38.3月下旬の活動記録
 21日は3月定例議会の最終日となり、9時半には会派室に集まり、諸般の情報交換を行った後、10時から本会議を迎える。
 審議は、委員会に付託された案件の審議結果を委員長が報告することから始まり、その後に反対や賛成の討論が行われ、採決を行った。31件の議案と陳情・請願各1件の採決を起立によって行うので立ったり座ったりを延々と繰り返すことになる。個人的には各委員会ごとの案件順に説明→議論→採決を繰り返したほうが審議の争点が見えて良いし、延々と採決を行うことも無くなり良いのではないかと思うところである。なお、陳情については可決、請願については否決を行い、採決の後に一時休会を行い、その間に議会運営委員会が開催際された。
 休会を終えた後、この日に提案のあった下記の6件の追加議案の説明が有り、それらについては委員会付託を行わず、この日の本会議で議決することを決定した。
番号 内容(件名とは異なる)
議案25 副市長の選任
議案26 監査委員の選任
議案27 手数料条例の一部改正
議案28 非常勤特別職の報酬及び費用弁償に関する条例の一部改正
議案29 常勤特別職の給与及び旅費に関する条例の一部改正
議案30 行政組織条例の一部改正
議案31 監査委員条例の一部改正
 追加議案は現在の川畑副市長の任期満了に伴い、服部現調整官を副市長にする議案と、現在の篠原監査役を任期満了後も引き続き監査役としつつ、常勤を非常勤に変える案件等である。この中で常勤監査を非常勤監査とすることにより70万円/月の報酬が15万円/月に減額されることに起因する次年度予算案の変更は行わない点が微妙に引っかかるが、補正で対応可能なため気にしないこととする。なお、この常勤監査役というのは25万人以上の都市には設置しなければならないものであるが、それ以下の都市には設置義務は無く、現に千葉県内で設けているのは木更津市だけであった。聞けば富来田町と合併したときに、元町長を処遇するために設けたポストで、それが37年続いていた事のようだ。行政の惰性は難しいところがある。
 ついで議員による下記の発議案件4件が上程された。 
番号 内容(件名とは異なる) 説明者
発議01 専決事項の指定 滝口議会運営委員長
発議02 議会委員会条例の一部改正 滝口議会運営委員長
発議03 残土埋め立て事業に関する意見書 西経済環境委員長
発議04 道路特定財源の確保に関する意見書 大野建設委員長
 これらについて審議の後、採決が終わり、議会閉会中の委員会での継続調査申出を了承した所で12時15分となり昼の休憩を挟む事になる。
 昼の休憩中に午後から公明党の住之江副議長の辞任と次の副議長選任で正栄会の大村議員をF未来の会派としても押すこと、また副議長就任に伴い委員長職である基地対策特別委員会を辞任することになるので、そうなった場合には新栄会の橋口議員を委員長として押すことなどが決まる。
 午後の再開後に副議長辞任の承認及び副議長選挙が行われ第54代副議長として大村富良議員が選出され、基地対策特別委員会を辞任し、定足数を埋めるため國吉議員を議長指名で選出した。そこでまた本日3回目の休憩が入り、会議室で委員長選出のための基地対策特別委員会が開催された。委員長不在につき議事進行は副委員長である私が委員長席に座り、執り行う。そして選挙となり予定通り橋口武信議員を委員長に選任した。本会議が開催され委員長が決定したことを報告し、3月議会は終了した。議会終了と同時に議員全員協議会が開催され、下記3案件の報告が執行部から行われた。 
No 項目 担当
1 市町村職員共済組合施設利用券の不正使用 消防本部
2 平成20年度組織改正 企画部
3 平成20年度地方税法改正に伴う市税条例等の改正 財務部
 以上で全日程が終了し解散である。会派室で若干の打合せを行った後、自宅に帰り若干の整理をしてから執行部との情報交換会に参加して、本年度内に議会質問で世話になった部長さんや、市役所を去る人達に感謝や慰労を行ってくる。
 
 22日は久々に仕事に力を入れていると江川区長から携帯に電話が入り、翌年の副区長が全て決まったので夜7時から引継を行うので参加して貰いたいと言われる。翌年の会計担当や監事職を決めた後、役員から区の相談役への就任を打診される。肩書きが無くても結構ですよと言うが、役員から頼まれ引き受けることにした。
 
 23日は朝6時半に家を出て自転車で巌根駅に向かい、
東大演習林の自然観察会に向かう。
 受付に来ていたのは富津市議会議員選挙で某議員の後援会長を務めることになった後輩だ。流石に受付だけで退席する。富津も忙しかろうと、2週間後に迫った出陣式を想像する。
 穏やかな日差しの中で一日歩き回り、気分の良い汗を流した後で、夕方からスタッフで反省会を行う。
 
 24日は雨の中、年末の仕事の書類整理を進める。現場から自宅に帰ると溜まったHPの更新も有り寝る時間が取れない。そう言えば今月になってからまだ読み終えた本が1冊も無い。来年度から3月議会での質問は止めて年3回制にしようかと考えてしまう。
 
 25日も終日仕事に追われる。通勤途上の国道16号線ではイオンへの進入路整備が進んでいる。連日遅くまでHPの更新をしていたので寝不足である。そんな中でも昼飯を食べながら読みかけの『日本の10大新宗教』を読み終え、3月の0冊状況を回避する。新宗教(天理教・大本・生長の家・立正佼成会・創価学会・世界救世教・PL教団・真如苑等)は知らないことばかりだったから良い勉強になった1冊だった。
 
 26日も年度末の仕事に追われる。今年になって3日続けて終日市議会議員と関係ない仕事をしたのは1月15〜17日、2月18〜20日以来と考えると、現況では普通のサラリーマンでは議員活動は辛いものだと改めて思う。
 
 27日は午前中だけ内業を行い、午後からアクアラインバスで品川に出掛け、山手線で新宿に行き、斉藤たかね議員が開いている『木更津の詩』という写真展を見に行く。慌ただしく出掛けたのでデジカメを忘れて携帯に頼ることになり、綺麗な写真を撮れなかったのが残念である。夕方のセレモニーには浜田代議士や水越市長も列席し賑やかなものであった。
 
 28日も午前中だけ内業の後、午後からの木更津農協総代会に出席し、午後3時半に閉会後は渡辺県議の事務所や市役所下水道推進課等で打合せを行い、帰り道に春なので自転車で走ろうかと
URCの練習ジャージを注文。午後7時からは江川集会所で中野畑沢線の江川区間の説明会に出席する。色々な点で内容の濃い一日であった。
 
 29日は朝から陸上自衛隊木更津駐屯地に行き編成祝賀行事に基地対策特別委員会副委員長として出席する。
  
 これは第一ヘリコプター団が中央即応集団に編合される中で第一、第二のヘリコプター隊を廃止し、第一輸送ヘリコプター群を新編するなどの組織変更が3月25日に終了したことによるものである。祝賀式では最前列に着座させていただき、式典や飛行展示をよく見ることが出来た。自衛隊がある事による恩恵や騒音の被害など、両面の存在でもあるが、災害援助に力を発揮しているヘリコプター団を持つことは誇りであると思う。
 夕方からはちはら台に行き、八分咲きの桜の下で花見をしてくる。自分が10年前に設計に携わった街も熟成が進み、落ち着いた街になっていた。地図に残る仕事は良いな、と改めて感じてきた。
 
 30日は朝8時から江川区の溝払いに出席し、堆積した砂を掘ったり、投棄されたゴミを引き上げるなどの作業を地域の人と伴に行ってくる。
 午前中に作業が終わり、役員と昼食を取りながら行政に対する意見や地域の要望などを聞く。皆、市に予算がないことを理解していただいており、資材だけ市に提供してもらい地元が労働奉仕することで社会資本整備を進める、いわゆる道普請事業を検討しようとしている事には頭が下がる思いである。
 
 31日は年度末の最終日につき仕事。雨の中、工事検査にも補助員として立ち会う。県発注の工事であったから検査員も私の顔を知らなくて気が楽である。木更津市に関係する仕事はしないつもりだが、県に出向した市の職員が出てきたらと想像すると楽しい。そう言えば3月議会中に烏田土地区画整理組合の指導をしてくれていた職員と食堂で一緒になる機会があり『これからは指摘される立場になりました』と言っていたことを思い出す。取りあえずこの日で平成19年度も終わりである。
 
 
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2008年4月上旬の記録