92.10月下旬の活動記録
 21日は8時40分に木更津駅前に集まり、建設常任委員会の行政視察に出発する。アクアラインバスで羽田に着き、富山空港へ飛び、初日は富山県富山市を視察する。
1.富山県富山市
 市制施行 明治22年4月1日(平成17年4月1日に新富山市誕生)
 人口 417,765人
 面積 1,241.85km2
 視察項目 中心市街地活性化基本計画について
 富山市は中心市街の人口減少や高齢化の進展に伴う交通弱者対策として、青森市と供にコンパクトシティの取組を実勢している都市であり、青森市の1極集中型ではなく公共交通を活用した「串団子」型都市形態を目指している。
 この施策は詳しく知りたかった点が多いので「都市規模が違うからあまり参考に成らないよ」という一部の声を乗り越え、常任委員会副委員長として視察を強行した物である。
 DID(人口集中地区)人口の密度が県庁所在地都市の中で最も低く、社会資本の整備にともなう費用対効果が上がりにくかった富山市では、JR西日本から東北新幹線整備に伴う連続立体事業の中で高架化を諦めることになった富山港線を譲渡され、一部を路面電車軌道に付け替えたライトレールを運用することをきっかけに、串団子型のコンパクトシティを進めることになった。平成18年度より5年間で約250億円を投下し、市債は112億円増えるようである。壮大な社会実験である。
 ライトレールには補助金を出し一律運賃にすることや、高齢者には中心市街地まで路線バスや在来の地方鉄道で出て来やすくするための「おでかけ定期」などを設定しているが、既存バス路線の赤字化は続いているようであり路線数も減少の傾向にある。また、広大な市域の中に公共交通空白地域も広がっているが対応は特に立てていないようだ。
 「中心」に指定されていない地域の反対はどの様に解決したのか質問すると「中心市街地の活性化が税収の増加を招き、その結果として地域整備の原資が生まれる」という事をタウンミーティングで説明したという回答があった。また、限界集落を廃止する方向ではなく、郊外部の集約を目指すという段階のようだ。行政レベルでは限界集落こそ除雪や社会資本の維持コストが高く付くことを認識している気配はあるが、政治的に踏み込めない領域のように感じてきた。
 予想外だったのは、3年が経過しても中心市街居住人口が増加せず、商業地域の歩行者も減少に歯止めがかかった程度で大幅増には繋がっていないことである。建設業界紙では高く評価されている取組であるが、もう少し様子を見て、効果の高い施策を選択することが後続の責務であると思った。
 富山市の視察は市役所会議室での説明の後、駅前のライトレールを見学して終わり、北陸本線の特急で翌日の視察である金沢まで移動し、アパホテル金沢中央に泊まった。この日は金沢で全国市議会議長会が開催されており、市内の方々が市議会議員で溢れていた。
 
 22日は朝9時から金沢市の近江町市場で視察の開始である。
2.石川県金沢市
 市制施行 明治22年4月1日
 人口 457,357人
 面積 467.77km2
 視察項目 近江町市場再整備事業について
 近江町市場は第二次世界大戦の戦火を逃れ、趣のある市場として地元市民だけでなく観光客なども集めていたが老朽化が著しくなり、また全面の国道の拡張事業も計画されたことから、市街地再開発事業として本年4月に近代的ビルとして生まれ変わったものである。
 特筆すべき点は専門家の意見を受けて市場の風景と雰囲気を再現したことである。3階と4階に金沢市の公共フロアがあり、その点が疑問に思って質問したところ、当初はホテルの進出が前提であったが計画の遅れなどで予定していたホテルが待ちきれずに別の場所で開業して、その結果として市がフロアを引き取ったという話である。同じような話は木更津のアクアビルでも聞く話である。なお、金沢市は全国市議会議長会で多忙であるため、『近江町いちば館管理組合』より現地で説明を受けた。
 デザインの点では素晴らしい作品で、都市イメージに誇りとこだわりを持つ古都金沢の力を見せられ、本市の公設市場も目的が違うとはいえ、この様に出来ない物かと考えてきた。
 近江町市場の視察後、石川県により整備された銭屋五兵衛記念館を見に行く。金沢には何回も行っているつもりであったが始めて知る人物で、幕末の加賀藩にこの様な豪商が居たことを始めて知った。でも、県の施設で伝聞や噂に過ぎない事を堂々と表示して良いのかなと疑問に思っていると、説明者が五兵衛の子孫だと知って再度驚かされた。
 その後、金沢港を見て翌日の視察先である加賀市に移動し、山代温泉の松頼荘に泊まる。夕方に散歩に出ると総湯が建て替えを前提に消滅しており、周辺も落ち着いたデザインでの整備が進んでいた。観光地は何処も静かに激しく戦っていると云う印象が残った。
 
 23日は9時半から加賀市で視察である。3日連続でよく晴れている。
3.石川県加賀市
 市制施行 昭和33年1月1日(平成17年10月1日に新加賀市誕生)
 人口 74,214人
 面積 306.00km2
 視察項目 町屋再生事業について
 加賀市大聖寺地区は門前町として栄えた名残として古い町屋が残っていた。しかし古い住宅の老朽化や住民の郊外移転により景観やコミュニティの維持も困難となってきた。そこで市では町屋を利用したい住民と持ち主の橋渡しを行う事業に取り組み始めた物である。夏に会派で視察に行った川越市と似た部分もあるが、加賀市では集客の核になる観光施設とまでは行っていない状況である。それでも古い民家の質感は高く、失うことが損失と考える自治体の意識には我が市も学ぶべき物がある。
 町屋は彫金工房や高齢者福祉施設に生まれ変わっていたが、注目すべき事は新たに建て替えた市営住宅についても町屋形式で新築したことである。市営住宅で「うだつ」は無いだろうと思うが、景観を重視するとするのならば、この様な姿勢は費用対効果を配慮する中で検討に値するだろうと考えるところである。
 視察は市役所の会議室で説明を受けた後、数カ所を建築課の職員により案内して貰った。現地では使用者と職員との距離感の近さや信頼感が感じられ、新しい取組を行う中で地域も職員も成長していくのだろうか、と考えていた。
 視察終了後、市役所の近くで昼食を取り、小松空港に向かう道すがら松井秀喜ベースボールミュージアムに立ち寄る。これも始めて観る施設であるが、著名人の存在が地域の観光の活性化に役立っていることを実感する。飛行機は15:40に小松を後にして羽田に到着。午後5時半には金田BTについて解散する。その後、約束のあった会合に出席した。楽しい話が続いたが、研修帰りは辛いと身体が訴えていた。
 
 24日は翌日に控えた『巌根駅に快速電車を停めよう!推進協議会』の準備のため、備品の購入や打合せ、区長配布用の署名用紙の印刷、仕分けなどに追われる。滞っているHPの更新作業にはいるが、前日の疲れもあり途中で力尽きて床に入ってしまった。
 
 25日は江川漁業組合の海岸清掃や海上自衛隊の観艦式参加の話も有ったが、朝8時に矢那川公園に行き毎年恒例の彼岸花活動を始めた。しかし、集合すると雨の気配が強くなり、7時半時点の決行判断を覆し中止にし、スタッフ9名だけで集中的な移植を行った。
 子供達が集合する予定の10時まで現場待機したが、中止の連絡が行き渡っていたようで誰も来ないことを確認して会場を離れ、スタッフでお茶を飲みながら今後の活動を話し合い解散した。
 昼前に自宅に帰り着き、HPの文章を起こし、午後6時前に中断して、岩根西公民館に行き『巌根駅に快速電車を停めよう!推進協議会』の第1回(設立)会議、並びに岩根地区区長会で事務局長として活動方法の説明を行う。
 午後8時に会議が終わり、2時間遅れで地域の常会に出席する。今後の運営等を話していると協議会の役員から岩根西公民館に忘れ物があると指摘を受ける。やはり慌ただしい日程は無理が出るな、と反省しながら午後10時過ぎに帰宅し、HPのアップをしていたら日付が変わってしまった。
 
 26日は朝7時半にバスに乗り1泊2日の岩根地区区長会主催の研修旅行に参加する。行き先は南木曾である。今までは政治関係者を呼ばなかったのであるが、地域のことを一緒にやっていくためには懇親を深めた方が良いだろうと言う役員の判断で同行させて貰うことになった。ただ、私が参加したためか、晴天が多い旅行が雨になってしまった。
 
 27日は早朝より快晴。木更津でも台風20号の影響が少なかったと聞き安堵する。妻籠と馬籠という良く保存された中山道の宿場町を見学し帰路に付く。途中、高速の大きな渋滞もなく暗くなる前に帰宅することが出来た。
 
 28日は外出が続いたので、仕事の処理に追われる。その様な中で、公民館で文化祭日程の調整を行い、市役所では資料の入手や地元諸課題の調整などを行い、知人と会って色々と情報の交換等を行う。
 
 29日は地元の諸課題の調整で奔走する。夕方からHPの更新などを済ませようと考えていたが雑用に追われ、先送りになってしまった。
 
 30日は快晴の中、稲荷森公園で行われている菊祭を見に行き、その後、この日にグランドオープンした請西のロックタウンを見に行く。既に駐車場は満車で、沢山のお客さんが訪れていた。新市街地に24時間営業の商業施設が進出することは人口の定着に成るだろうが、旧市街の商店の売上に与える影響は大きいだろう。
 午後1時から市の施設で打合せを行った後、午後2時過ぎにアカデミアに付き『かずさFM開局レセプション』に出席する。地元四市の市長だけでなく森田千葉県知事も出席していたのには驚かされた。親会社の経営不振で存続が危ぶまれた県内初の地域FM放送がマザー牧場の支援で新たな出発が出来たことは嬉しく思う。
 
 31日は先週の日曜日に雨天中止となった矢那川彼岸花活動用の球根を翌年まで残すために万石の畑に仮植作業を行う。数量はあったが事前準備がされていたこととスタッフが8名も集まった事から、午前中に作業が終わり、同様に中止の結果として残った豚汁用食材を屋外で食べて解散する。
 午後は事務所で書類整理を進めながら、つい読書にはまってしまい、12月議会に向けた質問に着手する事が出来なかった。
 
 
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2009年11月上旬の記録