08.3月中旬の活動記録
 10日から予算審査特別委員会の審査が行われる。私は委員ではないが、3日間の審査を通じて傍聴することを決める。初日は総括的事項、収入と総務費に関する審査で、税の納付については県内2市1町でカード決済が行われているが本市ではコンビニ納付を進める事、東口の立ち寄り館の引き合いが2件有ったが成立せず現在も閉鎖中である事、袖ヶ浦市のコミュニティバスである「ガウラ号」は30万円の収入を得るために40倍にもなる12百万円の維持費が必要なため廃止となる事、選挙管理事務において長時間残業費が支払われている事などが明らかとなり、静かな中にも聞き応えのある議論が進んでいった。
 
 11日は一般会計の中から民生費・衛生費・労働費・農水費・商工費についてと、国民健康保険・後期高齢者医療・介護保険・老人保健及び公設市場の5個の特別会計についての審査が行われた。取りまとめの時間的な制約も解るが、アクアビルの売却に伴うチャレンジセンターの扱いのように補正が前提と言うのは気になる点である。
 他には君津中央病院の診療報酬の改定の影響、米を米粉にする機械を中郷地区で購入する補助、40周年事業として行われた公設卸売市場開放に4千人が訪れたことなど、議論の中から色々と見えてくる。
 
 12日は一般会計の中から土木費・消防費・教育費・災害費、特別会計からは公共下水道・駐車場の審議を傍聴する。金田市営駐車場の維持管理費が高額ではないかとか、消防広域化に対する周辺市との足並みが揃っていないとか、図書館で年間に5百冊失われていくこととか、追求するような内容も多い。それにしても西口駐車場で基本料金と最初の無料時間は認可事項でも、1日最大料金や営業時間は届出事項である事が解っていながら、なかなか業務改善が出来ないことに役所的な感覚を受けてしまう。
 この日は公債費・予備費・水道企業会計の審査もあったのであるが農協の総代説明会に出席するため、4時前に早退する。傍聴者であるから審査を見届ける必要は無いのだが、少し後ろめたい気持ちを抱える。
 5時半から岩根西農協で昨年の実績を聞く。ここでも厳しい体質改善とモラルの維持を貫く姿勢を見る。
 
 13日は公的行事がない土曜日なので、最近自然と調和する建築家として注目を集めている隈研吾氏の作品を見るために栃木県まで日帰りドライブをする。休日割引が有るので行動範囲が広くなってしまう。

石の美術館
(那須町 2000年)
 
馬頭広重美術館
(那珂川町 2000年)
 

宝積寺駅
(高根沢町 2006年)
 
ちょっ蔵広場
(高根沢町 2006年)
 何れも財政規模の小さな自治体にあり、「石の美術館」は民間の施設である。格子の優しさや材料の質感がとても素晴らしい施設だと目の保養になったが、維持管理が大変だろうなと癖のように思ってしまう。現在詳細設計が進んでいる第3中学校にも飾りが着くようだが、新校舎のデザインはどの様になるのか楽しみである。
 
 14日は朝8時から地区の溝払い行事に参加する。天気も良く、作業をするのには穏やかな日で助かる。草刈りも水路に面した土地を持つ農家が事前に済ませてくれていたので、作業は予想をより早い11時前に終了する事が出来た。昼には巌根駅に快速電車を停めよう協議会の打ち合わせを行う。
 午後4時過ぎからは水越勇雄後援会事務所に行き、出陣式の設定の打ち合わせや拡大役員会を行う。市長選の陰で市議会議員補欠選挙の話題が忘れられようとしている。今のところ2名が出るようだが本当に情報が少ない。
 
 15日は議会の間に溜まっていた仕事を黙々と片づけながらHPの更新なども行う。3月議会の一般質問の全文アップに向けて作業を始めようとすると電話が入り、人が訪れたりで、作業が捗らず。
 
 16日は市役所や市内各所で打ち合わせを行った後、午後3時から新人議員による金田東事業の学習会兼現場視察を実施する。都市再生機構では年度末の多忙の中、所長と両課長で対応していただき、恐縮してしまう。今後湾岸道路整備という問題が控えているからかな、等と考えながらも丁寧な説明に耳を傾ける。三井アウトレットモールの場所の引渡まで1年と数ヶ月しかないなど、工程はシビアであり、自治体側のライフライン整備も加速が必要となる。ただ、現場状況を見ると大規模土工が無いためか、その様にせっぱ詰まった感覚はしなかった。同僚議員の多くは引家の作業に感動していたようだ。夜は巌根駅前で情報交換会を実施したが、時節柄政局の話が多く・・・。
 
 17日は朝のうちに仕事を片づけ、昼前から市長選挙の応援に行き、事務作業などを手伝う。夕方には青年会議所のメンバーが明日の公開討論会の説明に訪れた。主催者として中立を保つため、どこの陣営も手伝わないし偏らないという姿勢を貫いているのは流石である。
 
 18日は朝7時から新宿の中野畑沢線交差点で市長と一緒に挨拶立ちして、その足で岩根小学校の卒業式に出席する。卒業生は61名であったが、新入生は70人を越える予定と聞いて安堵する。校庭の桜も一部であるが花を開かせていた。両親とともに良い記念写真も撮れたことであろう。
 一旦事務所に帰ってHPの更新作業を行い、午後4時から漁業組合の資格審査委員会に出席。さらに夜には公開討論会出席と、重なるときには多くの行事が集中するものである。公開討論会の感想については思うことに簡単に記載する。
 
 19日は議会最終日である。休会中に行われた各委員会での審査結果の報告の後、議案第10号から第26号までと陳情3件の採決が行われ、議案は全て可決、陳情は1件が可決された。ここで休会となり議会運営委員会が開催され下記2件の議案が議員発議で提案された。
番号 内容
発議案01 木更津市議会委員会条例の一部改正
発議案02 食糧自給率向上・食品表示制度抜本改正を求める意見書
 発議案01は翌年から都市部と土木部が統合され都市整備部になるため建設常任委員会の所管を変えるものであり、これで建設常任委員会は都市整備部と水道部だけしか所管がなくなってしまい寂しいものである。発議案02は陳情の採決による意見書である。両議案とも全会一致で可決された。
 議案の可決が終了し、岡田副議長が辞職。選挙の結果、第56代副議長に橋口武信議員を選出した。橋口議員が副議長となったため所属している特別委員会(基地対策)を辞職し、同会派から白坂英義議員が選ばれた。余談だが、私も昨年の高橋浩議員の辞職により合併調査特別委員会に選ばれているので白坂議員とは広報・合併調査・基地対策と3委員会が一緒になる状況である。
 再度休憩が入り、橋口議員が委員長を務める教育民生常任委員会が開催され、大村富良議員が委員長に選出された事が報告された。このような人事変更をもって3月定例議会が終了した。
 議会終了と同時に議員全員協議会が開催され、下記6件の議題の報告が行われた。
No 内容 関係部
1 平成22年度組織改正 企画
2 木更津港港湾計画の改訂 企画
3 公的資金補償金免除繰上償還制度活用実績 財務
4 公会計制度整備による平成20年度決算の財務書類の公表 財務
5 平成22年度地方税法の一部改正に伴う地方税制の概要 財務
6 高校生世代における国民健康保険短期被保険者証の交付 市民
 No1は1部3課を削減すると供に産業立地を経済から企画に移し、行政改革を企画から総務に移すなど960人体制の組織とする説明。
 No2は木更津港の港湾計画が変更となった事の説明で、概算事業費155億円の計画のうち、木更津南部地区に約130億円、内港である吾妻地区に約25億円を要する事業が概ね10〜15年で行われる予定であるが、駅に最も近い港の顔に当たる部分の整備はその最終段階だから、2020年頃になりそうな気の長い話である。
 No3は財政融資資金及び簡易生命保険資金のうち金利5%以上の高利率の記載を繰上償還することにより8億9千万円の財政効果が生じ、平成22年度には公営企業金融公庫資金の繰上償還が出来れば1億6千万円程度の効果が生じるという報告であった。
 No4は企業会計に準じた新地方公会計制度に基づき資産や負債の状況まで把握したモデルで、君津中央病院や土地開発公社まで含んだ連結ベースでは資産が約2928億円、負債が約925億円になるというものである。資産の多くはインフラで約2154億円にもなる。
 No5は個人住民税の扶養控除、たばこ税の税率引き上げ等があり、その中で4月1日から実施されるものは執行部で専決処分し、直近の議会で承認議決を受けますよ、と言うことの説明であった。
 No6は国保税滞納世帯のうち中学生に対しては短期被保険者証を発行しているが、それを国が7月より高校生まで拡大するのに先立ち、市独自の政策として4月から拡大する事により、資金不足による診療を控えることがないようにするものである。
 以上の協議会を終えて遅めの昼食時間となり、午後1時から5月1日発行の議会便りの編集会議を行なった。市民目線で伝えるべき事を協議していくのであるが、非公式会議のため議事録が残らないのが残念なぐらい活性化した議論を行っている。
 そして夜には年度末の議会が終わったこともあり、市の部長級職員と議員会による慰労会も開催された。公式な場では答えられない情報の断片を聞くこともでき、このような場は日本的だが、有効だと思う。
 
 20日は選挙戦の前日であり、午前中には水越事務所に顔を出し、昼から岩根4丁目の桜祭りの会議に参加し、その後は前日までの議会資料を片づけた。作業の手を休め、日没を見に木更津港に行った所、数人のカメラマンが集まっていた。しかし、黄砂により透明度が悪く、中ノ島大橋越しのダイヤモンド富士は見ることが出来なかった。
  
 夜には春休みに帰郷した友人を交えてちょっとした懇親会を行う。そしていよいよ市長選挙の日を迎えることになるのであった。
 
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2010年3月下旬の記録