39.4月前半の活動記録
 1日は昨日の雨で埃が落ちてしまったように良い天気である。昼休みに君津市の人見神社の石段を息切らせて登り、景色を見てきた。
 君津高校に通っていた頃の風景とは富津火力発電所の存在感や羽田に運んでいく滑走路用ジャケットの製造現場などが変わっているが、右に丹沢、左に箱根を従える富士の姿は相変わらず綺麗だった。
 昼の展望に希望を抱き、夕方には富津岬に行ってダイヤモンド富士を拝もうと考えたが、どうやら2日ぐらい遅れたようで右の肩に太陽は沈んでいった。
 春分の日頃には木更津港でダイヤモンド富士が見えるが、今年は黄砂が厳しくて富士山が見えていなかったので富津まで追いかけたわけである。風が強くて日没を待つのが辛かった。
 
 2日、3日と普通に仕事をしていたが、検討したいことが出てきたりで市役所に資料があるかどうか電話する。まだ人事異動の余波で落ち着いていないようなので議員としての始動も翌週以降にしようと考える。なお、FAXで10日の議員全員協議会の案内が送られてきた。新執行部の紹介もあるようだ。
 
 4日も普通に仕事を終えて年度末完了の食事会に出席する。年度末の最も厳しい時期を議会で過ごして、友人の会社への貢献が少ない立場からすると多少居心地が悪い場でもあった。
 
 5日は早朝から長野県松本市近郊まで除雪車を見に日帰りのドライブに出かける。とりあえず仕事であるが、天気の良い中で春の北アルプスを望んでくることは気分が良い。帰路では中央道が渋滞の情報も入り、一宮御坂ICから河口湖を経由して御殿場まで走り東名ルートで渋滞もなく帰宅する事に成功した。東京を通過しないだけ確実である。
 
 6日は朝から良い天気の中、今回の富津市議会議員選挙の告示に伴い出陣式に向かう。岩根中学の同級生は変わり者が多いのかは解らないが、今から17年前に木更津市議選に挑戦した伊藤氏や、12年前の衆議院国政選挙や6年前の市長選に立候補した森田氏は同級生であった。同級生以外にも青年会議所で知り合いその後政治家になった友人は多く居たが、後援会長を引き受けた友人は今まで居なかった。今回、富津市の最年少議員である大野ゆうじ候補の後援会長に友人の高木君が就任したので、その激励である。
 昨年9月の君津市議会議員選挙や10月の袖ケ浦市議会議員補欠選挙でも足を向けなかったが、たまに人の選挙を見るのは悪くない。おまけに挨拶もないから気軽である。ただ、市議会から国政選挙に挑戦を表明している民主党の中後氏を応援すると明言していたためか、青木衆議院議員や中後氏が民主党的な応援演説をしたのは保守的な地盤の中で逆効果ではないかな、等と思って帰ってきた。
 午後2時からメタボ対策と足腰強化のため自転車で走行。小櫃堰や太田山、矢那川公園などの桜の名勝を見ると伴に、矢那地区で鎌足小学校の桜を見ると伴に、鎌倉林道沿いの河野牧場での残土問題やあけぼの団地の市道編入と舗装問題などの現場を視察してくる。詳細は思うことに記載するが自転車は小回りが効いて便利である。
 夕暮れに帰宅し、犬の散歩でこの日は終わりである。
 
 7日は朝から雨模様。仕事に出向いた富津では選挙カーが走り回っていた。昨年の今頃を思い出すと同時に、あと3年後にはまたこれをやらねばならないのかという思いを巡らせた。週末の開票日には隣組の1泊旅行に出かけているので旅先で富津の結果を知る予定だ。
 
 8日は朝から雷の鳴る中、母校である岩根小学校の入学式に来賓として出席する。酷い雨のため校門前で記念写真を撮ることが出来ない新入生の御両親には同情するところである。式の前に来賓控室で御園校長先生より卒業生68名に対し新入生が46名で、学校全体でも385名が362名になったと報告があり、少子化の流れが止まらない事を実感する。
 入学式の後は市役所で打合せを行ったり、パスポートの継続手続きをしたり、渡辺県議と相談したり、友人と意見交換の飲み会をしたりで夜遅くまで家には帰らなかった。
 
 9日は午前中に地元で打合せを行った後、昼から仕事を行い、日没後は昨日アップした思うことの加筆修正等を行った後、ゆっくり読書を楽しんだ。少し落ち着いた時間は悪くない。
 
 10日は議員全員協議会で議場に行く。議会改革で執行部の配置も替わり、目の前にいた青木教育委員長が居なくなり寂しい思いをする。この日の議題は地球温暖化対策実行計画の説明と、平成20年度の職員紹介であった。部課長の多くが変更となっており、問題によってはまた最初から話し合いをしなければならない。逆に議員側が後3年は代わり映えしない状況なのだ。
 協議会の後、青年会議所で一緒に苦労した先輩である富津市の平野明彦議員の選挙事務所に激励に行く。2名オーバーでも見えにくい選挙だと苦労していた。3年後は我が身のことであろう。
 夕方は再度市役所に登庁し、疑問点の質問を行う。そもそも問題なのか、それは制度的に良いのか、解らないことはまだまだ多いと実感。
 
 11日は年度末の仕事の後片付けと、パソコン上の各種検討作業で終日を過ごす。最近は航空写真をインターネットで簡単に見ることが出来るため、様々な都市計画的政策判断(八幡台の事例)が行えて有り難いが、作業を始めるとはまってしまって時間を忘れるのが欠点である。
 
 12日は朝から巌根小学校創立百周年記念事業実行委員会に出席するため小学校の体育館に行く。現PTA役員や地元区長を中心に大勢の参加者があったが、まだまだ具体的なところまで話は進んでいない。なんせ本番を予定している平成21年11月21日まで588日も有る中での第2回実行委員会であるから大枠を決める段階なのである。それにしても諸先輩が並ぶ中で『顧問』という肩書きは座り心地が悪いものである。
 正午に終わった会議の後、内業を少ししていると万石で工場の進出計画があるという電話を受け、夕方に自転車で現地を見に行く。情報では東京の建設会社が従業員寮兼作業場を作るようだが詳細は20日の説明会に聞きに行くことにする。私もそれまでに建築基準法を復習しなければならない。
 
 13日と14日は町内会の懇親旅行として小湊鉄道の赤トンボツアーで伊豆土肥温泉に行く。県内各所で客を乗せ、我々が最後の乗車でアクアラインを渡るツアーなので朝は遅く帰りも早い旅行であった。初日の沼津御用邸では天気が良かったが翌日は雨である。温泉を楽しめて交遊を深めただけで良しとしよう。ちなみに土肥温泉は記念すべき私の700湯目となった。
 
 15日は朝から書類整理やネットでのデータ検索、読書などをしていたがあまりに天気が良いので車で房総半島を回ってきた。千倉ではまだ花摘みが行われていた。地球温暖化で木更津でも出来るように成りそうだと思いつつ、ガソリンが安いなかで良い気晴らしとなった。
 
 16日は午前中にメール等の整理をした後、午後から水道部に行き水道事業広域化について進捗と方向性を聞いてくる。23年度末頃が企業団と四市の統合目安という話であるが、議会としても将来の組織体イメージに向けて働きかける時期と考えてのことである。
 市役所に行ったついでに築地の状況も聞くが、未だ建築確認申請に至っていないと言う話であった。順調に進む周辺道路整備に対して建築が送れ、イオンの年内開店が難しそうだと思ってきた。
 
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2008年4月下旬の記録