41.5月前半の活動記録
連休が明けた7日は午前中に打合せ書類の整理をして昼から市役所の担当部局に出向き6月議会質問の打合せをする。
議論の内容を深め、数値の公表を含んだ具体的な回答を得るためには事前の議論が必要だと思うからであるが、市民には馴れ合いと映ってしまうことが若干辛い。
議会質問とは全く関係ないが、家に住み着いた猫が避妊手術前に妊娠をしてしまい先月上旬に子供を産んでしまった。一月経つと目も開き歩き始めるもので、可愛らしいとは思うが、まだ引取先が2匹しか決まっていない。誰か引き受け手がいれば連絡をお願いします。
8日は午前中に市役所で打合せを行う。この打合せをもって、今回の議会で質問する項目をほぼ決めてきた。その後、消防本部に行き、新人議員会での消防設備研修の申し入れを行ってくる。研修日程を確認する中で、アクア木更津地下に計画していた場外馬券場設置に関する周辺地区の同意が整ったことも知る。イオンの動きは遅いようだが、変化の息吹は少しづつ生じているのかも知れない。
9日は書類整理などを行っている間に金田東の進捗状況を見に行く。小櫃川に架かる国道409号線の橋から見下ろすと、まだ土工事が主であり、道路の形態を見せるには至っていない。
早く完成された宅地が出現すると事業が進捗している印象を与えられるのに、まだ半年以上は待ちそうである。
10日、11日の週末は天候も悪く、晴れれば山でもと考えていたところではあるが、雨読を決め込む。読み残しの本や見終えていない特集番組の録画などを片づける。さらにレンタルでAn inconvenient truth (邦題「不都合な真実」)を借りてきて見る。誇張された部分が有ると一部から言われているが、少なくともこの事を伝えねば、というゴア元副大統領の姿勢に感動をする。さぁ私には何が出来るか。
12日、13日は年末から溜まった運動不足を解消するため、朝からアクアラインを渡り、大井川鐵道の新金谷駅に車を停め、列車を利用した奥大井地域で自転車訓練をしてくる。と言っても初日2時間、翌日4時間程度の短時間であった。吊り橋・木橋・第二東名など、大井川の橋梁を見続ける運動だった。
14日は仕事の雑用や市役所で各種調査を行い、夕方には西山区から
通学路の照明が少ないという要望を受け区長と現場確認に行く。
確かに現場は水田の中で人家が途切れ、日没後は真っ暗になる所である。自分達の世代が子供の頃には闇など当たり前であったが、近年は児童を狙った犯罪や不審者の行動も増えているため、せめて明るくしなければ不安だという状況も解る。いつからか社会力が低下し、コストが掛かる世の中になってしまった。
15日も午前中市役所で打合せを行い、6月定例議会での質問方針を具体化させていく。午後からは議会野球部における今年最初の練習日である。練習には12名が参加し、その後の結団式には3名が加わり15名となった。議員の体調管理と相互の懇親を深めるためには有意義な時間である。デジカメを忘れて写真記録を取らなかったのが残念である。
16日は昨日の打合せを元に質問原稿の大幅改定を行うため関連資料の見直しや問題点の整理を進め、あわせてHPの更新などをしている内に夕方になり、かずさアカデミア音楽コンクール実行委員会に出席し、6月8日午後2時から君津文化ホールで開催されるピアノコンチェルトの打合せを行う。
残り3週間となった状況でもチケットの売上枚数が少なく、当日の会場は空席が増えそうと解り、採算の点と言うより、まばらな会場で演奏する寂しさを味会わせたくない、という気持ちのため、その対応が大きな課題となる。
17日は正午に同級生の母親の告別式に出席する。最近では同級生より、その兄さんに色々と世話になっている事の方が多い。73歳での旅立ちである。GW中に亡くなった伯母の葬儀で喪主を務めた従兄弟が、何時までも親があると思うな、と言っていたセリフを思い出した。
18日は午後から江川消防団の入退団式が行われ、区の相談役として出席する。今回の退団者には自分が現役の頃を知る最後の一人が居り、分団役員まで務めた彼の11年に渡る消防活動を湛えた。
本年度の部長に状況を聞けば、江川だけに留まらず岩根地区の多くで定員を満足していない状況になっているそうだ。四川大地震等の大規模自然災害が多発する中で、消防団組織が弱体化していることに危惧を覚える。
19日は公務が入っていないので、パソコンのバックアップや、時間が有ればやろうと思っていた過去の資料の電子的な整理を17日から開始していた作業に没頭する。開始した時には19日の月曜日までやれば終わると思っていたが、膨大なデータに遅々として進まない。この後、数日に渡り深夜遅くまで残業する羽目になるとは考えていなかった。はやり電子化は決して効率化だけではないな、と体で解ってしまった。
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2008年5月後半の記録