40.4月後半の活動記録
 17日は午前中、調査項目として周辺地価情報の整理などを行い昼間に渡辺県議の事務所に顔を出す。そこで夕方の浜田代議士の『激動する日本を考える会』への交通手段を問われたのでバスで行き八重洲ブックセンターでも徘徊するつもりと答えると同乗していかないかというお誘いを頂いた。色々情報交換したいことも有るので、往復とも県議と伴に東京に行くこととした。
 東京では多くの国会議員、県議会議員、首長、議長が集まり国会解散の近い覚悟が滲み出ていた。また選挙が終わったばかりの富津市議も大勢参加しており、ほっとしたような表情を見せていた。
 
 18日は午前中から広報委員会に出席する。3月議会は内容も多く、通常の6頁から8頁に増え、それによって約20万円増額となる報告を受けた。1頁の質問者が4名なので8名で20万、一人2万5千円か・・・等とどうでも良いことを考えてしまう。100号の紙面構成の後、現行のB4版からA4版への変更を検討する。早くて来年2月発行分からとなるがファイルが楽になるので歓迎する所である。
 午後から市役所内部で疑問点を聞いて回る。職員には仕事を増やすような指摘も行うことがあるが、問題を認識した以上、議員として行わなければ成らないと自分を鼓舞する。
 夕方にはかずさアカデミア音楽コンクール運営委員会に出席し、ビラの折り込みや袋詰め等の作業をしてきた。単純作業も良い物である。
 
 19日は天気が良ければ山でも行こうかと思っていたが雨なので書類の整理やデータ整理、撮ってあった番組を見たりして終日過ごす。テレビは相変わらず報道系ばかりで、ドラマやバラエティーの知識が増えないと思いながら、やはりニュースを見てしまう。
 
 20日は昼から江川区の総会がある。その前に江川海岸に潮干狩りの人出を見に行くと大型バス15台・乗用車300台以上が駐車場を埋め尽くし盛況である。潮も満ち始めており、干潟先端からの渡し船も満載で帰ってきている。ホッと安心すると同時に膨大な車両を前にアクセス道路の貧弱さを痛感してくる。
 江川区の総会は51組長中37名の実出席で行われた。木更津市内でも上位に位置する667世帯の区で、古くからの農村民・40年程度前に造成された住宅地の入居者・最近の建て売りの住民と居住歴や環境の異なる多くの区民から成り、問題も多方面に渡っているので区の役員は大変である。総会終了後、新役員共々頑張っていこうと誓い合った。
 さらに夕方から万石区に進出を予定している企業による住民説明会があり、出席しながら問題点と意見を述べてくる。その為かは解らないが、この日に同意を取り交わす予定であったようだが、修正可能か持ち帰って貰うことに成ってしまった。
 
 21日は冬物整理のため事務所内の片づけを行うが、出てくる資料の整理に余分な時間を費やす。また、読破しおえた本を置く棚が手狭になってしまった。地元の巌根西公民館に相談しても、そちらも本棚が満載と言うことで寄贈するわけにはいかないようだ。内容の薄い本は古本で売却しても構わないが、手元に置きたい物も有るから・・やはり本棚を追加するしかない。
 
 22日から24日に掛けて北海道に住む友人の自宅建設現場に出掛け、余市岳のスキー登山を行う等、気分転換の旅を行ってきた。
 帰路の飛行機が遅れたことで羽田から品川まで京浜急行で移動し、品川発最終バスに乗り込むことになってしまった。乗客は他に16名。深夜バスの有り難さと羽田発夜行バスの必要性を痛感してきた。
 
 25日は昨年度末に編成を終えた木更津ヘリコプター団に追加になった第102部隊の説明を聞くため、基地対策特別委員会で陸上自衛隊に視察に行く。自衛隊も予算不足で定数まで補填できていないと聞くと何処も同じかと思わされる。また、米軍管理下のドル財産施設等の説明を聞き、早く日本への施設権委譲が成される事を願う所である。
 昼からは都市再生機構で調べものをしたり、市役所各所で疑問点の相談を行ったり、夜には知人との意見・情報交換を行ってきた。
 
 26日は朝から長野聖火リレー報道を見続け、その後は図面の作成やデータの整理等を行い、夕方から巌根小学校PTA主催による教職員の歓送迎会に出席する。他にも多くの区長さんや各種教育支援団体で活躍する多くの先輩が来賓として出席しているが、役職から私は上座に付き中締めの挨拶もすることになる。1年経ってもまだ違和感の有るところである。
 
 27日は午後から金田東地区の都市計画変更説明会に出席するため金田小学校に行く。会場には大村・斉藤の地元両議員や勝畑元議長などを含め大勢の人達が参加していた。都市計画の変更について市より説明が有ったが、そもそも都市計画を知らない一般市民には理解困難であったようで、基本的な質問が相次いだ。
 そのような意見を聞きながら、自分の話やHPも有る程度の知識を前提にして、市民には不親切になっていないかと気になり反省するところである。いずれにせよ連休の初日に説明会を主催された都市政策課の皆様、ご苦労さまでした。
 
 28日は水道のデータ整理や
思うことの作成をし、夕方から近所の打合せに出た。なお、20日に出席した万石の新事業進出は白紙になったようだ。取引に失敗した不動産屋には悪い気もするが、市街化調整区域で工業系施設設置は将来的に問題だろうという考えは間違っていないだろう。
 
 29日は今更にしてスタットレスタイヤを夏タイヤに戻し終え、出掛けようと考えていたところテレビ朝日から取材の電話が入った。
 詳細については別に記載するところであるが、大きな事件がない限り、この夜のニュースで流すと言うことなので、見た人がHPで探すだろうと考え、取材が終わってから急ぎHPの更新を行った。
 
 30日は午前中に調べ物をした後、幕張で開催されている「恐竜大陸」を見学し、中国での発掘に伴う恐竜史の変更状況を見て、さらに最近の動物ロボットの精巧さに感心したりしてきた。
 その後、マリンスタジアムで開催された千葉ロッテvs北海道日ハムの戦いを見てくるなど、すっかり休日モードであったが、渡辺俊介とダルビッシュの先発なのに打撃戦となって、その上ロッテが負けたので快適な日では無い。
 しかし、前日のニュースを見たとのメールが大学時代の友人や青年会議所運動で知り合った人達から県境を越えて届いてきたので、良い近況報告になったかなと思うことにした。
 
 5月に入り、議員生活も2年目になった1日、昼から渡辺県議の後援会の集まりに出席した。行く道すがらの矢那川には優雅に鯉のぼりが泳いでいた。会合については思うことに記載するので参照いただきたい。
 会合で合った斉藤議員から『4月25日の視察直後にテレビに出ていると、まるでリークしたように見える』という指摘があった。なるほど、見方によってはそうも取れる。変な誤解を生んでいないと良いのだが・・と思うところである。
 その後、所用で江川漁業組合に顔を出し、さらにこの日の議会便りを読んだという市民との話し合いを設けた。この日は議員2年目にしても勉強を深めなさいという天の声かと思う。
 
 2日は書類やHPの整理を進める。色々やるべき事を考えると山ほど有るのであるが世間が連休と思うと気が乗らず捗らない。そんな中で親戚の訃報が届く。悲痛な気分を紛らわせるがごとく、却って没頭するように、中断していた3月議会の一般質問の整理を夜遅くまで行う。
 3日は通夜、4日は告別式であり、その合間を使って6月議会に向けた質問の整理を行う。ともすれば質問のための質問になりそうで、自分の立場を何処に置いて質問するのか、という基本的な考えが振れないようにするのが案外難しい。
 
 5日は日頃の運動不足のまま、URCの房総半島横断センチュリーランという集団サイクリングに参加する。そして日頃鍛えている人達と自らを比較して、改めて最近の運動不足を痛感してしまった。
 
 6日は連休最終日に天候が回復したので、机に向かい続けることも出来ず、登山用の筋肉も鍛えようと思い、ぶらっと鋸山に登りに行く。いつものように車力道入口の高速脇に車を停めて歩き始める。公設の駐車場を設けるべきだと何時も思うところである。新緑の山々を見下ろしながら山頂へ40分で到着し下山には歩いたことのない安兵衛井戸コースを使った。植生も豊かで、身近にこの山があることを幸せだと思う。
 帰宅後、犬の散歩を終えてからシャワーを浴び、岩根西地区地域子育てチャリティーゴルフコンペ交流会に出席する。ゴルフ参加者は56名と昨年同様に大勢で実施されていることを頼もしく思う。多くの人に何故ゴルフをしない、と言われるのが気になるところではある。
 
 
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2008年5月上旬の記録