63.12月下旬の活動記録
18日の本会議に先立ち、9時半から基地対策特別委員会の打ち合わせが行われる。議題はこの日に議長名で浜田防衛大臣に当てて提出する『日米地位協定に基づく「木更津飛行場」の見直しに関する要望書』についてであった。内容を簡単に書くと現在陸上自衛隊が駐屯している区域は日米地位協定上、アメリカの占用化に有り、それを日本の自衛隊が使用しているという状況であるが、昭和47年にアメリカ海軍が撤収以降は米軍の使用実績がないので、日本国有財産として活用できるように検討して貰う要望である。
日本国有財産になった場合は中野畑沢線の整備のように基地に関係する事業が速やかに進むようになり、運用次第では民間ビジネスジェット機等との軍民共同使用も可能になるので将来の街づくりのために有効である。なお、意見書でなく要望書としたのは、まだ最初のアクションなので要望から、という判断だと説明があった。
10時から本会議が開始される。付託案件に関する委員会報告の後、質疑や討論が行われ採決に入った。その後、委員会付託の無かった人事案件2案の質疑・討論と採決が行われた。詳細は省略するが執行部上程案件は全て可決され、陳情案件は採択されなかった。
採決を持って本会議は終了し、速やかに議員全員協議会が開催されるた。議案は下記の通りである。
No
内容
担当
1
木更津港港湾計画の改訂について
企画部
2
高齢者保険福祉・介護保険計画について
福祉部
3
日米地位協定に基づく「木更津飛行場」の見直しに関する要望書について
−
3番目の要望書は執行部に退席して頂き、議員に対し議長から趣旨の説明があった。この様に議会が直接行動を起こすようになることが理想的である。
昼食後、広報委員会が開始された。A4化に伴う紙面の見直しであり、市の広報紙担当職員に広報紙の方向性を伺うなどして、大幅な改訂を目指すものである。当然、この日で結論は出ず、翌週の24日に再度会議を行うことになった。ちなみに右の写真は斉藤高根議員からいただいたものである。
夜は議会最終日ということもあり、会派で慰労会である。2日前の人間ドックで飲食を控えるようにというアドバイスを受けながら、反省の色が見えていない事に、帰宅して反省するのである。
19日は午前中に一汗流すため鋸山まで紅葉を見に行き、午後から書類の片づけや家族の運転手を勤めたりして過ごす。夕方からちはら台に済む中学の友人と簡単な忘年会をするため内房線で千葉まで出掛け、ホッピーなどを飲んでくる。
20日は部屋の片づけや読書などを行い、夜には早出大会6位入賞を果たした地元消防団の忘年会に顔を出し、長年の低迷を打破してくれたことを慰労する。流石に4日連続飲み会となると疲れて早く帰宅する。
21日は読書や調べものを済ませ、取り溜めていた映画などを見ていたらHPを更新する間が無くなってしまった。
22日は午前中にHPを更新し、午後から市役所で打合せを行う。その後渡辺県議の事務所に顔を出して、夜は肝臓を休める休息の日とした。
23日は昼から千葉大病院に入院した鶴岡議員をお見舞いに行き、沢山の本を置いてきて、夜は万石区の忘年会に出席する。大勢の役員が出席している結束力には何時も感心させられる所である。
24日は今年最後の公務である議会広報委員会に出席する。前回の変更方針を元に、詰めの打合せが行われた。議会事務局の担当も資料を集めるのが大変である。
委員会は午前中で終わり、午後から事務所で書類の整理や年賀状の作成などを行う。なお、公職選挙法で選挙区内に年賀状等の挨拶を送ることが禁止されているため木更津市以外の友人だけとなる。
25日、26日と1泊2日で健康増進のために富士周辺の王岳と杓子山に登りに行き富士山を眺めてくる。例年なら雪山になっているところであるが、暖冬傾向でアイゼンも必要ない山であった。それでも今年最大の寒波と言うことで厳しい寒さだった。
27日から大掃除の開始であるが、夕方から青年会議所の友人達と忘年会を行う。翌週には新年会を行わねばならないな、等と話しながら峯の精を飲み続けた。
28日は暖かな陽気となり事務所の清掃とHPの更新を行う。長年手を付けていなかった物置場等を片付け始めると良く解らないものが多く出てきて、整理が進まない。捨てることは楽であるがつまらないものに執着するのも人間らしくて楽しいものだ。
昼間には江川区長と市役所から話の来た江川運動公園拡張事業説明会の打合せなどを行う。
29日、30日、31日と事務所の片付け作業や歳末の所用に追われる日々を過ごす。経済状況は荒れているが、天候が穏やかなまま年末を迎えられることを感謝したいような陽気の日々であった。大晦日の夕方には宵の明星と月が綺麗に冴えていた。
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2009年1月上旬の記録