会をする。3日連続の新年会となってしまった。
 
 6日は消防の出初め式に出席する。11年前は分団長として寒い中、立っていたことを思い出すと懐かしいし、総指揮を執る飯塚本部長は一緒に分団役員を行っている事もあり、親近感の有る行事である。それにしても朝は冷え込んでいたが式の始まる頃には無風で暖かな日差しが射し、厳しさが無いことは何よりである。今年1年もこうあってもらいたい。
 昼には祝賀会に参加して帰り、夕方には中野畑沢線で参道が分断される日枝神社の関係者から相談を持ちかけられ現場にて打合せをする。
 
 7日は朝一番に仕事の打合せを行った後、市役所で数カ所と打合せを実施し、11時からは商工会議所の賀詞交歓会に木更津市議会議員という肩書きで出席する。去年はこの会場で選挙の挨拶回りをしていたなぁ、と懐かしむ同僚議員も居た。
 14時からは県の地域整備センターへ行き、昨日持ち込まれた相談と、周辺の設計状況について打ち合わせてくる。既に事業化が進んでしまった問題の解決が如何に難しいか痛感してくる。
 
 8日は電話にて数件の打合せを行った後、旅行用の荷物整理して夕方から成田へ行き、夜7時半の飛行機に乗り北京に3泊4日の旅行へ出る。従って、9日と10日は終日北京市内で過ごす事になった。ここで書くと長いので、詳細は「最近思うこと」の北京で思う、に記載した。気になる方はそちらを読んでいただきたい。
 
 11日の朝9時半の飛行機で北京を発ち成田に着く。15時成田空港発の快速電車を千葉で乗り継いで巌根駅に16時半過ぎにつき、家で着替えてから市役所に行き、年末に資料請求した書類を受け取ったら17時45分開催の議員会の新年会に参加する。流石にこの日程がきついためか、2次会へ参加したのが悪いのか、風邪を悪化してしまう。
 
 12日は午前中から不調で休んでいたが何とか復帰し、15時の岩根地区区長会の新年会に川畑副市長、椎名市民課長、中村・渡辺両県議、高橋浩市議共々来賓として出席する。それでも風邪で喉が痛く、まともに声が出ないので来賓挨拶のうち、市議会議員分は高橋浩市議に代表で行ってもらう。会終了後も2次会を断り早めに就寝した。体調管理の重要さを新年早々実感した次第である。
 
 13日は調子も良くなってきたので予定通り10時から江川日枝神社前の中野畑沢線工事説明に同席してくる。私にとっては技術者として専門的な事も良く解り、話しに入りやすいが、説明する県の職員に取ってはやりにくいこともあるだろうと思う。
 
 14日は内房RCの走り始めに誘われていたが風邪の復帰を優先させて欠席し、旅の片づけと、溜まっているHPの更新を行う。負荷を沢山架けて作業していたら4時間分のデータが飛んだり、難航しつつ作業を進める事になってしまった。
 
 
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2008年1月後半の記録