37.3月中旬の活動記録
 10日から常任委員会が開始される。初日は朝10時から経済環境が行われ、最初に行われた矢那の牧場改良に名を借りたとしか思えない残土処理場に反対する請願の審議で時間を要した。多くの議員が背景の事情を知っていることにも驚く。また、県が残土条例で受理したら農業委員会は許可を出さざるを得ないと云うシステムを改善するために市条例で防御できないものかと思う。その後の2議案の審議と協議事項3件が検討され委員会が終わったのは12時半であった。既に総務委員会の開始まで30分を切っている。その上、会派室で議会事務局と簡単な打合せを挟んだので20分の時間の中で1階の食堂に急ぎ、早飯を取って午後の総務委員会の傍聴に向かう。
 総務委員会は陳情1件、審議8件、協議1件と豊富なメニューであったが早めに議論が進み、3時半に委員会が終了した。両委員会とも審議時間は2時間半程度だったことになる。早めに終わるのは、この前に何回かの委員会が開催されて議論が尽くされているためでもある。
 早めに帰って地元要望の対応を行い、土曜日の午前中に現場立会を行う事が決まった。なかなか年度末なのに腰を落ち着けて仕事をする時間が取れない。
 
 11日も10時から自分の所属する建設常任委員会が開催される。その前に、議会広報紙の写真として風力発電を撮るために南袖の袖ヶ浦海浜公園に立ち寄る。久々に行ったのだが改めて袖ケ浦市の財政力を見せつけられる事になった。
 委員会は審議議案1件と請願1件なので1時間の審議時間で終了した。ただ、その請願が『道路暫定税率の確保に対する意見書』なので、12月議会に引き続き賛成はしたが、報道で1800自治体中6自治体しか提出していないというのは締め付けでも有るのだろう、という報道がされている中で再度意見書を出すように求めるセンスには疑問がある。
 午後から教育民生常任委員会である。この委員会には珍しく請願も陳情も無いので、審議議案が11件も有りながら2時間半の審議時間で終了した。審議を聞きながら福祉は難しいことを改めて実感するのである。
 
 12日から予算審査特別委員会が開始される。9月議会の決算も勉強になることが多かったが、予算はより奥の深い話が展開され、理解が刻一刻と深まる実感を覚える。初日は荻野、高橋(て)、國吉、篠崎、平野(卓)、近藤の6名が傍聴し、審議に加わっている9名の委員と議長を交えると議員28名中、16名がこの場に居ることになる。なお、白坂議員のように会派室で聞いている議員も居たようで、3カ年の初年度に対する注目は深い。
 初日は主に総務部、財政部、企画部、市民部主管事項を中心に審議が進む。予算付けに当たり、金額の算定根拠の妥当性などの件で様々に議論が行われるが詳細は略す。
 夜にはイランから日本語教師をしている友人が一時帰国しているので、中東情報を聞きながら懇親を深める。オイルマネーの力は相当なもののようだ。困窮する我が市に呼べれば、等と思いながら杯が進む。
 
 13日は予算審議の中日であり、市民部、環境部、福祉部、経済部主管事項の議論が進む。傍聴席はひたすら意見を聴くだけで、疑義があっても口を挟むことが出来ないのがもどかしい。また、この日は細部は記載しないが、感情的な議論も行われ、2日続けて定時で終了せず、日没後の帰宅となった。
 
 14日は集中審議の最終日で、土木部、都市部、教育委員会、消防本部、水道部主管事項などを審議する。最終日なのに順調(?)に時間が押していき、17時になっても水道事業会計の審議が始まってもいない。
 この日は17時半から農協岩根支店で農協の第35回総代会の地域別座談会が開催されるため、審議を最後まで見ることなく退席することとした。若干遅刻して到着した満員の会議室では下記案の協議に先立ち梅澤組合長が挨拶を行っているところだった。 
第1号 定款の一部変更について
第2号 信用事業規程の一部変更について
第3号 平成19年度事業報告及び余剰金処分案の承認について
第4号 平成20年度事業計画設定について
第5号 平成20年度における理事及び監事の報酬について
第6号 退任監事に対する退任給与金の支給について
第7号 監事の補欠選任について
付帯決議 1.地域水田農業活性化緊急対策に対応した飼料用米等の推進について
2.不良債権及び自己資本の増強に関する特別決議
 付帯決議の1は稲作経営の安定により水田を有効活用し、不耕作地の解消を目指し、飼料米の生産や学校給食での米粉パンの普及などを目指す決議である。今回の議会でも繰り返された地産地消(農協では木更津産を木更津で消費という意味で『木産木消』と称している)に通じるものが有り良く解る。因みに今回の議会で私が質問した木更津の米の生産量は標準的消費なら市民の需要を全て満たすという事で、農協はその半分を取り扱っているという事であった。比率は昔より落ちているのだろう。
 それはさておき、何故今決議2が必要かと疑問を持っていると質問をするものが有った。その回答では『木更津農協は県内27農協で5本の指に入る事業利益を持っているが自己資本費率は下から2位、さらに175億円の貸付に対し41億円ほど不良債権化しそうな融資があるという状況なので、その解消を進める』という決意の決議という事であった。市も農協も厳しい状況は一緒だと思う。28日の総会議論が楽しみである。
 
 15日は朝から東京ガスの工事に伴う農業用水管の埋没立会を行う。地元役員6名の他、市の農林水産課や小櫃堰土地改良区の立会も有り、総勢12名で現場対応を打ち合わせる。この管等も古くに埋設されているもので、今回の浚渫対応だけでなく将来的には敷設替等も検討する必要があるのだろうが、優先度はずっと後に回るのだろう。社会資本の更新という大きな問題が目前に迫っている事を立会の間に考えていた。
 家に帰り、書類整理などをしていると郵便が届くので取りに行くと年金特別便であった。
 目を通すと、道路公団を退職した直後当たりの記録が落ちている。なるほど全国に5千万件も有るはずだ、と変に納得する。経費も随分かかっているなと思いながら訂正封書を送り返す。
 また青年会議所からFAXが届き、同僚議員である高橋浩市議の実父が昨日の朝に亡くなっていた居たことを知る。その状況の中で予算委員長を全うした姿勢には頭が下がり、翌日の通夜に行く事を決める。
 
 16日は同期である國吉議員が江川総合運動公園入口に私製案内看板を設置したいので地元地権者に同行いただきたいという話で朝から出回る。市役所も予算がないという事で、様々にボランティアの出動になるのである。日中は良い天気なのに書類整理に追われ、夕方からは高橋浩市議の実父の通夜に出掛けるのであった。
 
 17日は久々に仕事に精を出す。議会で抜けている間に現場も進み、検査が終了している案件も有るのには申し訳ない思いである。そう思いながら翌日も半日勤務という事に気が引けつつ、この日は仕事で1日を過ごす。
 
 18日は朝から岩根小学校の卒業証書授与式に来賓として出席する。自分たちの頃には二百人近くいた卒業生が今では68名と少し寂しいものであるが、良く考えられ練習を積んだ『お別れの言葉』に感心と時の流れを感じる。無風で暖かな気候は、巣立つものを祝福しているようであった。でも若干の転入出があっても殆どが巌根西中に移動するのは緊張感が少ない移行である。
 午後からは現場に行き、書類作成を行った後、夜はニセコから一時帰宅している同級生と懇親を深めるため姉ヶ崎まで飲みに出掛け、快速が止まらない巌根駅の不便さを実感する。
 
 19日は前日とは逆に午前中だけ現場に行く。年度末で工程も厳しく人手も不足しているので作業員として汗を流してくる。午後2時から会派会議に出席するためスーツに着替えて市役所に行き、議運発議での上程案の説明や、その他の打合せを行ってくる。夜は同期当選の7名で今回の議会の分析と反省を行う懇親会を行う。そして、前日に続けて帰宅が遅くなるのであった。
 
 20日は世間的には春分の日で休日であるし、朝から雨が降っているが年度末につき、終日工事関係の書類整理作業に追われる。それでも夜には君津で2月頭に合宿にならなかった沖縄旅行の反省会を行う。そして、3日続けて帰宅が遅くなるのであった。翌日は議会最終日である。
 
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2008年3月下旬の記録