66.1月下旬の活動記録
 21日の朝8時に木更津駅東口に集合し、会派の行政視察で羽田空港行きの高速バスに乗る。初日は広島県世羅町で『デマンド交通システム』の研修であるので広島空港へ飛ぶ。
 11:30に広島空港に着き世羅町に向かう。直達する公共交通機関が無いため、貸切バスによる移動で、広島県の山里を走り11:30に世羅町役場に到着し、研修を開始する。
 デマンド交通システムとは、福島大学の奥山教授が提唱し福島県小高町で実証事件を経て開始された公共交通システムで、電話で予約すると乗り合いタクシーが自宅から目的地まで送迎するサービスである。需要(=デマンド)に対応しているのでこの様に呼ばれている。
 世羅町は甲山・世羅・世羅西の3町合併で平成18年に誕生した人口2万弱、面積278kuの町である。人口は木更津の1/6弱、面積は1.6倍強であるため、行政からバス会社への補助金も多額に上っていながらも住民にとっては路線バスは不便であり、これまでは空気を運んでいるような状況であったようだ。合併を期に旧町間で差があった公共交通の利用機会を増すため、先に隣接する大和町(現在は三原市の一部)が導入したデマンド交通システムを全域に導入することにし、市内で完結する10の路線バスと福祉バスを全て廃止した。ただし都市間バスと、大量輸送が前提となるスクールバスは引き続き補助を行い存続させている。
 世羅町ではデマンド交通システムを『せらまちタクシー』という愛称で呼んでおり、予約管理のシステムはNTTが開発し、予約センターや事業の運営は商工会が行い、運行は町内にあるタクシー会社法人4社がエリアを分けて行っている。ちなみに予約センターは4名の勤務で常時2人が対応している。
 運行は朝8時から午後5時までで、ダイヤは原則として周辺部発が午前中を中心に4便、街中からの帰り便が午後を中心に5便運行されている。需要が多い場合はジャンボタクシーだけでなく普通のタクシーが予備に運行し、
 利用者の殆どは高齢者である。利料金はエリア間移動の例外はあるが基本的には1回300円を支払う。ちなみに廃止した福祉バスは無料であったが運行経路が決まっている事と本数も少なかったために需要は多くなかった。利便性の向上に伴い利用者は大幅に増加したが自治体の補助金は大幅に減少している。
 世羅町では全ての町内バス路線が赤字であったが木更津では現在の所は一部路線である。ゾーンを限っての運行など検討すべき要素は多いが大変魅力的なシステムであると思われる。
 この日は研修を終えて尾道市内で宿泊する。
 
 22日は鳥取大学の中野準教授が考案した安価な芝生化手法である『鳥取方式』を研修するため尾道市役所を訪れる。
 学校の芝生化は怪我の可能性を大幅に低下させるので、子供が怖がらずに身体を動かすようになり体力の向上が図られ、また外で遊ぶように成るので健康増進効果も大きい一方、維持管理の負担が大きかった。
 『鳥取方式』では従来の高麗芝の前面張りではなく繁殖力の旺盛なバミューダグラスの小さな株を30cm〜50cm間隔で植え、緑が広がるのを待つ方式であり、中国地方を中心に採用実績が広がっている。
 バミューダグラスは繁殖力も生命力も強いので養生は最初の2週間程度で構わない事も魅力的である。ただし、散水と適切な刈り込みは必要なので、その程度の維持費は必要になってくる。
 ちなみに現場視察に行った山波小学校では約千uの緑化費用はわずか1万3千円であり、年に3回の刈り込みと追肥、散水で15万円程度(その殆どが水道代)を掛けている。このように安いのはPTAからなる小学校育友会の努力によるものである。
 尾道では小学校31校、中学校20校、幼稚園20校が有り、予算的に全校に拡大することは難しいと考えているようであるが、鳥取方式の検証は進めていく姿勢である。木更津でも何処かが試験的に取り組む価値はありそうだと考えた。
 視察を終え、尾道の千光寺を訪ねる文学の小道を歩く。
三上議員より文学を切り口にした街づくりを参考に馬来田で万葉の歌碑を設置していると説明がある。良いものを積極的に取り入れる姿勢は重要である。
 尾道を離れ四国の高松に向けて移動を開始する。途中で瀬戸大橋にある与島のフィッシャマンズワーフに立ち寄るが雨のためか巨大な駐車場に車が停車されていない。中に入っても「漁師の店」でなく只の土産物屋である。聞けば鮮魚等は止めたらしい。客が減れば維持は難しいだろう。京浜急行が運営しながらこの状況ではと観光開発の難しさを実感する。
 夜は高松に泊まり、雨の中、数人で夜の丸亀商店街の見学に行く。この終点街には飲食店が少なくファッションに特化しているので夜中の人通りは少なかったが、噂に聞くドームの巨大さに驚かされた。
 
 23日は旧市街の再開発成功例として著名な高松市丸亀商店街の視察を行う。ここで対応していただいたのは商店街振興組合で再開発を担当する明石副理事長であった。行政職員とは違う経済的な感覚に裏付けされた説明は新鮮な感動を受ける。
 世界のトップブランドはメーカーが販売を行っているものであり、メーカーの機能を失った商店の生き残りは困難であり、生き残れない品揃えの商店は幾ら人が集まっても売れないのだから、売れる店を入れる良いオーナーになってもらう。この発想の元に事業を遂行し、自らも代々続く靴屋を廃業してうどん店に業務形態を変えている所など、木更津の旦那集にも見習って貰いたい点が数多くあった。ちなみに再開発を済ませたA街区では14の店が有ったが、残ったものは4つだけであるそうだ。
 それでも平日なのに昼間の人通りの多さは木更津と比べものに成らず羨ましい。これは丸亀商店街の成功のせいか、元々の地理的なポテンシャルかは解らない。引き続きB街区、C街区と職住接近の開発が進むこの街がどの様に変わっていくか定期的に観察したくなる。
 明石海峡大橋で神戸ブランドと比較される高松には、アクアラインで横浜ブランドに歯が立たない木更津以上に根性が見られる。人が集まるためには感動を与えられる街になるべきと、商店街としては日本最大のドームを8億円で作った所など、人口43万人の県庁所在地で行う街づくりと我が市が出来る街づくりには当然違いは有るし、どのような街を目指すかで手法は色々であると思う。
 明石副理事長が、商人としては街を捨てて効率を追求しろ、と言った内容に厳しさと暖かさを感じて来た。街づくりに重要なのはやはりリーダーだと実感するところである。
 研修後は明石副理事長の経営するうどん屋でセルフのうどんを食べて高松空港に向かい14:35の飛行機で羽田に帰ってきた。内容の濃い2泊3日であった。
 
 24日は午前中に視察研修に関する活動記録のHPをまとめ、夕方からアカデミアホールで開かれる自由民主党木更津支部の総会と浜田靖一防衛大臣の新春の集いに出席する。
 
 四市の市長、県議、議長が全て揃っての壇上で浜田大臣が熱く政治を語る姿勢は今まで以上に力の入ったものであった。この壇上で3月29日に投票となる千葉県知事選挙立候補予定者の白石ますみ氏と千葉県議会議員木更津選挙区補欠選挙立候補予定者の中村よし子氏の紹介もあった。いよいよ選挙の季節が近いことを実感させる瞬間である。
 
 25日は午前中に雑務を済ませ、午後から江川集会所で行われる各種ボランティアの慰労会に出席する。各種ボランティアとは区の役員、消防団役員、民生児童委員、青少年相談員、交通安全協会、ゴミ減量指導員
、子供会役員などであり、情報交換を兼ねて1年の慰労を行うのである。市の運営は公務員だけによるものではなく多くの市民の協力によって成り立っていることを改めて実感する。
 
 26日は群馬県太田市に住む大学の後輩の元に届け物を運んで行き、夜には伊勢崎市に済む同級生と3人で飲む。それぞれ企業の第一線で活躍している友人達から景気動向や技術の方向性などを聞くのは勉強になる。
 
 27日は太田市から埼玉県行田市を経由し、ローカルフードを食べて帰宅する。メールチェックや書類の片づけなどを済ませて夜6時半からの青年会議所OB総会に出席する。現役組織も人数の減少に直面し、運営が厳しい中で頑張っている。自分達も現役時代は随分無理をしたなと、話が盛り上がった。
 
 28日はホームページの更新や溜まった仕事の片づけを行い、市役所に行き打合せを行い、夜には知人の葬儀に出席した。
 
 29日は午前中に雑務を片付け、午後から(社)木更津法人会袖ケ浦地区の3支部合同公開講座である「矢祭町に学ぶ:講師根本良一前町長」を聞いてくる。
 合併しない宣言の矢祭町の前町長の講演の前に出口袖ケ浦市長の挨拶が有ることは、考えすぎかも知れないが意味深である(左写真)。
 また、全国から寄せられた本で出来た「もったいない図書館」の話題を素晴らしい施設である長浦おかのうえ図書館の視聴覚室で聞くという設定も粋である。話で感じたことは思うことに記す。
 
 30日は朝から市役所に行き、昨年3月議会で質問したことの検討具合や様々な事業の進捗状況、市の諸施策への取組など、多くの疑問を問い合わせてくる。議会質問に向けての準備では有りませんから、と言うと安心する気配が分かる。
 
 31日は中央公民館で開催された『南房総市民活動フェスタ』というNPO等の活動報告会を見に行く。会場には渡辺県議、佐藤多美男市議、高橋てる子市議、鶴岡大治議員、平野卓義議員なども来られていた。市民活動の集まりのためか若い参加者が多く、子供連れも目立った。その子供達にチーバ君は大好評だった。参加団体の多様さに感心した。
 
 
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2009年1月下旬の記録